今から30年前の今日82年3月19日は高校の卒業旅行に出発し、田舎者なら
ではの失敗をした日である。
前年の盆休みに祖父の古希祝いを東京でやった時に1週間ばかり調布と筑波
の叔父さん宅で過ごしたのだが、調布の叔父さんが別れ際に‘修行に出る前に
卒業旅行で もう1回来たら’と言われて その気になり修行に出発する日が3月
29日だったので10日前の19日から1週間の予定で卒業旅行として上京する
事にしていたのだ。
当時は飛行機は高額で ある意味ぜいたくな物だったため新幹線での移動に
なったのだが、以前上京した頃は必ず筑波か調布の叔父さんに東京駅に迎えに
来てもらっていた。
しかし81年に15日から17日まで調布で過ごした事もあり、電車事情は頭に
入ったつもりで‘自分で調布の家まで行けるから迎えに来なくていい’と叔父
さんに伝えていたのだった。
私の頭の中では東京に着いて中央線で新宿まで行き、京王線で2つ目の駅が
調布という図式が刷り込まれていたので楽勝で行けると思っていたのだが・・・・・
実際に新宿までは行けたものの問題は京王線で、調布までの切符を買い電車が
出ようとしたので急いで乗った電車が各駅停車だったのだ!
確かに叔父さん達と乗っていた時は必ず快速で乗った後に各駅停車と聞いても
‘調布に着くのは時間の問題’とたかをくくっていたのだが、快速なら1つ手前の
駅である明大前にすら なかなか着かないのだ。
しかも快速や急行の通過待ちまでしているので ただでさえ各駅停車でイライラ
しているのに追い討ちをかける。
結局 予想よりも かなり遅れて調布に着いたのだが、今度は出口を間違えて
更に時間を食ってしまった。
その後 会社から帰宅した叔父さんに、その旨を話すと‘東京では田舎と違って
電車は数分に1本は来るんだから焦って乗る必要はないし、各駅停車は よっぽど
近くまで快速などで行ってから乗らないとエラい事になるぞ’と笑いながら言われ
たのだった。
その一件から6年後に蒲田で働き始めた時に電車に乗る時など、その時の失敗
を肝に銘じて乗るようにしたので各駅停車に乗る失敗は2度としていない。
‘失敗は成功のもと’とは よく言ったものだ。