ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
日本スケート界初のメダルは銀だったが・・・
今から40年前の今日84年2月10日は北沢欣浩がサラエボ五輪のス
ピードスケート男子500で、日本スケート界初のメダル=銀メダル
を獲得した日である。
北沢は一発屋といわれており5組目で得意のインコースを引いて
いたわけだが38,30でゴールするとセルゲイ・フォキチェフに次い
で2位となり、そのまま銀メダルが確定したのだが実はサラエボで
のエースは前年の世界スプリントで総合優勝を飾っていた黒岩彰。
逆に言えば当時マイナーだった冬季五輪ではメダルすら取るのは
難しい時代に黒岩のみがサラエボでのメダル候補で、特に最も期待
できる500mのみがサラエボでのハイライトだったし日本のスケート
競技はメダルがなかったので黒岩にスケート界初のメダルが期待さ
れていた。
当時スピードスケートは屋外リンクで行われるのが普通だったが
試合当日の2月10日は朝からの豪雪で試合開始は5時間以上遅れたし、
もともと苦手なアウトスタートという事もあってスタートから出遅
れ同走のウラジミル・コズロフに0,23遅れの38,70でゴール。
1組で滑ったフォキチェフに0,51の差を付けられ‘メダルがなくなり
ました’と西田善夫アナの実況が、ガッカリ感を強めた直後の5組目に
滑った北沢が38,30で滑って2着に入ると‘一発屋の北沢がやりました!’
と歓喜の絶叫。
ところが当時の日本のメディアは黒岩一色だったため‘北沢?誰?’
状態で、翌日のスポーツ紙の一面の写真は10位に終わってガックリ
した黒岩だったのが印象的だ。
まぁ試合開始が遅れて締め切りギリギリで黒岩完敗の予定原稿を
掲載したのだろうが、それだけ日本のウインタースポーツに対する
関心のなさを浮き彫りにした北沢の銀メダルだった。
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