今から40年前の昨日75年3月23日に後楽園球場では昨シーズン限
りで監督を勇退した川上哲治が最後のユニフォーム姿を見せるプレ
シーズンゲームのジャイアンツ-タイガース戦が開催された。
この試合で川上哲治は背番号16のユニフォームを着て赤バットで
江夏豊と対戦しライトフライを打つなど満員のファンを沸かせたの
だが、その試合で王貞治が足の肉離れを起こし1ヶ月ほどスタメン
落ちする事になり長嶋茂雄が新監督として華々しくスタートする
はずだった新生ジャイアンツに暗雲が立ち込める事になった。
昭和の時代のジャイアンツは親会社の新聞拡張という事情でプレ
シーズンゲームは地方球場での開催で北上していくパターンで、
スポニチ記者の永瀬郷太郎氏も3月3日付のコラムに記していたが
後楽園球場でのプレシーズンゲームは2試合ほどだったという。
当時のジャイアンツは川上監督時代にベロビーチキャンプを定期
的に張っており、長嶋監督初年度も川上監督初年度に行なって日本
一になっている事もありベロビーチに出かけたのだった。
ところが帰国した頃から土井正三や富田勝に上田武司ら内野手に
ケガ人が続出し、王までが肉離れを起こすという最悪の事態を招い
た事から長嶋は以後海外キャンプを取り止めただけでなく復帰した
時にも前年まで行っていたグァムキャンプを廃止したのだ。
それについて長嶋は‘日本のキャンプは寒稽古です'と語ってい
たのだが、その真意はプレシーズンゲームの日程が‘難所’の北
関東シリーズを含めた寒い中での地方開催ばかりだった事から筋
肉を徐々に慣らしていくべきという事。
ところがベロビーチのような暑い場所で鍛えた後に、寒い中での
プレーは筋肉に負担がかかり故障しやすくなると考えたのだ。
そういえば02年5月にホークスが台湾で2試合行なった直後に長野
でのライオンズ戦で、暑い所から肌寒い所への移動で以後調子を
崩した事があった。
このように暑い所から一気に寒い所でプレーするというのは、ケガ
のリスクが高いという事を40年前の長嶋ジャイアンツは証明したの
である。