藤田ジャイアンツの光と影

 先日も記したように今から30年前の今頃は藤田元司監督率いる
ジャイアンツが9月8日という最速でリーク優勝を決め、早くも消
化試合に入っていたのだが日本シリーズではライオンズに4連敗
するという惨敗に終わり以後の2年は優勝を逃したまま通算7年
の任期を終えた。

 藤田ジャイアンツは最初は長嶋茂雄監督解任後に、2期目は王
貞治監督解任後に監督を引き受け貧乏くじと言われた中でリーグ
優勝4回&日本一2回を達成するなど前任者の時に成し遂げられな
かった日本一を達成している。

 特に2回目は明参謀といわれた牧野茂氏亡きあとだっただけに
独走してのリーグ優勝と、バファローズ相手の日本シリーズでも
3連敗から4連勝に大いに沸いたのだが意外な弱点が隠されていた。

 先述したように藤田監督は長嶋&王という2大スター監督の後釜
として彼らが成し遂げられなかった日本一奪回を至上命題に就任
し、見事に1年目に独走でリーグ優勝すると日本一に輝いていたの
だが第1期は江川卓・西本聖・定岡正二・加藤初の4本柱+リリー
フエース角三男で第2期は斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛巳の3本柱
を前面に押し出した戦い方だった。

 これにより81年は最終的にカープに6ゲーム差で83年も一時は
カープに逆転されるものの同じく6ゲーム差を付けて73勝&72勝
でのリーグ優勝だったし、89年は84勝しカープに9ゲーム差を90
年に至っては22ゲーム差をつけての独走だった。

 ところが優勝を逃した82年はドラゴンズに勝ち数で上回りなが
ら0、5ゲーム差で2位になっているし、92年も67勝でスワローズに
2ゲーム差で競り負ける形だった。

 実は9月以降の成績が81年10勝7敗3分。82年6勝10敗4分、83年
15勝13敗、89年15勝10敗、90年16勝6敗、91年7勝12敗、92年10
勝13敗と優勝した年でも90年以外はペースダウンしており、特に
優勝を逃した年は全て負け越しているのだ。

 つまり投手力を前面に押し出して戦うスタイルは投手陣に夏の
疲れが出て来る9月あたりからペースダウンする事になり、独走
した場合はまだしも競り合った展開では命取りになる。

 もっとも藤田監督は勝ちのみを義務付けられているので就任し
た時は能力の高い先発投手陣の3本柱がいたので、彼らを前面に
押し出す戦い方をするためには開幕ダッシュに拘り自信を付けさ
せる事が必須だった。

 それゆえに開幕ダッシュに成功した年は独走で優勝するが、失
敗した年は最終的に競り負ける形で優勝を逃すというのが藤田時
代だったのではないかと思う。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« さすがにパッ... 何とか行われ... »
 
コメント
 
 
 
Unknown ()
2023-08-25 22:28:39
こんばんは。
藤田ジャイアンズ、懐かしいですね。
投手陣を前面に押し出す戦法でした。
私個人的には藤田さんは損な役回りをしていたように思います。一次政権じゃミスター、二次政権じゃ王さんとスター監督の後引きうけました。色々バッシングをうけて大変でしたが合計4度の優勝、二回の日本一という抜群の成績を残したのはさすがではないですか。
 ところで藤田さんが就任すると古葉さんのチーム、一次政権じゃカープ、二次政権じゃ大洋ですがどちらも巨人に大幅な負け越しを食らっているんですが偶然だと思いますかそれとも古葉さんの作戦が藤田さんに見抜かれていたと思いますか?私は古葉さんが藤田さんに一言でいうと”子ども扱い”されていたと思います。ていうか古葉さんが藤田さんを怖がっている、そんな風にも見えてならなかったです。藤田さんは冷静なのに対し古葉さんは鉄拳制裁も辞さないほどの熱血漢。一回目はともなく二回目の時古葉監督は藤田巨人に負けるとやたらと
取材拒否したりピリピリした態度をとっていた、そんな
記憶があります。
   長々と失礼しました。
 
 
 
牧野茂氏が (こーじ)
2023-08-28 21:21:03
>花様

 第1期藤田時代はV9のヘッドコーチ牧野茂氏がいましたから、彼が実質監督のようなもので藤田氏が見ていたのが投手陣だけだったようです。

 だからV9のスタイルだと古葉さんは難しかったでしょうし、カープをターゲットにしてレギュラーシーズンを戦ってましたからね。

 第2期は牧野氏が亡くなってましたが、その間のノウハウは受け継がれていたようで全盛時のカープから発展途上のホエールズでは古葉氏も厳しかったと思います。
 
 
 
Unknown ()
2023-09-05 13:03:25
ありがとうございます。
牧野さんが実質監督してるようなもんだったんですね。
ところで藤田さんが1981年から1983年じゃなくて1987年くらいまで監督していたら85年の阪神優勝はなかったと思いますがどうですか?当時の阪神は打撃中心のチームでそれなりには躍進はしたでしょうけど藤田読売には及ばない、そうね、9月の後楽園直接対決でぬかされて5ゲーム差の二位だと思います。これは仮に安藤のあと吉田嘉男氏じゃなく西本幸雄氏でも
あの鉄壁な投手陣江川·西本·角·槇原、打撃陣中畑·原·淡口·松本ら率いる巨人には及ばないではないでしょうか?
下手したら1983·84·85三連覇したかもしれません。
長々と失礼しました。
 
 
 
それはないでしょう (こーじ)
2023-09-05 22:56:45
>花様

 85年のタイガース強かったですから、ジャイアンツの投手陣でもダメだったと思いますよ。

 なにせ江川&西本がガタガタで、斎藤正樹がチーム最多勝でしたから。

 この記事にもあるように藤田氏の野球はカンフル剤的で長く勝ち続けたり、独走状態でなければ優勝できないと考えてますから84年と87年は優勝できたかもしれませんが86年のようにカープとのデッドヒートになると競り合いに弱いという事から優勝は無理でしょう。
 
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