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こーじ苑
薬師寺保栄-辰吉丈一郎戦が残したもの
今から15年前の明日・94年12月4日は薬師寺保栄-辰吉丈一郎戦が
行われた日である。
網膜はく離で引退勧告を受けた暫定王者の辰吉が正規王者の薬師寺と
戦う事になったのだが、当時の試合前の予想は辰吉が断然有利。
しかし試合はオーバーワークで試合前から左手を疲労骨折していた辰吉に
対し、薬師寺が勝つ事に徹した試合をして2-0ながら完勝の判定勝ち
だった。
世間一般の注目を受けた中で行われ半端ではない盛り上がりを見せた
一戦だったが、それと引き換えに日本人同士の世界戦の乱発という
負の遺産を残している。
日本人同士初の世界戦は67年に行われた沼田義明-小林弘戦で、統一
タイトル王者の沼田に1位の小林が挑戦した形。
70年代に入りWBAとWBCが分離しても72年の大場政夫-花形進戦に
73年の輪島功一-竜反町戦ぐらいしかなく、80年代でも渡嘉敷勝男-
伊波正春、渡辺二郎-大熊正二&勝間和雄戦が目立つぐらいだった。
90年代に入ってもロシア人ボクサーの勇利アルバチャコフは渡久地隆人
と戦ったぐらいで日本人相手の世界戦は珍しかった。
ところが97年に王者になった飯田覚士は井岡弘樹と、99年に王者に
なった戸高秀樹は名護明彦と、00年に王者になった徳山昌守も名護明彦
相手に初防衛戦を行っている。
国籍が違う徳山やイーグルらが日本人相手の防衛戦というのは分から
ないでもないが、最近敗れた内藤大助は6度の防衛戦で4度が日本人相手
という珍しい形だ。
ちなみに坂田健史も5度の防衛戦で2度が日本人相手。
最後に日本人対決で盛り上がったのは00年10月に行われたWBAライト級
タイトルマッチの畑山隆則-坂本博之戦だ。
面白いのが畑山・坂田・内藤と全てTBSがOAした世界戦である。
ファイティング原田の現役時代をライブで見ている私にしてみると世界戦
とは国を代表して戦うイベントだから、日本人同士というのは指名試合でも
なければやらない方がいいと思っているくちだ。
ところが外人ボクサーを呼ぶには予算がかかるし、楽な相手と思って選
んだら とんでもなく強かったというリスクがあるのに対し、日本人相手なら
どんなボクサーか分かるし両陣営の関係者がチケットを買ってくれるので
営業も楽というもの。
しかも薬師寺-辰吉や内藤-亀田のように両者のバックボーンから来る
試合前からの話題性でも盛り上がる。
しかし ただでさえ日本人世界王者は国内のみでしか防衛戦を行わない
のに、日本人相手となれば世界的には由々しき問題で昨今話題になって
いる暫定王者の乱立に拍車がかかる事になるのだ。
つまりボクシング界そのものの足腰を弱めてしまうリスクが
大きい。
その点、本格派の世界王者である長谷川穂積や西岡利晃
らは日本人相手の防衛戦を行わないが、ある意味当然の事
だと思う。
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主要四団体が乱立し、チャンピオンが日本人だった場合など、無理に日本に来なくても他の団体(日本未公認のIBF/WBO)のベルトを狙えば良い、となっている事もこの傾向に拍車をかけていると思いますが、日本のボクシング業界のプロモート力の貧弱さが根本的な原因でしょうね。世界に伍してプロモーターとして活躍できるのが、実質的に帝拳・本田明彦氏一人のみしかいないのでは、この先もボクシングの人気低落傾向に歯止めをかけるのは苦しいように思います。
やはり この試合がターニングポイントになった感じですね。
どうでもいいバックボーンを演出しやすいし、一応は盛り上がるので・・・という形でいつの間にか定番になった感じですね。
まるで太陽にほえろの若手刑事の殉職シーンです。
やはりホンモノのプロモート能力を持ったのが帝拳
ジムだけという感じがしますが、協栄までが世界に通じないのは情けない話ですね。
先代・金平氏が存命なら亀田一家も もう少し上手く利用したかな?とも思いますけど。