‘モスクワの星’石井幸喜 唯一度の世界戦から30年

 昨年のアゼルバイジャンで行われたアマチュアボクシングの世界選手権で
日本の村田諒太が日本人初のファイナリストになって注目を浴びたが、世界
選手権
での初のメダリストは78年世界選手権で銅メダルを獲得した石井幸喜。

 今から30年前の今日82年2月11日は その‘モスクワの星’と言われた石井
幸喜が韓国の大邱でWBC:Jバンタム級王者の金鎬に挑戦したものの8Rで
KO負けして世界タイトル奪取に失敗した日である。


 実は石井幸喜はプロ入りした時から注目していた選手。

 78年のアジア大会で優勝し世界選手権では銅メダルを獲得して日本人初の
メダリストになって‘モスクワ五輪の星’と注目されたものの母親が病気で治療
費を稼ぐためにプロに転向。


 亡き父親が黒人アメリカ兵だったという事から独特のバネを持っていたしアマの
メダリスト上がりならではのテクニックを駆使したスピードに乗った連打が特徴で、
打たれモロさはあるものの世界を取れる逸材だと思っていたのだ。


 実際に陣営はプロ入りが25歳だったという事もあり最初から世界を狙う路線で
日本王者の玉城和昌にTKO勝ちするとホープの穂積秀一をKOした東洋王者の
楊弘洙にもロープダウンを奪う完勝で世界ランキング入り。


 本来フライ級だが減量苦はないのでJフライからJバンタムまで幅を広げて世界
挑戦のチャンスを待っていたところに韓国ではあるが金への挑戦が決まったのだ。


 当初はJフライ級王者のイラリオ・サパタ挑戦の方向だったので狡猾なサパタ
相手では正直すぎる石井のスタイルは相性が悪そうだったのに対し、金は81年
1月にラファエル・オロノを敵地でKOし渡辺二郎やジャッカル丸山を含めて3度の
防衛に成功していた馬力溢れるファイターだが石井のテクニックなら敵地でも勝
てると思っていた。


 ところが立ち上がりから体力に勝る金のプレッシャーに押され3Rに金がバラン
スを崩したところに右フックをヒットさせてダウンを奪ったものの、却って金の闘志
に火がついて猛攻に晒され6Rと7Rに立て続けにダウンをして結局8Rに力尽
きた形になった。


 後から採点表をチェックするとダウンを奪った3Rすら中立国ジャッジだった
リチャード・スティールでは両者のダメージを評価して10-10にしていたぐらい
石井が被ったダメージは甚大で完敗だったのだ。


 試合後体格の違いを敗因に挙げた石井はJフライ級での再起を目指し日本タイ
トル挑戦から始める路線に切り替えたが、格下と見られた日本王者の佐藤勝美
相手に引き分けると
翌年 穂積秀一の持つ日本フライ級タイトルに挑戦したものの
8RKO負けしてプロではタイトルを取れないまま引退する事になった。


 後から聞くと金戦でのKO負けしたダメージが残ったのが世界戦後の不調の原因
だったらしく‘少しでも早く世界を・・・’という路線が結果的に選手生命を縮める事に
なってしまった形だった。


 引退後は務めていた料理屋の先代の娘さんとと結婚して飲食店を営み平和に
生活をしていると聞いて、世界王者には なれなかったものの人生においては金
メダルを獲得した形になっているので救われた気がしたのは言うまでも無い。


 

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