ドーハの悲劇は何故起きた?

 93年10月28日、日本時間の22:00頃キックオフ
されたアメリカW杯アジア最終予選の対イラク戦、
勝てば悲願のW杯初出場が決まる試合は2-1と日本
リードで迎えたロスタイムにCKから追い付かれて
引き分けに終りW杯初出場はならなかった。
 決まった時のTV東京の久保田アナの実況は暫く
沈黙が続いた後に「・・・入ってしまった・・」
 その夜寝床に就いても悔しくて眠れなかった。
 ただ「ドーハの悲劇」から学んだものがある。
①まずはW杯予選は戦争と同じ。いくら実績がある
とはいえ足を骨折した都並を登録して乗り込んで
‘張り子の虎作戦’をやっても意味がないし、都並
のポジションである左SBにも本職ではない三浦泰を
起用したりしてもダメ。
②勝てなくてもいいが負けるのは絶対にダメ。
 初戦の強敵・サウジアラビアと0-0で引き分けた
後に初戦を0-3で落としたイランに対し同じリズムで
攻撃に行ってカウンターから失点した。これが命取り
になり1点づつ取り合ったものの2-1で逃げ切られて
痛い1敗を喫した。サウジと引き分けたのは当時は負け
に等しいという感覚がありイランには絶対勝たないと
いけないというムードが出来ていた。
③喜びすぎるべからず。
 3戦目で北朝鮮を3-0で破り初勝利。4戦目で今まで
W杯予選で勝った事のない韓国に1-0と完勝、ところが
この勝ちで日本の選手達は大喜び。強敵中の強敵に完勝
したのでイラクには勝ったも同然というムードが充満
していた。
④1-0とリードしたものの以後は押されっぱなしで迎えた
ハーフタイム。攻撃側の選手は「もう1点取ってアメリカ
だ」と気勢を上げ、守備側の選手は「この1点を守って
アメリカだ」と叫ぶ。肝心のオフト監督も自身がW杯初出場
となるので興奮して叫びまくるだけだったらしい。
 具体的な指示もなく後半に臨んだのだった。
⑤2-1とリードして迎えた残り5分、FW武田が投入された。
だが点取り屋の武田はクリアされたボールをキープするでも
なく持って上がり、誰もいないのにセンタリングを上げて
GKに取られロングキックで戻されて打たれたシュートをクリア
してCKを与えロスタイムに入った。

 つまり最終予選では、これだけのミスを犯している。
こういう初歩的なミスを平気でやっていたオフト・ジャパンは
サッカーの神様から「まだ早い!4年待て」とばかりにロス
タイムに追い付かれて出場を逃すという最も過酷で最もために
なるレッスンを受けたのだった。
 
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