宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「霊狐月拝法」

2012年04月02日 | Weblog





【霊狐月拝法】

この功法は、かつて口伝のみで伝えられたものであり、
様々な面での変化が見られる非常に奥深い修煉法であるとされます。
継続して練功しますが、練功の初期の段階では
病気が治るなどの効果も見られるとされます。


(1)



足を肩幅に開き足は直立させず少し曲げ、両手は自然に垂らし、
手指は若干湾曲させる。
両目を軽く閉じ、全身に力を入れず、精神を内収して
焦る思いを持たない。
そして頭の先から身体の中の雑気が足の裏に流れていって排出され、
また全身の真気が下丹田に集まるのを観想する。




(2)



両腕を左右にゆっくりと肩の高さに開き延ばし、「一」の字になるようにする。
手のひらは上に向け、足は(1)のままにする。
そして手のひらの中心の「労宮」から宇宙の真気が吸入され、
また自分の周りに自然豊かな環境があって、自然の霊気も吸入されると
観想する。




(3)



両腕を更に頭上にまで上げて合掌し、指先同士を合わせながら、
両手の平の間を少し開ける。
指先はまっすぐ天に向くようにする。
そしてこの時も全身に力が入らないようにする。
両手に真気や霊気が集合して、非常に高密度な霊的柱を形成し、
頭頂(百会)から霊的な中央の脈管に入って体を貫通するのを観想する。




(4)



腕をゆっくり下ろし、顔を若干前方に傾け、
両手を胸の中心(いわゆる壇中)の前で合掌し、
指をまっすぐに立てて、指先を眉間(印堂)に向ける。
眉間に軽く意識を向けながら、下丹田に集めた眞気や霊気が
物質的な質量や重みを持った球状の結晶体(丹)を形成するのを観想する。



(5)



上体を前方に傾ける。
手や足は(4)のままにして、1分から3分の間、この姿勢を保つ。
この間、下丹田に結晶した丹の発する熱や光を感じる。


(6)




腕を広げて斜め45度の角度に下ろし、手のひらは前方に向かうようにして、
上体を起こします。
そして下丹田の丹が、
「会陰(外陰部と肛門の間)」に降り、
それから「命門(第2~第3腰椎の間)」に上昇し、
それから「大椎(首を前に倒した時に首の後ろの下に出っぱってくる骨のすぐ下)に上昇し、
それから「玉枕(左右の耳の上の先端の線を後頭部に引いた所にある)に上昇し、
それから「百会(頭頂)」に、
それから「印堂(眉間)」に下降し、
「人中(鼻の唇の間のちょうど中心)」に入り、
それから舌先を喉の方にグッと丸めて、丹がその舌を通じて下降して、
「壇中(胸の中心)」に入り、下丹田に戻ってそこに収まるのを観想する。




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3月26日/日高市のセメント工場では大沢幸夫・日高市長らが立ち会う中、瓦礫試験焼却
 ↓
3月27日/大沢幸夫・日高市長が市長室で倒れ、緊急入院 意識不明に

http://mercury7.biz/archives/18810




「思いやり」という言葉
日本人学校に通っている娘が通知表を もらってきました。
担任の先生の所見欄を見ると、娘は「思いやりがあり・・・」と書かれています。
韓国人の妻は、「ここの所、よく わからないから全部 韓国語に訳してみて」と言います。
私は困りました。 というのは以前、日本に長く住んでいる韓国人の友人から
「韓国語に 絶対 訳せない日本語があるんだけど何だか知っているかい?」
と尋ねられたことがあるのです。 それが まさに この「思いやり」だったのです。

辞書を見ると韓国語で「同情する事」「推測すること」などと なっています。
しかし、これでは「思いやり」という言葉に含まれた深い気持ちは表現できません。
結論から言ってしまえば 韓国人は「思いやる」ということをしません。
そういう言葉が無いということは、そういう気持ちも、そういう行為も無いことになります。

小さい時から、家庭教育、学校教育、社会教育の中で「思いやり」に類したことは 
全く教育されていないのです。
韓国では幼稚園でも小学校でも、日本のように「皆と仲良く」とか「他人に迷惑をかけるな」
という教育を一切やりません。
反対に、一貫して強調されているのは「一番になれ」「他人に勝て」という事です。
例えばブランコの前で 子供たちが順番を待っている所へ、子供を連れたお母さんなり、
お婆さんなりが やってきます。
すると、並んで待っている子はおろか、ブランコに乗っている子も引き摺り下ろして
その大人の連れて来た子が ブランコに乗ってしまうのです。
その他の子供たちも それを また ごく当然の事として受け止めているのです。
良い悪いは別にして、これが韓国人の行動パターンの原型です。
自分の事しか考えないのです。
他人の事を思いやったり、他人への迷惑を気にするのは馬鹿げたことなのです。

「妻をめとらば韓国人!?」篠原令著 文藝春秋社刊 p20




日本の者が朝鮮に入り、朝鮮人家の間に雑居し、または朝鮮内地を旅行して朝鮮人の家に泊まると、
一番に困るのは家の不潔であるのと、一種の臭気を吐き気を催すほどであるうえに、南京虫がやって
来るので、実に快く眠ることができないからである。また小便壷はたいてい室の中に置いてあって、
大人でも小児でも、客の前であろうが、誰が居っても構わず、、ジャ~と小便する、またその小便器
を口の側に持って寄せて唾を吐き込む、彼らは久しい慣習で、別になんとも思わぬらしいが、日本人
の目から見ればいかにも見苦しい、たまったものではない。これが田舎になると一層ヒドいのはいう
までもないが、しかし田舎のみではない、京城でも割合に不潔でないのは大路位のみで、少し折れて
小路に入ると、その臭気は鼻をおおっていなくては通れない程で、塵や芥が道の上に散り乱れており、
家々の便所から大小便は勝手に流れ出でつつある、そこらあたりを朝鮮の小児らは平気でガヤガヤと
戯れ遊んでいる。

最近朝鮮事情 荒川五郎著  明治39年(1906年) 清水書店


放射能マークの日章旗で抗議する韓国人たち
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17425975

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