左巻きの貝は珍しく
置いておくだけで そこに福寿や調和や陽徳を呼び込むとされ、
左巻きの貝に 浄水や ガンジス川の聖水などを注いで浴させる事で
自己の浄罪が得られるとされますが、
左巻きであっても 黒色の貝や 欠けた部分のあるものや
着色した貝の場合は
功徳が得られないとされます。
左巻きの貝(ラクシュミー貝)を礼拝して功徳を得る場合は
祭壇に置いて 香などを捧げて誦します。
★「オン・シュリーム・パヨニディ・ジャーターヤ・ナマー。」
または
★「オン・シュリーム・ダクシナヴァルタ・シャンカーヤ・ナマー。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
+++++++++
俺が昭和台という団地に引っ越して間もないころの話です。
引越し後のダンボールから荷物を一つ一つ手にとって整理していた時、見慣れた卒業写真集が出てきました。
中学の時のでした。
自分は写真とかを種類別にまとめてしまうのがクセみたいだったのか、
その卒業写真集のページの間には中学時代に撮った覚えのある写真が何枚か挟まっていました。
荷物の分別の手を休めて思い出に浸りながら、写真を一つ一つ見てました。
一つ、一つと手にとってみてたんですが、ある写真を手にとったとき、妙な感覚が走りました。
自分は霊感とかまったくないけど、写真=心霊写真的な思考回路もありましたので、そういう前提も重なってか
「うへ~なんかヤベーなこれ~」
と何の変哲もない写真を怖い怖いと言ってたのを覚えてます。
それを霊感と呼ぶのか知りませんが、ほんとにその写真、
自分と友達5人が揃って写ってるだけで他に探しまくったけど、なんにもありませんでした。
それでその日、家族にもそれを見せて回ったんですが、妻はそういう系の話を信じるタイプなので面白がって(怖がって)、
これが顔に見えるだの、なんとなく全体が霧かかった写真だから、
ああだこうだ、言ってましたが無視しました。
引っ越して休みでも取れば良かったんだけど、
丁度会社も忙しい時期だったので、何とか早めに荷物の整理を終わらせようと夜遅くまで頑張りました。
2時か3時ぐらいに風呂入って歯磨きしたんですが、ず~と何かに見られてるような感覚が消えませんでした。
引っ越したばかりの家ってのもあって、マジでこの家出るのかな~ってかなりビビりまくってました。
それから1週間、何か起きたか、っていえば何にもなかったんだけど、
その嫌な感じというのが段々強くなっていると感じてました。
最初は見られてる感じがする、とかいう第6感みたいなもんでしたが、
廊下をするような足音がついてきたり、部屋にいるときに部屋の扉の前に何かが来た、
という感じがしたり(確かに足音が部屋の前で止まる感じ)
まぁとにかく自分が家にいる間はずっと誰かに見張られているような、そんな感じがしてたんです。
そんな感じで2週間ぐらい過ぎたある日、自分の人生最大の恐怖が襲います。
その日も残業で夜遅くに家に帰ってきたんですが、
風呂入って飯食って、さて歯を磨いて寝ようかな、と洗面台に行きました。
洗面台の前で歯を磨いているとき、鏡に映る自分の顔を見ながら歯を磨くわけですが、
その時自分の後ろの影がなんか濃いような感じがしたんです。
洗面台の照明が自分に当たると、自分の後ろの影がどれぐらいの濃さなのかは解るんですが、
それがいつもと違って濃いのです。
一気に酔いが覚めました、マジで。
自分のすぐ背後に誰かがいるのです。
背は自分の肩ぐらいしかないような気がします。
鼻息みたいなのが俺の背中に当たりました。
とにかくそれが人じゃないのはわかりました。
俺と壁の間は人が一人入れるスペースしかないはずなので、俺と触れてないってことは、
ソレが薄っぺらの人じゃないかぎりは壁にめり込んでるか、いわゆる幽霊ってことしか考えられない。
俺の左腕のあたりから、ソレの長い黒い髪が見えました。
俺が逃げようとすれば、鏡に反射したソレの顔が見れてしまうわけで、
とにかく顔を見ないようにしなければって本能が働きました。
見てしまったらその場でショック死するか、
一生恐怖に震えながらすごさなければならないって瞬時に思ったからです。
俺は目をつむって自分の部屋にダッシュで戻りました。
部屋の扉を閉めて布団に潜ってずっと震えてました。
そしたら扉に顔を擦っているような音が聞こえたんです。
ソレが息をして、その息が扉に当たっているのが窺える音がしました。
俺は生まれて初めて失神ってのを体験しました。
気が付いたら朝でした。
これだけ怖い思いをしたんだから、もうカンベンしてくれよ、という思いが通じたのかどうかは知らないけど、
それっきりその女(みたいなの)は現れませんでした。
じゃあアレは一体何だったの? と、ここで話が終われば、ワケ解らなくても俺はそれでよかったんですが、
残念ながらオチがあります。
俺が家に来て、荷物を整理してるときに出てきた写真。
今では妻がしつこく言うのもあって、寺に預けてあるんですが、
その何の変哲も無い(いや、無かった)写真、事が収まってふと見る機会があったので見回してたところ、
素人でもはっきりわかる違いがありました。
自分と友達5人が写ってるはずでしたが・・・
自分と友達4人が写ってました。
不自然に中央が開いて、見間違いじゃなく、そこに誰かがいたようにポッカリ空いてました。
友達がポッカリ空いたところに手をかけて(丁度肩に手をかけるように)よくその友達は倒れないな、っていう不自然なポーズ。
そのポッカリ空いた部分に居た一人が俺の後ろに立ってた女でした。
写真から抜け出して来たのか・・・
案の上、その友達は数年前に首吊って自殺してました。
何で自殺したのか。
その理由も信じたくないし、俺の体験したことも信じたくないので、詳しくは書きませんが、
この世の者が原因じゃあないらしいです。
礼拝や供養を捧げて誦す事で
阿耨多羅三藐三菩提が得られ 不退転となります。
「南無(なむ)
十方三世一切諸仏(じっぽうさんぜいっさいしょぶつ)
及未来世普明高顕(ぎゅみらいせふみょうこうけん)
吉祥峯王如来(きっしょうほうおうにょらい)
善住功徳宝峯王如来(ぜんじゅうくどくほうほうおうにょらい)
普集一切諸仏(ふしゅういっさいしょぶつ)
一切善利(いっさいぜんり)
我皆随喜(がかいずいき)
我等悉発(がとうしつほつ)
阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
++++++++++++++++
深夜のコンビニでの仕事の一つに、売上金の計算と送金作業がある。
レジおよび回収箱の中に入った金が幾らか計上して、銀行や郵便局に送る作業である。
そんな中で紙幣や硬貨を数えている時に、
「よくこんなモノをレジに出す気になるよなあ」と思ってしまうブツを良く見るのである。
錆び付いて数字が読めない十円玉であるとか、所々破けてテープ塗れの千円札。
もちろんどんなお金も基本的に受け取りを拒否する事は出来ない訳で、
一日に必ず一つ二つは、見るも無残な日本銀行券の成れの果てを手にする事になる訳で。
そんな中で一番印象に残っているのが、キスマーク付きの千円札だった。
言葉だけではどうと言う事も無いと思うのだが、想像して欲しい。
薄く緑がかった夏目漱石の肖像画。古札である。
裏返すと、向き合った鶴(…だったっけ?)が二羽。
その鶴達の真ん中に、べっとりと赤い口紅で付けられたキスマークだ。
そんなブツがある日、売上金の中に一枚紛れ込んでいた訳で。
見た瞬間に思わず「うあ」と呻いて、何とも気持ち悪い事をするなぁ、と思ったものだ。
日本銀行が発行して以来、恐らくは何百人もの手を渡り歩いてきた紙幣だ。
後ろ向きに考えれば、どれだけの手垢、細かいゴミが付着しているか知れたモノでは無い。
そんな紙幣に、口付けをしてしまう事情がまず想像付かないし、それを人前に出す神経もちょっと解らない。
そんな事をあれこれ思いながら改めてその紙幣を見てみる。
地味な色の紙幣の山の中、不気味に鮮やかな色合いの紙幣は、どこか毒性の動物を想像させる。
「嫌だなあ、さっさと郵便局に引き取ってもらおうか」
そう思って、その紙幣は送金袋の中に突っ込んだ。
これだけなら、まあ「世の中には気持ちの悪い事をする人がいるなあ」で済んだ話だ。
しばらく経った、やはり深夜の同じ作業中。
「うあ」
再び、同じ紙幣が出てきた。
え?
なんで?
軽い混乱に襲われた。
この紙幣は確かにこの前、郵便局に送金したはずだ。
こんな紙幣をお客さんに出す訳には行かないのは、コンビニも郵便局も変わらない訳で。
その同じ紙幣が、数日経たとは言え、なんで同じ店から出てくるんだ?
鮮やかな色の口紅は、何だか笑っているように見える。
とてつもなく嫌ぁな気持ちになりながら、とにかくその紙幣は前回同様に送金袋に突っ込んだ。
三度目は十ヶ月ほどブランクを空けてから来た。
そういえば去年、あんな事があったなあ。でもまあ、タチの悪い偶然だったんだろうなあ。
そう思い始めた矢先の出来事だったから、見つけた瞬間は思わず凹んだ。
正直、虚空に向かって「何でやねん!」と小さく叫んだ僕も、ハタから見るとちょっと恐かったかもしれない。
キスマーク付きの千円札。
見れば見るほど不気味なブツであり。
持っているだけで不幸になりそうな、そんな予感がある。
どう始末を付けたかは、過去二回と同様である。
「お金に呪いとか何か込められるのかねぇ?」
ある日、久しぶりに友人に会った時世間話的に尋ねてみた。
キスマークの千円札が出てきた前後に、自分や店に不幸があった訳ではないが、
明らかにあの紙幣は意思を持っているように感じたのだ。
そして、アレに意思があるとしたら、それは決して『よいもの』では無いと思うのである。
この友人は、高校時代から勉強そっちのけで様々な雑学を憶える事に励み、
ちょいオタな仲間達から「雑学王」
「ある意味クレアバイブル(※異界黙示録。ライトノベル『スレイヤーズ』を参照のこと)」
と呼ばれ恐れられたり恐れられなかったりした男である。
「聞いた事無いけど、出来たとしてもしょうがねぇよなぁ」
「しょうがない?」
「人間に食べられる為に殺される動物達の霊はどうなってんだ、って疑問と一緒でな。
在ったとしても、何の手立ても無い訳だしさ」
家畜の霊が恐いから肉食を止める事は出来ないし、呪われたお札があるからお金を使うのを止める訳にもいかない、
と言う事か。
「考えてみると金ってやつは、確かに呪いとかには便利だよな?
赤の他人同士がやり取りするのに何の疑問も抱かないのは、これぐらいのモンだし」
「いや、そうでも無いだろ」
友人はちょっと考えてから返答してくる。
「赤の他人同士簡単にやり取りするんだから、
呪いたい相手がいつまでその紙幣を持ってるのか判らないんだぞ?
仮に誰かがお前のコンビニを呪いたいからって、そんな事をしたとして、
実際、一日経たずに紙幣は郵便局に送られちゃってるんだしさ」
古戦場から出てきた鎧兜や、廃屋から掘り出した鏡みたいにはいかないか。
確かにそうだよなあ。
「まあ、誰でもいいから呪いたい、って話なら別だけど」
「………」
……今のご時世、そんな奴普通に居そうでヤだなあ。
「あー、まあ、その紙幣に呪いがかけられてるって話自体、飛ばしすぎじゃ無ぇの?
どっかのアホなホステスか何かが、酔っ払ったあげくにアホな事をしただけ、
って可能性が一番高いって言うか、多分そうだろ」
でも、では何故あの紙幣はウチの店に何度も何度もやって来るのか。
「紙幣ナンバー、憶えてるのか?」
「は?」
「同じ紙幣なのかな、それは」
思いもよらなかった事を言う。
確かにナンバーは控えていない。て言うか誰も控えないだろいちいち。
「郵便局だって、一回位はそんな汚れた紙幣をお客さんに間違って出しちゃうかもしれない。
でも、それが二度三度続いて、
しかもそれが回りまわって同じ店にやってくるってのは、確率的にちょっとおかしいだろ」
「うーむ」
「それよりは、お前の町のどこかで誰かが、そういうキスマーク紙幣を『量産』して流通にばら撒いている、と。
その内の何枚かが、お前の店に何枚か流れてきたと。
そう考える方が、確率的にはおかしくないんじゃね?」
「うーむ」
確かに、確率的にはそちらの方がおかしくないだろうさ。
でも、お話としてはどうだろう?
女が一人、自分の部屋で口紅を塗っては千円札に鮮やかなキスマークを付ける。
財布の中に入っている限りの千円札に口付けをしていく。そんな光景。
どんな理由があろうとも、それは想像するだにおっかない情景では無かろうか。
「そのキスマークにどんな意味があるのか知れないけど、仮に呪いを込めてるとして」
友人が最後にこう締めくくった。
「そいつはお前や店を呪ってるんじゃ無い。
しばらくは『それ』が流通するであろう、お前の町全体を呪ってるんだと思うよ」
ともあれ、僕が体験した一番不気味な出来事は、僕自身には一切害のないまま幕を閉じた訳で。
キスマーク付きの千円札は、それ以来見かけない。
供物を捧げて
世間財(現世的な財や福)を司るダーキニーに
献じると観じて誦します。
「ウン
ジョ・ラブトゥ・ジグペ・ドゥルトロ・ネ
ジグテン・カドロ・トゥモ・チェー
シントゥ・ミゼ・ジグペ・ズン
ブメ・ル(Lの発音)ラ(Lの発音)・ゴンイェン・チャン
トパ・ズンズィン・トラグ・チュエン・トゥン
ミロ・ザズィン・シュル(Lの発音)レ(Lの発音)ン
ティンズィン・ニュル(Lの発音)ズィン・ツォグカン・ドリム
デダン・マル(Lの発音)・タムチェ・キ
+++
(トルマを献じる場合にこの部分を誦す)
カイ・トルマ・ディゼ・ラ(Lの発音)
ンゴンギ・ダムチェ・ジズイン・ドゥ
+++
ダムツィン・スンラ(Lの発音)・トリンレ(Lの発音)・ゾ。」
「六臂大黒天の加持を受ける」
(六臂大黒天)
六臂大黒天に供物を捧げて誦します。
「ウン
恭敬致礼速作観自在(きょうきょうちらいそくさかんじざい)
マハカラ身著虎皮裙(まはからしんじゃくこひくん)
六臂以蛇荘厳善厳飾(ろっぴにだそうごんぜんごんしょく)
右執鉤刀中持数珠鬘(うしゅこうとうちゅうじじゅずまん)
末手猛利振響トルマ如(まっしゅもうりしんきょうとるまにょ)
左持顱器以及三股叉(さじろきにぎゅさんこしゃ)
如是並執羂索作繁縛(にょぜへいしゅけんじゃくさはんばく)
威猛面上りょう牙尽(いもうめんじょうりょうがじん)
三目威猛髪上聳熾然 (さんもくいもうはつじょうしょうしねん)
于其額間善塗紅丹粉(うごがくげんぜんとこうたんふん)
頂上封緘不動仏王印(ちょうじょうふうかんふどうぶつおういん)
懸佩五十滴血人首鬘(けんはいごじってきけつにんしゅまん)
頂以五乾こ髏宝荘厳(ちょうにごかんころほうそうごん)
従樹而来受取トルマ者(じゅうじゅにらいじゅしゅとるましゃ)
吉祥六臂尊前敬礼讃(きっしょうろっぴそんぜんきょうらいさん)
祈尊凜肅守護仏聖教(きそんりんしゅくしゅごぶっしょうきょう)
凜肅讃揚三宝尊首位(りんしゅくさんようさんぽうそんしゅい)
祈令我等師徒眷属衆(きりょうがとうしとけんぞくしゅ)
一切悪縁中断皆息除(いっさいあくえんちゅうだんかいそくじょ)
任何所欲悉地速賜予(にんかしょよくしっちそくしよ)。」
「ウン
上師怙主無別異(じょうしこしゅむべつい)
以誠恭敬我帰依(にせいきょうきょうがきえ)
我等一切諸有情(がとういっさいしょうじょう)
煩悩無余令除遣(ぼんのうむよりょうけんじょ)
怙主上師無別異(こしゅじょうしむべつい)
以誠恭敬我帰依(にせいきょうきょうがきえ)
我等一切諸有情(がとういっさいしょうじょう)
中断無余令除遣(ちゅうだんむよりょうじょけん)
上師怙主(じょうしこしゅ)
無緩令成就(むかんりょうじょうじゅ)。」
何遍も誦す。
「オン・ベンザ・マハカラ・クシム・クセトラ・ビガネン
ビナヤカ・ウン・ウン・パット・パット・ソーハー。」
1遍誦す。
「オン・シュリ・マハカラ・シャサナ・ウパ・ハリニ
エコ・アパツィ・マカロ・アヤム・イダム・ラトナトラヤ
アバカリニ・ヤティ・プラティツァン・マラシ・タダ
イダム・ドゥタム・カカカヒ・カヒー
マラ・マラ・グリハナ・グリハナ・ベンダ・ベンダ
ハナ・ハナ・ダハ・ダハ・パツァ・パツァ。デナ・メケナ
マラヤ・ウン・ウン・パット・パット・ソーハー。」
(百字眞言)
「オン ベンザ サト
サマヤ マヌパラヤ
ベンザ サト テノパ ティタ ディド メバワ
スト カヨ メバワ
スポ チャヨ メバワ
アヌ ラト メバワ
サルワ シッディ メタヤツァ
サルワ カルマ スツァメ
ツィッタン シュリヤン クル ホン
ハハ ハハ ホー
バガワン サルワ タターガタ
ベンザ マメムンツァ ベンザ バワ
マハ サマヤ サト アー。」
(回向)
「今茲虔修諸功徳(こんしけんしゅしょくどく)
成就無上大黒天(じょうじゅむじょうだいこくてん)
所有衆生無一余(そうしゅじょうむいつよ)
尽安之爾刹土中(じなんしにせつどちゅう)
三時如来一切仏(さんじにょらいいっさいぶつ)
回向中之最勝者(えこうちゅうしさいしょうしゃ)
自他所有諸善根(じたそうしょぜんこん)
為利楽故作回向(いりらくこさえこう)。」
「障が除かれ 善道が開かれる」
タイ仏教における呪で、
礼拝や供養を捧げて誦す事で
障が除かれ 善道が開かれます。
最初に3遍誦す。
★「ナモ・プッタッサ・バガヴァト・アラハト
サムマ・サムブッダーサ。」
1遍誦す。
★「プッタン・カエル(Lの発音)ウクラー(Lの発音)ド
ダムマン・カエル(Lの発音)ウクラー(Lの発音)ド
サンガン・カエル(Lの発音)ウクラー(Lの発音)ド
プラプッチェアー・ヤーン・バト
イティピソ・パカワー
プッタン・バンケイド・ペイドロ(Lの発音)ク
ダムマン・バンケイド・ペイドロ(Lの発音)ク
サンガン・バンケイド・ペイドロ(Lの発音)ク
プラ・アラハン・ウッタン・アットタン・ウット・アト
アット・トアッタン・ウト。」