宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「グラフの信憑性」

2008年01月21日 | Weblog
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【シベリア凍土急速に融解 地温上昇、雨や雪が影響】

ロシアのシベリア東部で2005年以降、地中の温度が急上昇し
永久凍土が急速に解けているとの調査結果を海洋研究開発機構の
大畑哲夫プログラムディレクター(雪氷学)らのグループが18日、発表した。

地球温暖化による北極域の気温上昇で、降水や積雪量が増えたのが
原因とみられ、大畑さんは「周辺では、凍土溶解によるとみられる
森林の異常や、冬に河川の水が増える現象などが既に起きている。
大気循環が変わって日本の異常気象につながる恐れもある」としている。

グループは、ロシア水文気象環境監視局によるシベリア東部3地点の
観測値を解析。
3地点の地下3.2メートルの年平均温度は、1970年の氷点下2.8度から
2004年の同2.6度までは緩やかな上昇だったが、05年は同1.8度、
06年は同1.5度と急上昇。

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「夢と鷹はあわせがら」

2008年01月20日 | Weblog
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昔バグダッドに巨万の富を積んだ大尽がいましたが、
すっかり財産を使い果たして素寒貧になり、苦役について
辛うじて渡世をしておりました。

ある晩しょんぼりとうち萎れて眠りにつきましたが、夢の中で
「まことお前の幸運はカイロにある。そこへ行って探してみよ。」
と告げるものがありました。

そこでカイロへ出かけましたが、丁度辿り着いた時分に日が暮れ
ましたので、とある寺の中に入って体を横たえました。

ほどなく全能のアラーの御定めにより、夜盗の一段がこの寺に
入って来て、そこから隣の家へ押し入りました。
しかし夜盗らの物音に目を覚ました隣家の人達は大声で叫び
ましたので、警備頭が役人達を引き連れて救助にかけつけ
ました。

夜盗共はいち早く姿をくらましましたが、警備頭が寺に足を
踏み込むと、バグダッドからやってきた例の男が眠っているので
ひっ捕えた上、棕櫚の笞でしたたか打ち据えました。
そのため男は今にも息が絶えんばかりのありさまになりました。
それから牢獄へ放り込まれて三日間経ちました。

そのうち警備頭はくだんの男を引き出すと、
「きさまは何処からやって来たのか。」と言いました。
「バグダッドから参りました。」
「なんでまたカイロにやって来たのか?」
「実は夢の中で『お前の幸運はカイロにある。カイロへ行け。』
というお告げがあったのでございます。
けれどもカイロへ来てみれば夢の中で約束された幸運は、
貴方がたんまり下さった棕櫚の笞でございました。」

警備頭は知恵歯をむき出して笑いこけ、
「浅はかな奴め。
私にも夢の中で三度お告げがった。
『バグダッドのこれこれの地域に一軒の家がある。
これこれの造りで、その中庭は花園風にしつらえてあり、
片隅に噴水があって、その下に莫大な金子が埋めてある。
行って掘り出すがよい。』とな。
が、わしは出かけはしなかった。
ところがお前はチンプンカンプンな戯言んいすぎん夢を真に
受けて、あちこちうろつき回っているわけだ、
頓馬な奴めが。」

それから警備頭は、
「さあ、これをやるから故郷へ帰るが良い。」
と言いながら、何がしかの金子を与えました。
男はそのお金をもらって故郷へ旅立ちました。

ところで警備頭が話した家は、バグダッドのその男の
持ち家の事でしたから、男は帰り着くと早速庭の噴水の下を
掘り、莫大な財産を探し当てました。

こうしてアラーは夥しい財産をこの男に恵まれたわけで、
まことに不思議な暗号でござました。

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現在のように合理性・効率性を追及する文化の中にあっては、
この男の啓示に対して、男の持ち家に金子が埋まっている
ならば、何故最初からそのように伝えられず遠いカイロまで
行くように告げられたか、また何故夜盗に間違われて一度罰を
受けねばならなかったかという事が疑問として強く感じられ
ますが、人間側から見た合理性・効率性が必ず正しいという
わけではないのかもしれません。

日本でも夢に関してこれと似たようなお告げの話や、夢を
買った・買われた話、また悪夢を見た際の対処法など
様々な事が現在に至るまで伝えられていますが、
実現して欲しいような良い夢を見た場合、その夢の
細部まで忘れないようにし、誰かに話したり記録したりせずに、
朝食を軽くし、三時間以内はあまり話さないようにし、
正午前に二つの掌を並べてスクリーンのようにして、そこに
その夢を最初から最後まで映し出すようにして、夢を吐き出す
つもりで掌に息を吹きかけてから、掌をお椀形にして一気に
飲み込むようにすると、その夢が正夢になるとも言われています。

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海流の中の火

2008年01月19日 | Weblog
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画像は少女雑誌「マイバースデイ」の妖精シリーズの
初期の頃の絵のもので、海の妖精マーメイドです。)


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水産庁は18日、南極海で調査捕鯨船「第3勇新丸」が、
反捕鯨団体「シー・シェパード」メンバーから薬品入りのビンを
投げられたと発表した。

同庁によると、18日午前2時ごろ、「シー・シェパード」の
ゴムボートが監視中の同船に近づき、臭気がある酪酸入りのビンを
船に10本ほど投げ、引き返した。
怪我人はなかった。

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80年代の奥尻島で、災害連絡用の各地へのアナウンスの
スピーカーを使用して、「各自容器を持参してこれこれの海岸に
来るように」という珍しい放送がされました。

何の事であったかと言えば、自然死して間もなくの鯨の死体が偶然
奥尻のある海岸に漂着したので、皆で鯨肉を分け合うための
放送だったのですが、現在国際的に「鯨」というのは外交、歴史、
文化、海の環境保護などのあらゆる点から非常に複雑な扱いを受けて
いるように感じます。

先日も同団体「シー・シェパード」による同様の手段の抗議活動が
ありましたが、「水生生物に対して毒性がある」「環境中に放出して
はならない」という扱いの酪酸入りのビンを投げつける行為は、乗員に
対する殺傷の意志があると見て間違いないわけで、生命倫理の点から見て
非常に矛盾しているように、個人的に感じました。

欧米の反捕鯨団体によると、「日本は調査捕鯨の名目で食用の
捕鯨を行っている」との事で、日本の調査捕鯨船を狙ったのも恐らく
その辺りの理由による所が大きいのではないかと思いますが、
鯨を守るために体当たり的に反撃して人間側を犠牲にするという
方法や発想では根本的な解決に至らないように思います。

………

ちなみに安全な航海のための方法として、乗船する直前に
船に背中を向けて足を開き、上半身を前に倒して、丁度
股の間から船の方を見、その体勢で乗船している人を見て、
通常の体勢で見て何でもないのに、股の間から見て乗客全員
の顔に傷があるように見えたら、その船は難破などの可能性
があるので乗船を見合わせるべきという伝えがあります。
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「アルヴェルトゥスの薔薇姫」

2008年01月18日 | Weblog
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画像は現在休刊中の少女向け雑誌「マイバースデイ」の
シリーズの一つの雑誌の、80年代の付録です。

この絵は「アルヴェルトゥスのバラ姫」と題されていますが、
この「アルヴェルトゥス」というのはカトリック神学者でもあった
カトリックの聖人であり、また錬金術師でもあり、哲学者でもあり、
砒素の発見者でもあったという多面的な顔を持っている
「アルベルトゥス・マグヌス」の事であり、この「錬金術」の部分で、
「人造人間を製造して自分の召使にしていたが、それを
不気味に思った弟子の手で破壊された」
「冬の庭園にバラの花を咲かせた」などの数々の伝説が
伝えられています。

この絵はその「一人の貴婦人のために冬の庭園に見事なバラの
花を咲かせた」という伝承を基に描かれた絵で、
この絵は下敷きの仕様となっていて、この絵を下敷きとして
使用して手紙や絵をかくと、そのバラを咲かせた魔法が効いてくる
とかいった説明でした。

伝説が真実であるかはともかく、大人になった今でもこの絵を
個人的に気に入っています。

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「運と努力」

2008年01月17日 | Weblog
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80年代に出版された某西洋占星術家のエッセイからです。

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この原稿を書くために"さあ、何にしようかナ"と近所を散歩して
いたら、すれ違った人が「まったく運がいいとか悪いとか、同じ
人間なのにどこか違うのかしらネ」と話しながら遠ざかって
行きました。
これは運命を研究している私にとって、一つの問題提起だと
思い、しばらくの間考えてみました。

本当にそうですよね。
だって確かに結果としてマルとバツ、OKとNOがあるのですもの。
一体どこが違うのかしらね!?
というわけで私は、こんな風に考えてみました。
人間には色々な環境、境遇の違いはあるにしても、"今この時、
すでに運を選ぶための色々な準備をしつつ生きている"とまず
仮説を立ててみたのです。
そして、それが報われた時は運がいい、しかし報われなかった
時には運が悪いという結論を出すのでしょう。

とは言え、毎日意識して頑張っているわけではないので、報われ
ない事の方が多く、たまたま人よりちょっと(意識しようがしまいが)
頑張り続けてきた人は、チャンスをつかむという結果になり、
これが運がいいように見えたりもする……。
また日頃から努力を続けてきた人は、いざ目の前にチャンスが
やってきた時にキャッチ出来る。
でも毎日が日曜日だった人には、チャンスが目の前にやって
きても、つかみ方がわからない、つかんでも使いこなせない。
そんな違いが結果として、上手くいった、いかない、という事に
なり、それをある人達は"運"という言葉で片付けてしまうかも
しれない、という事です。

だから運と努力は全く関係がない事はない、と私は思うのです。
努力してもどうせダメ!!と思っているあなたは、なぜ努力
してもダメなのか、その「なぜ」の部分をよ~く考えてごらん
なさいね。

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いわゆる「棚ボタ式の運」というものもありますが、殆どの
日常生活における場合の「運」は日々の努力と無関係ではない、
という考察です。
現在は「ゆとり」の影響か「努力」をせずに「運」だけを
手に入れるといった向きが見られますが、こうした場合の
「運」はやはり努力と無関係ではないようです。
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「幸せがやってくる……」

2008年01月16日 | Weblog
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80年代に出版された少女向けおまじない本からです。

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「私は何をやってもツイていない、私には幸運はないんじゃ
ないのかな……」
何て言っている君は、いないかな?
でも幸運は誰もが持っているものなんだ。

生まれてこの方、ずーっと不幸だったって言う君も、もう一度
君の歩いてきた人生を振り返ってごらん。

きっと病気になったはずだし、ケガもした。
車や電車や、飛行機にも乗ったはずだ。
危険が一杯のこの世の中で、でもどうにか無事に過ぎてきて、
今生きている……。
これってとっても幸せだなァと思わない?

これはみんな、君が知らないうちに持っている「幸運」の
お陰なんだよな。
でもこの幸運というやつがちょっとクセもの。
君がもともと持っているもののはずなのに、こっちが欲しいと
思った時には、何故か中々出てこない。

その君が隠された幸運を、君が望んだその時に、強力に
引き出してくれるのが「おまじない」なんだよな。

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毎日不満ばかりという人に、「最初に小さな幸せに気づくこと」
がしばしば勧められますが、「自分がここまで無事に生きて
いる」、という事にまず感謝すべきなのかもしれません。

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「夢の中で不可思議な体験を得る」

2008年01月15日 | Weblog





眠りに入る前に
「オン・アー・ウン」を誦し

それから7遍

「南無(なむ)
大日如来仏(だいにちにょらいぶつ)。」

または

「南無(なむ)
本師釈迦牟尼仏(ほんししゃかむにぶつ)。」を誦して それから就寝する。

そのようにして
夢の中で不可思議な体験が得られるとされる。
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「魔法使いってなに?」

2008年01月14日 | Weblog
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80年代に出版された児童書の魔法本からです。

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魔法使いとか魔女と聞くと、皆さんはおとぎ話に出てくる、
白雪姫に毒りんごを食べさせた悪い魔法使いのような、
腰の曲がった、恐いお婆さんを想像するかもしれませんが、
実際はそうではありません。

確かに魔法使いの中には、人を不幸に陥れる悪い魔法使いも
いますが、殆どはメリーポピンズのような、皆に夢を与え、
人々に愛と幸せを運んでくれる、優しくて美しい、良い魔法
使いなのです。

そういう魔法使いはいつ頃からいたかというと、それはもう
紀元前の昔に遡ります。
その頃の魔法使い達は、鉛を金に変えたり、病気や怪我で
苦しんでいる人を治したりして、人々の幸せのために力を
貸していました。

しかしその力があまりに偉大であったために、一部の悪い
権力者達は、自分達の権力を守るために、何の罪も無い
魔女達をことごとく殺し始めました。
ヨーロッパで行われた魔女狩りなどがそうです。
でも、殺されたのは殆どが普通の人でした。

それから魔法使い達は自分から名乗り出る事を止め、
魔法使いの子孫達も、自分達に魔法使いの血が流れて
いるとは気づかなくなりました。
もしかしたら、皆さんの中にも魔法使いの子孫がいるかも
しれませんね。

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六色の折鶴

2008年01月13日 | Weblog
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【ピンクの囚人服着用を義務付け~アリゾナ州マリコパ郡、
飲酒運転違反者に 】

アリゾナ州マリコパ郡で飲酒運転で逮捕されると、ピンク色の
囚人服を着用しなければならない。

AP通信によると、飲酒運転による受刑者を軍の古いテントに
収容していることで知られるマリコパ郡のジョー・アルパイオ保安官が、
新たな案を採用した。
飲酒運転で有罪となった受刑者にピンクの囚人服を着せ、アルコール
中毒で死亡した人々の埋葬作業をさせるというものだ。
保安官は、これが飲酒運転の防止につながることを期待している。

また、受刑者らは服だけでなく、下着もピンク色のものを着用
させられているという。

今月上旬、背中に「DUI(飲酒運転)保安官チーム」、前に
「クリーンでしらふ」と書かれたピンク色の服を着て、15人の囚人が
市内道路の清掃にあたった。
クリーンは「清掃中」と「飲酒していない」という二つの意味をかけている。

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昔から色彩の選択によって心理を知る方法、また特定の
心理的効果を呼び起こすための色彩の活用に関して
関心を持っていますが、刑務所で「ピンクの囚人服」の
採用した所、「こんな恥ずかしい思いは二度としたくない」と
年々再犯率が低下し、その刑務所に戻る囚人の率が
激減したとの事です。
しかしピンク色着用に対する廉恥心だけでなく、色彩の
心理的効能もあっての事ではないかと感じました。

色彩を用いた心理テストは幾つもありますが、わたくしの
手元にあるのは自分で赤、黄、緑、オレンジ、紫、白の
六枚の折り紙で鶴を折り、出来上がったらそれを
意中の男性に並べてもらい、一番最初に選んだ色によって
彼の好みのタイプの女性を知るというものがあります。

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(赤)彼はちょっと面食いみたい。
積極的でお嬢さんタイプの美人が好みのようです。

(黄)明るくて、話していて飽きない女の子が好きな彼です。
誰にでも笑顔でこたえてね。

(緑)美人でなくても、個性的で大人っぽい子が好み。
女らしさを強調して。

(オレンジ)彼の好みは可愛くてみんなの人気者の女の子。
素直な可愛さを出してね。

(紫)髪の長い、無口でしとやかな大和撫子が彼の好み。
でしゃばってはいけません。

(白)礼儀正しく、よく気のつく、面倒見のいい女の子が
彼の理想です。
誰にでも親切にしてね。
清潔感もポイントよ。

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版画の招き猫

2008年01月12日 | Weblog
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画像の方は80年代の一時期に某雑誌より発行された
招き猫の版画で、「このポスターを飾った月から業績が
上がり、赤字から黒字になった」とか、「急に金回りが
よくなった」とか、「売り上げや来客が増えた」などの
体験談が紹介されていました。

Wikipediaを見ると、「招き猫はアメリカでも人気があり、
dollar cat、もしくはwelcome catと呼ばれている」と
紹介されていますが、わたくしの住まう中西部では
土地柄のせいか、招き猫は一度も見かけた事がありません。

この招き猫の起源には諸説があり、

江古田ケ原の戦い(1476年~1478年ごろ)で、
劣勢に立たされ道に迷った太田道灌の前に猫が現れて手招きをし、
自性院に案内した事をきっかけに盛り返すことに成功した
太田道灌は、この猫の地蔵尊を奉納した事から、猫地蔵を
経由して招き猫が成立したというもの、

江戸時代中期に、豪商が子供をなくし、その冥福を祈るために
猫地蔵を自性院に奉納した事が起源であるとするもの、

江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝(1590年3月16日- 1659年
8月16日)が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった時に、この寺の
和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に
立ち寄り休憩すると、雷雨が降りはじめ、雨に降られずに
(或いは落雷に当たらずに)済んだ事を喜んだ直孝が、後日
荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、
豪徳寺は盛り返し、和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔い、
後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手をあげている姿を
かたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになったと
いうもの、

更に、吉原の名娼妓である薄雲太夫が厠に入ろうとすると、飼い猫が
狂ったように太夫の着物の裾を離さず、太夫が恐れて叫び声を
上げて楼主が猫の首をはねると、切られた首が厠を狙っていた
大蛇の頭に食らいつき、事情を悟った太夫が近くに猫塚を建てて
徳を称えた事からお守りとして作られ始めたなどがあります。
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