たぶん「細野晴臣ソングライター」というapple music のプレイリストから流れてきた「しらけちまうぜ」(小坂忠 作詞松本隆)を聴きながら「当時の人はあきらめがよかったんだな」とふと思う。
演歌によく歌われていた「未練」に対するアンチテーゼか。
70年代の歌謡曲を思い出すと「勝手にしやがれ」(沢田研二)とか、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)なんかも、別れに際してすっぱりあきらめることを志向する歌だなと思う。ダンディズムとはこういうことを言うのかな。どちらも阿久悠作詞。
しかし、あきらめの美学を歌うのはもっぱら男の人で、女の人はあきらめない。
ぱっと思いついたのは「待つわ」(あみん)とか、「まちぶせ」(石川ひとみ)とか、80年代のヒット曲。「未練」の演歌は「あきらめたいけど、あきらめきれない思い」を歌っているのだと思うが、これらの歌の主人公はきっぱりと「決してあきらめない」。
「あきらめない」歌の頂点は「何度でも」(ドリームズカムトゥルー)と思う。一万回やってもあきらめないのかと、初めて聴いたときは震え上がったものだ。
もっとも、「何度でも」で歌っているのは、かならずしも対人関係のことではないようなので、自分の理想を実現するためということであれば、まぁ時間と労力が許す限りの挑戦は、あり、かと思う。
もしこれが恋愛の歌だと思って力を得ている人がいたら、心底怖い。
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「あきらめる」とは「明らかにする」ことでもある、そうだ。
明らかに駄目なことはあきらめるべきだし、実現可能性ありということが明らかならば、あきらめずにがんばることが推奨される。
「恋は盲目」とも言うし、恋愛関係で「明らかにする」ことは難しいのかもしれない。ストーカーになってしまいそうな人はちょっと「しらけちまうぜ」を聴いてみるといいかもしれない。でも気質が違うと響かないかな…
今回のパリオリンピックでは「あきらめない」がキーワードの成果をいくつか聞いた。これは良い方の「あきらめない」。
「あきらめる/あきらめない」がどうして自分は気になるのか。対人関係ではないのだけれど。自分の場合は、いろんなやりたいことの実現可能性について思うことが増えてきたからか。
体力とか環境とかいろいろ以前のようにはいかなくなってきて、いつでもできると思っていたこともそうではないということに遅まきながら気づいたということもある。
具体例でいえば旅行。どうしてもっと若くて円高で世界の治安もよくてオーバーツーリズムという言葉もまだ聞かれていなかった頃に、もっと海外を旅しておかなかったのか。…と悔やんでも仕方がないので過去のことは「あきらめる」として、これからはどこまでをあきらめて、どこからをあきらめないべきなのか、いろいろ考えてしまうのであった。