10月15日午後10時よりBSプレミアムで
「シリーズ東京 街はこうして輝いた 青山 石津謙介」
という番組を観た。
予告を見ておもしろそうだなと思って。
そして実際、初めて知ることばかりでとてもおもしろかった。
・青山通りがファッションストリートである所以はVANの移転に始まること。
移転の理由に、緑が豊かであることと、東京オリンピックによる国立競技場建設などでここがスポーツの中心になること、それが、アイビーの精神に合致している。
また、青山は高い土地にあるので、ここで流行するものは赤坂、新宿、渋谷と低いところへ流れていく。
(「高い」と聞くと反射的に価格のことかと思ってしまうけど、東京の地形のことなのね。坂道のことを思い出して、ははぁと実感)
・「スタジアムジャンパー」「トレーナー」は石津氏の造語である。
・東京オリンピックのユニフォームは石津氏の監修である。
あらためてじっくり見るとジャケットの形といい、赤と白、プラスアクセントに黒という配色といい、すっきりとしてとてもオシャレ。
(「東京オリンピック」記録映画の監督は市川崑だし、オリンピックとか国家行事にも、ハイセンスでカッコイイ人は関わっているのだなとあらためて発見したように思った)
石津謙介氏の履歴も興味深かったが、驚いたのは、「先の戦争がその人の人生に負の影響を与えていない例もあるのだ」ということだった。
実際はいろいろあったのかもしれないが、略歴を見る限り、戦争による物心両面での喪失とか失意とかそういうものは感じられない。
グライダーを趣味としていた石津氏は、軍のグライダー操縦の指導として、中国天津に渡り、兵役は免れる。
天津では洋品業に携わる。
軍国主義の恩恵を受けていた人は戦後ガクッとなるイメージがあったけど、英語ができた石津氏は通訳として活躍し、そこでアイビーについても教えられる、と。
-----
石津謙介氏の服は、平成の初め、購入していた通販雑誌フェリシモでも販売していて、そのときの流行とは全然違うけど他のページよりもダントツセンスがいいなと思っていた。
私がアイビールックをいいなと思うのは、個人的な好みもあるけど、私が幼児から小学生頃までの刷り込みもあるのかなと思った。
当時の児童向けファッション書籍(「おしゃれ入門」とかあった)をつくっていたのが、VANに影響を受けた若い大人たちだったのかな、と。
そこで唐突なようだが、ふと思い出したのは、サンリオの「キティちゃん」。
今のキティグッズの基調色はピンクでそこはかとなくヤンキーテイストだが、私が幼児のころは違った。
きっぱりとした赤、もしくは白。あれはアイビールックの流行に同調していたと思う。
キティちゃんの絵のついたまっ赤な小さいスポーツバッグは、どんなお洋服にもよいアクセントになって、当時こだわりオシャレ女子(?)だった私のお気に入りだったのであった。
私の青春期以降のうっすらとした不満は「アイビールック的なものの流行を待ち望んでいるのにいっこうにそうならない」ことだったような気がする。流行りは関係ないというけれど、流行の形は廉価普及版が大量に出回るけれど、流行らないと値段が高かったり、直接は買えなかったり、気後れしたりして、手が出ないのだった。
(と、書きながら、そういうことを乗り越えてこそオシャレといわれるのかなとも思う^^; 私としては日常気軽にお財布に優しく気持のよいものを着たいと思うけど・・・)
「シリーズ東京 街はこうして輝いた 青山 石津謙介」
という番組を観た。
予告を見ておもしろそうだなと思って。
そして実際、初めて知ることばかりでとてもおもしろかった。
・青山通りがファッションストリートである所以はVANの移転に始まること。
移転の理由に、緑が豊かであることと、東京オリンピックによる国立競技場建設などでここがスポーツの中心になること、それが、アイビーの精神に合致している。
また、青山は高い土地にあるので、ここで流行するものは赤坂、新宿、渋谷と低いところへ流れていく。
(「高い」と聞くと反射的に価格のことかと思ってしまうけど、東京の地形のことなのね。坂道のことを思い出して、ははぁと実感)
・「スタジアムジャンパー」「トレーナー」は石津氏の造語である。
・東京オリンピックのユニフォームは石津氏の監修である。
あらためてじっくり見るとジャケットの形といい、赤と白、プラスアクセントに黒という配色といい、すっきりとしてとてもオシャレ。
(「東京オリンピック」記録映画の監督は市川崑だし、オリンピックとか国家行事にも、ハイセンスでカッコイイ人は関わっているのだなとあらためて発見したように思った)
石津謙介氏の履歴も興味深かったが、驚いたのは、「先の戦争がその人の人生に負の影響を与えていない例もあるのだ」ということだった。
実際はいろいろあったのかもしれないが、略歴を見る限り、戦争による物心両面での喪失とか失意とかそういうものは感じられない。
グライダーを趣味としていた石津氏は、軍のグライダー操縦の指導として、中国天津に渡り、兵役は免れる。
天津では洋品業に携わる。
軍国主義の恩恵を受けていた人は戦後ガクッとなるイメージがあったけど、英語ができた石津氏は通訳として活躍し、そこでアイビーについても教えられる、と。
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石津謙介氏の服は、平成の初め、購入していた通販雑誌フェリシモでも販売していて、そのときの流行とは全然違うけど他のページよりもダントツセンスがいいなと思っていた。
私がアイビールックをいいなと思うのは、個人的な好みもあるけど、私が幼児から小学生頃までの刷り込みもあるのかなと思った。
当時の児童向けファッション書籍(「おしゃれ入門」とかあった)をつくっていたのが、VANに影響を受けた若い大人たちだったのかな、と。
そこで唐突なようだが、ふと思い出したのは、サンリオの「キティちゃん」。
今のキティグッズの基調色はピンクでそこはかとなくヤンキーテイストだが、私が幼児のころは違った。
きっぱりとした赤、もしくは白。あれはアイビールックの流行に同調していたと思う。
キティちゃんの絵のついたまっ赤な小さいスポーツバッグは、どんなお洋服にもよいアクセントになって、当時こだわりオシャレ女子(?)だった私のお気に入りだったのであった。
私の青春期以降のうっすらとした不満は「アイビールック的なものの流行を待ち望んでいるのにいっこうにそうならない」ことだったような気がする。流行りは関係ないというけれど、流行の形は廉価普及版が大量に出回るけれど、流行らないと値段が高かったり、直接は買えなかったり、気後れしたりして、手が出ないのだった。
(と、書きながら、そういうことを乗り越えてこそオシャレといわれるのかなとも思う^^; 私としては日常気軽にお財布に優しく気持のよいものを着たいと思うけど・・・)