宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

内向と解放の間

2016年06月29日 | 日常の記録
「内向と解放の間」とタイトルを書いてみて、ブログを書くのにすごく時間がかかることが多いのは、自分の中での「内向」と「解放」のせめぎ合いのためなのではないかと思った。

(映画化もされた小説タイトル『冷静と情熱のあいだ』からヒントを得た。このタイトルは秀逸だなー自分の中の「冷静」と「情熱」についてもよく思う。小説も映画も内容知らないのだけど(^^;)

書くそばから、「こんなことを書いて恥ずかしい」「このワードで検索されて見られたらどうしよう」とか思ってしまうことが多い。
それなら書かなければいいようなものだけれど、自己実現の欲求というのはやはり大きいようで、文章を書くというのは、その手段として最も手っ取り早い。
それに私は人のブログを読むのも好きなんだけれど、単なる情報とかうんちくとかよりも、内容はなんであれ、書いている人の個性が見える、その人の人格が乗っかっている文章のほうが断然好きだ。
そうであるからには、自分もその方向を目指すべきだ。
恥ずかしいとか言って自分を否定してはいけない。(含羞は必要だと思うけれど)

最近中野翠さんの過去のコラム集を読み返しているんだけど(芳村真理さんについて書かれた1行が絶対あったはずなんだけど、なぜ出てこないのだろう~)、昔の中野さんは読者の嗜好とか考えず「とにかく自分が書きたいから書くのだ」という内容のものが多くて、大相撲における大乃国ネタが続いているのとか、笑える。好きになるとそのことばっかり書いているのが、興味の対象が自分とは違っていても、ほほえましくて私は好きだ。

一体何が書きたいのかというと、人には読者のことを考えず好きなことをどんどん書いてほしいと思っているのに、自分のこととなるとそうはいかない。
スポーツにおける素振りのように、文章修行の一環として(?)毎日ブログを書きたいと思っているのだが、ここのところ、心の中に大きく一つのものが占めてしまって、書くとしたらそればっかりになってしまう。自分の過去を振り返って、この状態のときはかなりヤバイ・・・かもしれない。とんでもなく恥ずかしいことを書いてしまいそうな・・・

恥ずかしい恥ずかしいと言っているわりには、時々、とんでもなく天然なことを、平気で言ったり書いたりしていることもあるのが、また後で気づいて恥ずかしい。
時期的にも「内向期」と「解放期」があって、たまーに訪れる「解放期」にそういうことになるみたいです。関係各位にはそういうわけですみません・・・

と、時々ブログが止まる理由について考察してみた。

まよわず投入だ(!?)

2016年06月24日 | 日常の記録
ふいに頭の中に流れてきた歌の歌詞。

わずかな収入 あぶく銭
まよわず投入 鼻歌
年寄りに なっちまう前に


奥田民生『トランスワールド』より
矢野顕子さんが歌うカバーバージョンなので、3行目が原曲と違うんですが。

あらためて聴きなおすと、もうめちゃくちゃカッコイイ!
座右の曲にしたい。

・・・
いや、座右にしていいのか?
ハナウタでいいのか?
っていうのが、書き始めた趣旨なんだけれども(^^;

数か月前、入門者にはうってつけの、とあるベスト盤CDを購入。
聴いているうちに大好きになる。
ある日、そのベスト盤CDにはライブDVDが付いていたことに気付く。
そういえば、当時は「DVDは要らないなー」と思って、CDのみを選んだのだった。
入門者としてはフツーの感覚。音楽DVDをあえて観る習慣がなかったし、お財布に優しいほうがいい。
しかし、今となっては、バカッバカバカ
あーDVDバラ売りしてないよねー
でも、もうDVD付きを買いなおしても、この価格だったらとってもお得じゃない?
とアマゾンで購入を決めた後に
・・・限定生産盤の存在にも気づいてしまった。
こちらは格段にお高い。
(っても当初の定価以下でよかった。在庫残ってるのかな・・・
↑なーんて、増産してくれたおかげなのよねーそしてこの販売ショップが良心的だからなのよねー
これからのファンにはほんとにほんとにありがたいことです。と後日付記)
しかし内容は充実している。さらにCDももう1枚付いている。
もう買っちゃおうと購入ボタンを押したら、
アマゾンったら、たくみに関連商品をお勧めしてくる。
で、当初は予定にまったくなかった書籍まで買うことに。

ボタン一つで買い物できる社会って怖いですねー
でも意志をもって買い物したいときにはありがたいものだ。たぶん。
お金を支払ってからも(コンビニ決済なので、一旦立ち止まることはできたわけだ)
「ああ・・・」の後悔よりも
「わーい、楽しみ。(ドキドキ)」
の気持ちのほうが断然、ある。

思い迷ったときは、上記の歌詞を歌うのだ。
(それでいいのかなー(^^;)

自分的スケート総括

2016年06月22日 | にわかフィギュアスケート
観るほうではなくて、自分で滑るスケートのことでありまして(^^;
自分の覚え書きとして残しておこうかなと。

富山のスケートリンクは4月で終了、金沢では6月までやっているので、たまーに行っていたのだが(なんだかんだと1日仕事になるのでそんなにしょっちゅう行けない)、カレンダーを見ると、あと1回行けるかどうか…今季はこれで終了かなーと思う。

今季は初めてスケート教室に参加して、昨季と比べると格段に進歩したのではないかと思う。
あくまで自分比ですが(^^;だって前はまったくわけが分かっていなかったんだから。
自分が前に書いた記事を読むと、ディープエッジとか軽々しく言うなよーって感じ(^^;

習ったり練習したりしたこと
上半身との連動
(腕を回しながら滑る、上体を倒して氷上に手を付きながら滑る、など)
片足でバランスをとる
(滑りながら片足を前へ、横へ、後ろへ。さらに足を上げてスパイラル(←これはムリ))
インとアウトのエッジの使い分け
(それぞれで大きく半円を描いて滑る。チェンジエッジしてS字を描く)
ランジ(できない)
キャッチフット(できない)
逆T字ストップ(できない)
クロスロール
(円を描くクロスオーバーとは別で(こちらはほとんどやらなかったような・・・)両足を交互にクロスさせながら、アウトだけに乗る。練習の末、バックのクロスロールができるようになったのが今季最大の成果かも)
スリーターン
(アウトのスリーターンはほぼ左右OKかも。インでのターンがいまいちできてない)
モホークターン
両足スタンドスピン
片足スタンドスピン
(去年はまったく1回転も回らなかったのだからとにかく前進はしている(^^;)
・・・
できないことは多く、できるといっても、ただなんとかできるのと「美しく」できるのは違うわけで、なんというか、道のりは遠い。
が、期待や希望にあふれる少年少女スケーターは大変だなーと見ながら思うんだけど、こちらはあくまで自分の中の満足を求めていればいいので、大人でよかったなーありがたいなーとか思ったりする。
柔軟体操とか筋トレとか昔は絶対にやりたくなかったけど、今はスケートのためにすこーしずつでもやろうかなと思っているくらい、前向き。(思っているだけで今のところ思い出したときにしかやってないけど(^^;)

スピンしている・・・

2016年06月20日 | にわかフィギュアスケート
もう、なんだか頭がぐるぐるしている今現在なのですが、

ぐるぐるつながりでスピンの話を書く。

スピンはどうみても身体には良くなさそうな気がするのだが(車酔いには効くかもしれない?)、氷上ならではの技で、フィギュアスケートをやるからにはやっぱり挑戦したい。

ジャンプは高齢になると難しいとは思うのだが、スピンに関してはそうでもないらしい。
勇気が出ることが『フィギュアスケート美のテクニック』(監修:樋口豊 企画・執筆:野口美恵 新書館)
に書いてある。

「スピンは『練習量がすべて』とよく言われる。なぜなら、美しいスピンのための技術は『体軸』と『エッジのスイートポイント』を手に入れる2点に集約されるからだ。運動センスや筋肉量より、コツを見つける反復練習が大切となる。」

「努力は必ず報われるーそれがスピンのもうひとつの美学だ。」

左足のアウトサイドにしっかり乗るように意識してみたら、すこーしずつだけど進歩の兆しがみえてきたような気がする今日この頃・・・上記の言葉を信じよう。

以前書いたスピントレーナー(陸上でスピンを練習するための器具で、円盤を2枚合わせた形のもの)の効果については、いまだ不明・・・
靴か靴下を履いて使用してくださいとあったのだけど、最近は暑くて靴下を履いていないものだから、ちょっと遠ざかっている(^^;

アマゾンとかで売っているプラスチック製の1000円くらいのは、腰をひねるエクササイズのためのもので、用途が違うのではないかと思われます。
(当初どちらを買おうか迷ったのだけど、やはり金属製のはスケートにおけるスピン練習に特化しているようで「ラクに回れるというのはこの器具が意図しているところではない」というような但し書きがあった。)

↑付記:スピントレーナーは英語の説明書きが付いていて、それの"Best way to practice"というのに、「母指球を円盤の中心に置いて、かかとをあげましょう」とあって、その後
"We know that using the SPINNER flat-footed is easier, but "easy" is NOT the idea. If spinning was easy, everyone would be doing it, and you would probably not have to practice."
とあるのだ。
なんだかキビシイがそりゃそうだって気もする。

「少年」の謎

2016年06月17日 | 日常の記録
いきなりですが、「少年」を内面的に定義してみた。
まだ考え中で暫定的なんだけれども。

「少年」=「純粋な人」と言えるが、その下部構造として
1.はじらいがある。
2.生真面目。
3.納得いくまで追求する。
4.「世間」と折り合いがつかない。
といったことが挙げられる。

4が解消するにしたがって、大体は1から3も無くなってしまい、人はそれを大人になったと言うように思ったりもする。

などということを、名前出してファンの方にはなんだかすみません、スカパラの加藤くんをきっかけに、つらつらと考えたのだった。
40代にして、この「少年」ぶり、このピュアネスは一体なんなの?どこからくるの?
と、驚嘆というか、まじまじと見てしまったもので。
15日の夜、私は休みだったものだから、ニコニコ生放送→J-WAVE「THE HANGOUT」You Tube版(ラジオ番組のオンエア中の様子が観られる)を観ていたのですね。
スカパラの新曲プロモーションの一環だと思うけど、前者には谷中さん、茂木さん、加藤さん、後者にはGAMOさん、加藤さんが出演していたのだった。
(ニコ生は途中で追い出された・・・GAMOさんがオフステージだと全然イメージが違うのはまぁ想定内だったけど。そこも偉大な喜劇人に通底しているなぁーなんて)
「さん」付けで統一してみたけど、加藤くんはやっぱり加藤「くん」と呼ばずにはいられない何かがある。
やっぱりいちばん大きいのは1かなー。
大人になって4が解消しても1から3まで残ってるってほんとに稀有なことではないか。
10~20代の女の子だったらやっぱり好きになるよね。同世代の男の子のイヤなところ(少年特有の傲慢さとか)は大人になる過程でそぎ落とされているのだもの。

新曲PVでの加藤くんのうつむき加減でのステップに注目していたんだけれども(川上さんの爆走?も注目ですが)、「猫背」が似合うっていうのも「少年」の特権だなーと思ったりする。
(一般的にトシ取っての猫背は見た目にキツい・・・ので気をつけている今日このごろの私)

なるほど覚え書き

2016年06月16日 | テレビ・ラジオ・映画など
NHK Eテレ『SWITCHインタビュー達人達(たち)』藤山直美×香川照之 6月11日放送 より

藤山直美さんの言葉

60歳(父藤山寛美が亡くなった年齢でもある)を迎えるにあたっての話に続いて

「役者の寿命が富士山の頂上やったとしたら、
(それ、人それぞれ違いますね)
私、もう中腹以上行っているんですね。
これから酸素薄くなりますよね。
ほんだら、本当に要る荷物しか担げないんですよ。
(それ前までは、ミネラルウォーターちょっと多めに持っていこうとか
ちょっとお菓子も入れとこか
湿布もちょっと多い目に入れとこか)
だから、芝居の神様、私はいらっしゃると思ってますから、教えてくれはる時期に入ったなと思てます。
おまえはもう頂上行かなあかんから
これとこれとこれとこれとこれだけは荷物まとめとけよと
空気薄なるぞ
もうこれから頭ふらふらするよ
だから最低限の荷物で上がって来いよ、
っていうのを、私はこの3年間で教えてくれはる気がします。
その3年間が60歳までの3年間やと思ってるんです。」

と、シリアスに終わりそうなところに、ふっと笑いを入れずには済まさないところが、喜劇役者の身に着いた習性か。

書き起こすために録画を戻したら、話芸っていうんでしょうか、のおもしろさに、ついつい続けてまたしばらく見続けてしまった。

台詞の覚え書き

2016年06月15日 | テレビ・ラジオ・映画など
NHKBS2朝の連続テレビ小説再放送『てるてる家族』にて、

13日放送分、病室のおかあさん(浅野ゆう子)と見舞いに来た秋子(上野樹里)との会話で、
んんっ?と気になる台詞があり、録画を巻き戻してみた。

(成績の良い秋子だが、やりたいことはないの?と聞かれて、ない、と答える。お姉ちゃんたちは人ができないことをやっているけど、その分普通の高校生がしてることができない云々の後)
「・・・
ただ生きるために働く。
あたしはそれでええ思てんねん。
その中での精一杯の生きる喜びを見つけていくことに、あたしは挑戦したいねん。
人よりも優れた能力を持ち、夢に向かってがんばってるお姉ちゃんたちにも負けへんぐらい、
いや、それよりも、もっともっと、激しい情熱を持ちながら、
普通に生きてみたいねん。」

ぼーっと観てそのままだったら忘れそうだけど、ちょっと書き留めておくのもブログの活用法としては良いかな、と。

こうして書き起こしてみると、こんな長い台詞を、ちょっととぼけた大阪弁で、キュートに表現する上野樹里さん、すごいなぁ。
風変わりなキャラクターがはまっている。

このころはまだ無名?だったと思うのだけど、4姉妹の中でも秋ちゃん、輝いてるんだよねー
マンボを踊る姿が楽しい。

マンボっていいよねー


行きたいけれども・・・

2016年06月14日 | 日常の記録
6月14日はgooブログのメンテナンスがあり、入力画面が使えなかったんだけど、その間、私はほかのことで動揺というか煩悶というかしていたのだった。

前に「全部行きたい」とか書いたけど、行けもしないのに、書くなよなー
うん、まぁ行かないけど面白そうなものを紹介という意味もあったんだけれど。
なんだか浮足立っていて恥ずかしくなってきた。
オカネとか体力とかも考えなくてはいけなかったし、そもそも私には休みが限られているのだ。
8月6日はもう絶対行けないことになったので、逆に諦めがついた・・・
でもスカジャンボリーはいつか行きたいな。

そしてそしてーフェスの告知は早めにやっていただきたかったわー
9月の休みとの兼ね合いがー
矢野さんのワールドハピネス参加を知って「やーめーてー」と叫んでしまったもの。
夢の島は待ち時間が灼熱地獄とかどこかで読んで、ま、いいか・・・と思ってたんだけれども。
Tong Poo フェスの性格っていうか空気にも合うし、野外で聴いたら気持ちいいだろうなー

そしてそういえばスカパラがもしかしてあの曲この曲をやるのでしたら、ぜひとも聴きたいものですがー

こう、あれもこれもになるのは、やっぱり乙女座木星通過中だからかな・・・などと
(関係ないけど、スカパラって乙女座の人が3人もいるというのが珍しいような。きっちりコツコツしてて楽器の習得には向いているのかな・・・と書いている私は楽器は何もできないけれど)

と、その時、心を占めているものを書いておくのも、後で読んで感慨深い、かも、ということでー







名前にまつわる幻想

2016年06月12日 | 日常の記録
パンケーキ、ホットケーキ、フレンチトーストは、実物以上に字面でおいしそうに思える3大スイーツだと前に書いたことがあった。

そこにバナナケーキ、バナナブレッド、バナナパンのバナナ系スイーツも加えたい。

いや、実際もおいしいんだけれども、その名前を見たり聞いたりしたときのときめき以上のものでは、ない、ような。

先日、スーパーなどに入っているチェーン系パン屋で、「新発売 バナナパン」の文字を見た。
バナナパン…バナナブレッドはそういえばパウンドケーキっぽい感じだったけど、バナナパンはバナナクリームのパンらしい。ブレッドとパンで形態を違わせるとは日本語とはややこしい。
しかし、いずれにしても、おいしそう。
早速(買う時間がなかったり売り切れていたりで、気づいてから何日か経っていたが)購入。

うん、普通においしい。…この香りはバナナの香料が効いているのかな…

「バナナブレッド」は英国?米国?風カントリースタイルへの憧れとか、大島弓子さんの漫画『バナナブレッドのプディング』とか、なにかそういうもののイメージが重なっているからだと思うんだけれど、「バナナパン」にもまた違った幻想が言葉の裏にくっついている気がする。なんだろう?

そしてさらにその仲間に入れたいスイーツ、それは「マシュマロ」
あらゆるスイーツの中でマシュマロがいちばん好きという人はいるのだろうか。
マシュマロ…白くてふわふわしていて(実際食べるとふわふわではなく弾力がある)愛らしい。
焼きマシュマロとか温かいココアに浮かべたマシュマロとか、憧れだ。
いや、まだ、実践したことはないんだけれども。

けどさーマシュマロ、そんなに食べたいか?

奥田民生の名曲『マシマロ』って、その辺の謎に深く迫っているような気がしないでもないような、そうでもないような・・・
(iTunes に入れてなかったので、You Tube で検索してみたんだけれど、こんな、言っちゃあなんだけどみょうちきりんなPVだったのね…SONYの看板背負ってるし…)

言葉を漬け込む

2016年06月11日 | テレビ・ラジオ・映画など
金曜日に録画しておいたTBS系『ぴったんこカン・カン』を観る。
ゲストは『報道ステーション』降板後、初バラエティ出演の古館伊知郎氏。

母校立教大学放送研究会の学生たちを前に話していた中の

「僕はね、おしゃべりっていうのは、基本的に発酵物だと思っている」

という言葉にうんうんとうなずく。

外国語学習は「慣れ」=「熟れる」ことなのかなと思ったことがあったけど、話し言葉も書き言葉もインスタントじゃなくて、ずいぶん前から漬け込んで醸成されたものが、表に出てくるものなのね。

古館氏の94年『トーキング・ブルース』における「外郎売(ういろううり)」ならぬ「薬局のドリンク売り」をまるまる再現、その後、涙を見せる安住アナの姿が、この回のハイライトだった。

相手を立てつつ、自分の存在感も示し、かつ現場をまとめ、バラエティにおいては、常に軽佻浮薄な立場を崩さない。
アナウンサー畑の人ってすごいものだとあらためて尊敬する。

久々拝見した芳村真理さんが雰囲気まったく変わっていないことも驚きだった。

中野翠さんが書いていた文章そのままで、引用したかったのだけれど、見つからない。
たしか
「これは褒めて言うのだが、彼女ほどビジネスライクで口先だけの司会者というのもめずらしかったんじゃないの」
というの。
文章のニュアンスは間違ってないと思うけど細かい言い回しが分からない。
見つけたら出典書き添えよう。

御年80歳過ぎてこの浮薄さは将来の指針としたいと思いましたです。

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本日夜はNHK『トットてれび』を観て、恥ずかしながらぼろぼろ泣いちゃったよー
徹子さん、晩年の渥美清の病気のことにほんとにまったく気づかなかったのかしら。
無邪気すぎていろいろ気づかなかったことに、後から気づかされるときの気持ちっていうのかなぁ、そういうのに、泣いたのかも。
そして、原作本のタイトルは『トットひとり』だけど、「ひとり」の境地っていうのかなぁ、そういうのに…うーん、うまく書けないなぁー

(書けないなら書かなければいいようなものだけど、日記というか覚え書きとして)