宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

30年を考える

2022年06月07日 | 日常の記録

たまたま観ていたNHK「うたコン」、観月ありささんのデビュー曲「伝説の少女」って尾崎亜美さんの曲だったのね。懐かしい。あの小顔で手足の長いスタイルは当時衝撃だった。曲はもちろん、今回字幕で見て、いい歌詞だなぁと思った。「何故か荒野にひとり立ってる気がした」とか。

尾崎亜美さんの弾き語りプラス小原礼さんのベースでの「マイ・ピュア・レディ」もステキだった。

ふとした瞬間のときめきとか心の動きとかをこんなふうに一つの曲の中に込めて、いつでも取り出してよみがえらせることができるって、すごいことだなぁー。

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観月ありささんは1991年歌手デビューで今年30周年とのこと。

まったく関係ないのだけれど、私も当時遅ればせながら「パンドラの封印が静かにとけていく」(「伝説の少女」)お年頃だったためか、あれから30年ということを、この頃よく考える。

そして、飛躍するようだけど、ロシアやウクライナでは、日本とは違う30年があったのだなーといまさらながら思ったことを一緒に書いておこう。

ひと月ほど前のことになるが、ウクライナのロシア語作家アンドレイ・クルコフの『大統領の最後の恋』(前田和泉訳 新潮社)を読んだ。

時勢に便乗しているようでうしろめたくもあったのだが、以前読んだ同作家の『ペンギンの憂鬱』を再読しようかなと図書館に行ったら無く、分厚すぎて読まずにいた上掲書を代わりに借りてきたのだった。

この小説は1987年、2004年、2015年と3つの時代の話が短章で入り混じっている。日本での本の発行は2006年なので、2004年は執筆当時の現在なのだと思う。1987年は過去で舞台はまだソ連。2015年は近未来。

小難しくなくおもしろく、実在の政権は関係なく、アイデアとしては日本におけるコメディー仕立ての「総理もの」みたいな感じだと思う。

でもそこにウクライナの現実が反映されているわけだけど、まさか2015年クリミアがロシアに併合されているとは、執筆当時は想像もつかないことだったのではと震撼する。

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久しぶりにブログを書いたらいろいろごちゃごちゃになってしまい、中途半端だがとりあえず・・・


暗闇で弾く

2022年03月21日 | 日常の記録

自分は「音楽の人」ではないなとあらためて思い出したエピソード。

 

3月14日(月)

録画していたNHKEテレ「星野源のおんがくこうろん」第4回「中村八大」の回を観る。

それまで番組は観ていなかったんだけど、中村八大は興味があって。

ジョージ・ガーシュウィンの回もあったのね、再放送やらないかな。

さて、ジャズ・ピアニストにして作曲家・中村八大のエピソードで、戦後まもない頃の計画停電時、暗闇でピアノを弾きまくっていたというのがあった。

鍵盤が見えなくても音を頼りに弾けるものなのねー。

(などと驚いてしまったが当たり前のことなのか...そういえば矢野顕子さんも視力が悪かったから見なくても弾けるようにしていたとどこかに書いてあったような)

ふと思い出したのが、私が小学生の時の宿泊学習だったかなんだかのキャンプファイヤー。

皆で歌を歌うひとときがあって、私は何人かいたアコーディオン伴奏係のひとりであった。

事前に練習して(たぶん暗譜もして)ばっちり弾けるはずだったのだが、陽が落ちて手元が見えなくなることは全く予想していなかった。

辺りが暗くなって鍵盤が見えなくなると、全然まともに弾けなくなって、ひどくうろたえたことが、後々まで記憶に残っている。

思い起こせば、私は聴覚よりも圧倒的に視覚に頼ることが多かった。ひいては言葉でも楽譜でも解読するものがあればまずそちらを頼っていた。まず音声に耳を傾けることにもっと注力してみようと思う。


似せたい

2022年01月15日 | 日常の記録
「ほぼ日手帳」の使用例で、月間ページに絵を描いているのを見て、真似したくなり、使わなかった2021年12月のページを落書き用にしてみた。

似顔絵は難しい。

NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」を観て、オダギリジョーさんを描きたくなったのだが、彼は特に難しい。

「オダギリジョー 似顔絵」で検索しても、そんなに似ていると思うものが出てこなかったから、一般的に似顔絵に描きにくいタイプなのかも。

「カムカムエヴリバディ」公式サイトの写真を見て描いた「11」はちょっと似てきたかも?と思って、公開してみる次第(^^;

ちなみに「10」は、いまいち似ていないが、市川実日子さん演じる「ベリー」。ベリーの本名は「朱実(あけみ)」といったところかな、と思ったけど、実日子さんの名前からの連想かも、と今、気づいた。

少ない線であそこまで対象人物の特徴を捉えられるイラストレーター・和田誠さんの偉大さにあらためて思いを馳せる。

あとNHKEテレ「ねほりんぱほりん」のぶたさんたち。基本同じぶたなのに、ちょっとした差異で、それぞれの違う人物になっている。

描きわけの極意をつかみたいものだ。


【後日付記】

その後の放送でベリーの本名は「野田一子(いちこ)」と判明。「実」は関係なかったね…


飾る

2022年01月15日 | 日常の記録

雑な自分を認めよう。気が向いて写真をアップしてみる。

写っているもの

・「とやまアルペン乳業」の牛乳パックから切り抜いた「モーモーちゃん」(大好き)

・中尾清月堂「ホットドラバター」の持ち帰り箱。絵は堀道弘氏。

(おいしくて、パッケージはおもしろい。通販もしているそうです。)

・豊島屋「鳩サブレー」の箱

・フレーム内は「富山もよう」の「カモシカ」

・高志の国文学館のパンフレット(令和元年の企画展「谷川俊太郎の宇宙」)

・Suica’s Penguin 手ぬぐいハンカチ「駅にて」

(写真を撮るにあたってフレーム表面の光の反射が気になり、ひっかけてみた)

・東京スカパラダイスオーケストラひめくりカレンダー2021

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昔は生花を飾る意義がよく分からなかったのだが、最近はよく飾っている。

去年読んだ新聞記事で、インテリアエディターの田村敦子さんという方の文章が腑に落ちた。

「花には人を慰める力があり、そのパワーは不思議なことに、切り花により強く宿っているそうです。限られた期間、懸命に咲くその姿から、何かを受け取るからでしょうか。」

「部屋に花を飾ることの本質は、生きている花の持つエネルギーが場の空気を変え、今を楽しむ力をくれること。」

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鳩サブレーの箱はだいぶ色あせてしまったので、新しいのを買いに行きたいものだ。

Suicaのペンギングッズを検索したら、あら今年は20周年なんですって。グッズまた欲しくなってきた。


もう来年を始める

2021年12月20日 | 日常の記録
昨日と今日、私はお休みだったのである。
でも、かつて毎年恒例だった矢野顕子さんの「さとがえるコンサート」、去年に続いて今年も結局行かなかった。

迷ったんだよねー。
今の感染状況なら、普通に感染対策して行けば全然大丈夫だと思う。
でも100%絶対大丈夫とも言い切れない。
いまだ帰省や遠方の親族との面会を控えている人もいるのに、自分が先がけて行くのもなー。
近くならいいんだけど、遠方の大都市圏に「不要不急」で行くのはやっぱりなー・・・
他の人が遠方から上京するのは全く「あり」だと思っている。
でも自分はーーー
苦渋の選択。
というか、そもそもチケットは取ってなかったんだけど、そうこうしているうちに冬型の気圧配置になり日本海側は雪・・・もうやーめた、ということになった。

でもさー。
これがもし、自分が余命数ヶ月とかで、来年は絶対「ない」っていうことだったら、今年絶対行っていたと思うんだよね。
今年行かないことにしたのは、未来があると思っているからなんだなー。

「会えない時間が 愛育てるのさ」は「よろしく哀愁」(by郷ひろみ)の歌詞だが、
「いつか、会える時まで 愛を送ろう」(「音楽はおくりもの」by矢野顕子)にも、じわっときちゃったんだな。
「おくりもの」は「贈る」と「送る」を掛けていたのねーと今更ながら。

なんかね、これもある種の「願掛け」と思って、この間に野望を果たすべく奮闘を始めようと思った。
例年2月の立春まで「去年」をひきずっている私なのだが、今年の「今年」は昨日で終わり、
気分はもう来年。2022年始動。

来年の「やのとあがつま」のコンサートチケットも、もう取っちゃおう、と思ったけど、他の公演もあるだろうし、どうなるのかなー。

初めて知った

2021年11月20日 | 日常の記録
某日
久しぶりに美容院に行き、久しぶりに女性週刊誌に目通す。
カラーページに、魚肉ソーセージのアレンジレシピ特集があった。
そのタイトルに目を奪われる。

ギョニソ

ギョニソ・・・?

魚肉ソーセージ 略して ギョニソ!!

わー、すごい。こんな略称よく考えつくなぁ。
なんだかK-POPグループにこういう名前の子がいてもおかしくない感じもあり。
女性週刊誌の誌上には結構合っているかも。
などと呆然とするやら感心するやら。

私にはすごい衝撃だったのだけど、ネットで検索すると、意外や、巷ではすでに浸透している様子も?

自分では今後も使わないと思うけれど、新しい言葉を知った記念に書き留めておこうかな、と。

それはそれとして、このレシピの中にあった飾り切りで
魚肉ソーセージをピーラーで薄く長く切る
→ねじりこんにゃくのようにひとひねり
→ねじった部分を中心にくるりと巻く
→ばらの花のできあがり
というのは、ちょっとやってみたいなと思った。

音が出る楽しさ

2021年11月09日 | 日常の記録
ここ1ヶ月のよもやまをさらっと。

・「GarageBand」の存在を知る。
『J-POP進化論「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(佐藤良明 平凡社新書)という本を読んだのだが、この本は楽譜やら音名での説明やらが多く、絶対音感など全くない私には、鍵盤で弾いて確かめてみたいと思うことが多々あった。しかしながら手近に楽器などない。
スマホにそういうアプリないかしらと思ったら、iPhone には「GarageBand」というアプリがプリインストール(っていうんですか)されているのですね。
全く分からないながらちょっと触ってみると。
わー鍵盤弾いたらピアノの音が。しかもシンセサイザーやらオルガンの音にも替えられる。
さらにさらにギターにベースにドラムスまで。
なるほど、こういうのを駆使して自作曲がつくれたりするわけなのね。
そんな神技はできなくとも、例えばドラムマシーンのカウベルを叩いて、あの音がでるだけですごく楽しい。レベル低すぎですが(^^;
とにかく未知の世界に触れた驚きと喜びをちょっと書き留めておこうかなと。

・「太鼓の達人」再び
曲はつくれないが、触って音が出る楽しさで思い出したのか、ふとアプリをインストール。
携帯ショップで「太鼓の達人」を触ったことで、スマホ導入に前向きになったかつての私であった(^^;
しかし曲のテンポについていけず、目も痛くなる・・・歳月の流れを感じる。

書き出すとまだまだあるここ1ヶ月のよもやま 次項に続く

9月には(2)

2021年09月14日 | 日常の記録
「3度目の17歳」と書いたのはついこの間のような気がするのだが、もうこの9月には「4度目の13歳」となるのだった。「2度目の26歳」ということもできる。
そう書いてみると、13歳のころも26歳のころも、楽しいことがなかったわけではないけれど、どちらかといえば辛いことのほうが多かったような気もして、ちょっとしょんぼり。
まぁ、「辛い」といっても、あくまで自分比で、はたから見ればのんきなものだったと思うけど。
とにかく健康で、こうしてブログに好きなことを書いていられる現在があるのは幸せなことだ。より良くなっていけるよう日々大切に生きよう。抽象的だが。

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9月14日のNHK「うたコン」に矢野顕子さんが出演!
小原礼、林立夫、佐橋佳幸のお三方とともに「音楽はおくりもの」を披露。
意外に番組の前半のほうだった。
あっという間に終わってしまった。尺が短かったような?
ちょっと楽器の音が小さかったような気がするけど、テレビのせいかな?
でも十分に良かった。
石川さゆりさんとの話題は、できれば「津軽海峡・冬景色」か、さゆりさんに提供した「ほめられた」か「昨日にドドンパ」で、音源ちょっと流したらよかったのにな、とか、そこまでは望み過ぎだったか・・・

9月には(1)

2021年09月14日 | 日常の記録
好きだった書斎カフェが閉店していたことを遅まきながら知り、ショックを受ける。
たまーにしか行けなかったのだけど、誕生日に訪れてお店のノートに書き留めたりしていたのだった。
なんとなくずっとあるもののような気がしていた。
あのようなステキ空間をこれまで維持し続けてこられたことに、こっそりと敬意と感謝。

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配信期間は過ぎてしまったのだけど、
9月8日
東京スカパラダイスオーケストラTour 「Treasure Hunt ”北原雅彦60th Anniversary”」
@広島クアトロ9月7日
を配信アーカイブで観た。(オンタイムでは残念ながら観られず)

詳細は音楽ナタリーとかBARKSとかの記事を読み返すことにして。

NARGOさんのお手紙で(北原さんからスカパラへの加入の誘いの電話があったことについて)
「電話を取るのが大好きなうちの祖母が電話を取り(・・・)『電話があったけど、誰からだったかねぇ』」ということが何度かあってなかなか連絡つかなかったというお話があったのだけど、「ああ昭和のエピソードだなぁ」とほほえましくも今昔の感があった。
今の人にはピンとこないだろうなー。
NARGOさんのお手紙朗読を聞いている北原さんの表情にもしみじみ。
それにしても、北原さん作の名曲いっぱい。
やっぱりスカパラの魅力は曲の良さがあってこそ。
そして、北原さんの、本当はすごい人なのにそれを感じさせない心身の軽やかさ、妖精のような存在感(?)、そんな60歳、憧れるなー。
北原さん関連じゃないけど、「会いたいね」とか最新アルバムの曲はあらためてスカパラの進化を感じるというか、なんというか「止まってない」感じがして嬉しくなった。

今回の企画、なんとなく(控えめで気配りの乙女座)北原さんにとってはありがた迷惑なんじゃないかという気がうっすらとしないでもなかったのだけど、でもちゃんと受けて主役を張りつつも出過ぎないという大人対応、さすがだなーと思った。そしてスカパラの「リーダーを立てない良さ」というのもなぜかなんとなく思った。

私的開会式感想

2021年08月14日 | 日常の記録
オリンピックについて総括する記事をいろいろ読んで頷いている
全然まとまらないながらも自分でもやっぱりなにかしら書いておこう。

2016年8月、リオオリンピック閉会式での日本のプレゼンテーションがすばらしく、「未来が楽しみに」なんてタイトルでブログを書いていた。
これなら大丈夫そうと安心していた開閉会式がこんなことになるとは。

遅ればせながら、今日図書館で週刊文春のバックナンバー(3月25日号、4月1日号)を読んできた。
演出辞任に至るまでのMIKIKOさんの心境を思うと胸がつぶれそうになる。
本当にもったいない。たとえコロナ禍で規模縮小となっても、彼女だったら元案を凝縮してより良いものにしていたと思う。

とはいっても、無観客で開催の賛否も分かれる中だったし、簡素な形でよかったのにねーというのが正直なところ。大体1964年には93か国だったかの参加国が2021年には200以上の国と地域が入場行進しなきゃいけないんだから、それだけでも倍以上の時間がかかるわけで。

実際の開会式での、映像やあのピクトグラムのパントマイム(好き)とかは競技放送の合間にCM的に挟めばよかったんじゃないかと。

以下、個人的に開会式関連で。
2016年8月のブログを眺めると、ああワールドハピネスで初めてMETAFIVEを聴いて格好いいなーと思ったのだった。知らなければ、今回の辞任騒動もほとんど無関心だったはずだが・・・
2016年8月は上原ひろみさんも観ている。開会式での上原ひろみさんにはあらためてすごい人だと思った。あんな広い国立競技場をたった一人とピアノで完全に支配していた。カメラの映し方のせいかもしれないけど、海老蔵氏がかすんでしまっていたなぁー。
2017年になるけど、タップダンサーの熊谷和徳氏の公演も観ていた。他の騒動と比べると扱いが小さいが、共演するはずが排除されたというラティール・シー氏の抗議にも考えさせられた。ヤフーコメントも結構冷たいものが多くて地味にショックだった。ラティール氏の見た目が韓国人や中国人だったら何も言われなかったんだろうなと思うと、それはそれでどうなのかと思うし、逆にアフリカ系の人たちのイベントに日本人が一人混じっていても、違和感なく溶け込んでいそうな気がするんだよねー。「江戸時代の大工に有色人種はいなかったから」と言われると、そうだなと思ってしまうけど、でもチームの一員として参加していたのに見た目が違うから拒絶されるというのはやっぱり悲しい。

と書き出すと他にもいろいろあるのだけど、とにかく式典が大過なく終了したことはよかった。未来に向けて考えろという八百万の神様?からのおぼしめしなのだと思う。