宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

楽しい歌のコーナー

2013年05月27日 | とぼとぼフランス語
今期の外国語学習はロシア語1本に絞ろうと思っていたのだが、ゴールデンウィーク中、ふと「テレビでフランス語」を1回分録画してみた。
そこで、思いがけずもっともおもしろかったのが、フランス語で歌を歌うコーナー。
(このブログは文字化けするので「シャンソンアンフランセ」をフランス語で入力できないのであった)
5月の歌は "une belle histoire" (Michel Fugain) 
「Mr.サマータイム」のタイトルでサーカスがカヴァーしているので、メロディーを聞き覚えていたのがよかったのかも。
以前の私だったら、こういう、歌を歌って発音をマスターしようみたいなコーナーが「いちばん要らない」と思っていたところだが、最近カラオケにはまっているせいであろうか、一緒に歌うとすごく楽しい。
続けて、次の回も視聴決定。
発音指導もとても参考になる。
鼻母音の「アン」と「エン」の出し方、はじめて腑に落ちたような気がする。
(録画を再生しないと不確かだけど、「アン」は口の中に長方形が入っている感じで、「えん」は逆三角形が入っているような感じで口角を上げて、というのだったかと)

最初観たときは、今期とっても陽性で親しみやすい「テレビでロシア語」と比べて、夜の雰囲気に違和感があったのだけれど、2回3回と観て慣れてくるとこちらもいい感じ。

言語1本に絞っても勉強時間とか上達速度とかは変わらないみたいなので^^;やっぱりちょこっとずつあれやこれやと行ったり来たりするほうが、私には性に合っているのかも。たとえ上達しなくとも^^;

こういうところが好きだー

2012年03月02日 | とぼとぼフランス語
さっと短時間で書き上げて、週に1回は更新するようにしたいと思うんだけれど、パソコンを立ち上げると、ついいろんなサイトを見てしまって、時間が流れてしまう…

さて、NHKラジオ『まいにちフランス語』1月~3月の応用編「Vivre avec simplicite ドミニック流 シンプルライフに学ぶ一歩先のフランス語」日本でも人気の著述家ドミニック・ローホーさんのインタビューを楽しく聴いている。
(1週聴き逃してしまったが)

そこで印象に残ったことを2つ。

1.
<食>のテーマにて。「買い物をするのは嫌いですが、好きになるちょっとした秘訣があるのです。それは、おままごと遊び(jouer a la dinette) をするつもりになることです。」

テキストの問題選択肢では、comme un jeu d'enfant と言い換えられていた。
食事の支度に限らず、面倒に思えるもろもろのことも、「子供のごっこ遊び」の感覚になると、楽しめそう。
個人的に最近良い意味として捉えなおしている「ゲーム感覚」っていうのも、これと近いかも。

2.
<時間>のテーマにて。
「雲を見ること、公園やベッド、長椅子に寝そべっていること。『何もしない』って、そういうことです。難しいことですか?」

「無為は甘美なものですが、怠惰は悪です。でも、何もしないでいられること、生きることに満足すること、今ここに存在すること、それが人生で最も大切なことだと思うのです。」

おお、これこれこれだよ!!
なんか久々にプルーストのことを思い出したり、プルーストの写真を飾っていたという森茉莉さんのエッセイを読み直したりしてしまった。

フランスとフランス語、ドミニック・ローホーさん・・・女性誌とかで描かれそうな漠然としたイメージに囚われると「なぜ私はまったくガラでもないフランス語なんてやっているんだろう・・・」と思ってしまうんだけれど、こういうものの考え方にふれると、やっぱりいいなぁ、こういうところが私に合っていて好きだと思うところなのだなー、と再認識した。

しかしフランス語もロシア語も(英語もドイツ語もーできれば他の言葉もー)とか思っていると、なんだか心があせって(あせるばかりで全然学習してないところがなんとも・・・)甘美な時を味わえない今日この頃・・・

まいにちやってないと、あせるー^^;

2011年04月16日 | とぼとぼフランス語
評判がよさそうなので、今期のNHKラジオ『まいにちフランス語』を、初級編、応用編ともに聴いてみた。
というか、ストリーミングで1週間遅れ、時間がなかったら初級編はとばそうと思っていたんだけれど、おもしろくてずるずるっと一気に聴いてしまった。まぁ全部聴いても1時間15分、テレビの2時間ドラマを観るより短いのである。
(一気に全部聴くよりも、毎日15分のほうがいいのは分かっているのですが、これがなかなか・・・^^;)

初級編は、ほんと、新感覚講座。講師おふたりの掛け合いがおもしろくリズミカルで、15分間があっという間。
でも、実際に役立つフレーズとともに、発音、文法の基本が身につくように、よく工夫されているなぁ~と感心しきり。
発音矯正を期する私としては、「音から理解するフラーズ」がありがたい。
前期応用編のドラさんもおっしゃっていたけど、口を思いっきりおおげさに動かしたほうが、それらしく発音できるように思えてきた。表情筋が鍛えられますな~。

応用編は、自分が言いたいことを表現できるようになるためのお役立ちフレーズ(フランス語流にいえばフラーズ)が満載。丸暗記したいくらい。(できないけど^^;) 再放送だそうだけれど、こういうタイプの講座って、いちばん実地に必要そうなのに、案外やってないものだから、リクエストが多かったのかも。

内容自体は、私も学習歴だけは長いので、昔やったことを思い出すって程度かな、と気楽に練習問題もやってみたのだが、これが、案外間違ってしまって、あせるー。
恥ずかしいが告白してしまうと、年齢を言うときに avoir を使うことすらうっかり忘れていた・・・もっと恥ずかしいことに、初級編の数字の聴き取りで、「・・・キャーンズ? キャーンズってなんだっけ!?」と一瞬うろたえてしまった^^;(私としては「カーンズ」のほうが近いと思うのだけれどテキストの表記に従いました。数字の「15」です^^;)
うー1984とかちゃんと言えるのになー。やっぱり、使わないととっさに出てこなくなるなー。少しでもいいから仏文日記、また書こうかなー。(最近英文日記も、日本語の日記も滞っているのだけど^^;)
あちこちでLang-8 をやっていますというブログ記事をみかけて、気になっている。書きっぱなしだと間違いが分からないから、訂正してもらえるというのは魅力ですよねー。でも継続して書く習慣をつけるのが先かな・・・と。

BDで失われた時を見出す(?)

2011年02月24日 | とぼとぼフランス語
(文中、フランス語独自の記号はあえて省いております。文字化けするので・・・)

かつて『失われた時を求めて』読了を試みたことがあった。
(あっもちろん日本語訳で、ですー。後日付記)
たしか第五編『囚われの女』の途中までは読んだ、と思う。
せちがらい世の中、たとえ時間があっても、なかなかゆったり読み進む気分になれず、力尽きて(?)それっきりになっているのであった^^;

その『失われた時を求めて』の bande dessinee (略してBD フランスにおける漫画、コミック)版を買ったのは、たしか2001年のことだったと思う。
『Combray(コンブレー)』
『A l'ombre des jeunes filles en fleurs(花咲く乙女たちのかげに)』
の2冊。

10年近くほったらかしだったのだが、今回、思い立って、まず『コンブレー』を、辞書を引き引き、読んでみた。
総ページ70ページ足らずなのだけれど、読了に2ヶ月近くかかったような^^;
(写真は有名なマドレーヌの場面。見づらいですが・・・)

紅茶に浸したマドレーヌに触発されて、思い出が繰り広げられる感じを、日本の「水中花」に例えているところ、女中のフランソワーズについて、アスパラガスの色合いなど、日本語訳で読んだときに印象的だったけれど、すっかり忘れていた描写が出てきて、「失われた時を見出した」ような不思議な気分になった。

ほとんどお目にかかったことのない接続法大過去形が出てきて、文法書を確認したり、関係代名詞を多用したやたらと長い文章に、その que や qui は、どの単語にかかっているんだー、と迷子になったり。
やはり、すらすらと読み進むわけにはいかなかった・・・
けれど、BDは、絵本みたいな形態で、絵を味わうという側面も大きいので、その点、ゆっくりしか読めないことが、かえって良かったようにも思う。
1回読むのは最低見開き1ページ、しんどいときはひとコマぶんだけでもよし、というふうに区切りを付けやすかったのも、継続して読めた理由かも

実はわけがわからない箇所もいくつもあったのだが、日本語訳で読んだ時も、いまいち意味が把握できず眠くなったところがあったので、問題なし(か?^^;)。

『失われた時を求めて』に関して、ふと、思い出したこと。
日本語訳を読んでいた10年くらい前のことですが。
週刊誌の「あのころのアイドル」みたいな特集で、デビュー間もない頃の松田聖子さんの写真があった。
なにやら洋書のペーパーバックを抱えてこちらを見つめているんだけれど、そのタイトルに目をこらしてみると、なんと、『A l'ombre des jeunes filles en fleurs』とあるではないですか!
「乙女」イメージに重ね合わせたこの演出、当節のアイドルには望めないものだなー、といろいろな意味で印象的であった。

『花咲く乙女たちのかげに』のBDをいつから読み始めるかは未定^^;

半神(だった?)相撲取り

2011年02月06日 | とぼとぼフランス語
(フランス語カテゴリーに入れる内容ではないような気もするのですが・・・)

大相撲八百長メール発覚ニュースはやはり衝撃的だった。
(八百長については、以前も元力士が週刊誌に暴露したことがあったと思うけど、当時は、世間をゆるがすほどの話題にもならなかったような・・・)

外国人相撲ファンには、どう受け止められているんだろうと、ふと気になった。

NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編「フランスの友達に語る日本」、1月最終週のテーマは「相撲」であった。
このテキストがいつ執筆されたのか知らないけれど、今年この時期、限られた回数の中であえて相撲を取り上げたのは、講師ドラ・トーザンさんの熱意と、相撲界へのエールの気持ちゆえのこと、だったのではないかと思われる・・・。

ドラ・トーザンさんのテキストは、端的かつ的確に相撲についてまとめたものだったけど、たとえば日本のマスコミだと、まず、こうは書かないだろうなと思った。
相撲に対して、なんというか、畏敬の念がこもっている感じがするんだよねー。
そこが大きな違いだと思う。
「誇張した表現」と注釈は付いているけれど、相撲取りは「半神と見なされる」とまで書いているし。

それにしても、シラク前大統領が相撲ファンというのは聞いていたけれど、場所中毎日、取組結果を、在日本大使館からファックスさせていたというのには、びっくり。
ドラさんが初めて相撲を見たのも、当時パリ市長だったシラクが、パリに相撲を呼んだときとか。

フランスじゃないけれど、米原万里さんのエッセイで、新鮮な驚きだったエピソードも思い出した。
ソ連時代の、偉大なチェリストにして指揮者・ピアニスト、ロストロポーヴィッチが、大の相撲ファンで、大好きな横綱千代の富士を前にして、乙女のようにはじらっていたという話。
(手元に本がなくて正確な引用ができませんが・・・)

ドラさんのテキストでも、後半、千代の富士の名前が出てきて、ほかに、力士の個人名として、琴欧州と朝青龍の名前を挙げている。
これは、客観的文章であるべきなのにドラさんの好みに偏りすぎ、という意見がありそうな気もするけれど(?琴欧州に関しては、初のヨーロッパ出身大関という理由付けがあるけど)、私としては、問題なし^^
(朝青龍は反逆者だったところが好きと言っていて、フランス人、そういうの好きそうだよねーと勝手に思った。かく申す私も、朝青龍のそういうところが好きだった・・・)
ふと思ったが、以前にも大横綱はいたけど、強さ・容貌に時代の流れが加わって、相撲の海外人気を決定付けたのが千代の富士だったということだろうか?

それだけに、八百長メールのひとりが、九重部屋の力士だったというのも、なんともいえず悲しい・・・しかも白鵬の名前まで貰っておきながら・・・だからこそ、幕下転落できなかったのかもしれないけど・・・
ニュースを見ると、この八百長、助け合い精神でやっていたような感じがあるんだよね。上に上がるためでなくて、下に落ちないためのセーフティネットというか
・・・こういうところは妙に日本人らしい感じがあって、憂鬱さが増す。

と、たいして相撲好きというわけでもないのに、だらだら書いてしまったが、実のところ、どう捉えていいのかよく分からないのであった・・・

個人的なつかし本再読

2011年01月15日 | とぼとぼフランス語
続くか分からないけれどフランス語学習で新しいカテゴリーをつくってみた。
(アクサンなど記号付きの文字は、文字化けしてしまうようなので、とりあえず外しました・・・うーん、困ったなぁ・・・)

写りが良くなくて悲しいのですが
写真の本は
(左)La gloire de mon pere (Marcel Pagnol)
(右)Mina Tannenbaum (Martine Dugowson)

La gloire de mon pere は『マルセルの夏』というタイトルで映画にもなっている。
(ネットで見たら公開は1990年だそうだ)
知らない単語があまりにも多くて、長らく挫折していたのだが、昨年、辞書を引くのは最小限にして、とにかく、最後まで進んでみた。
この本に関しては、それで良かったのだと思う(ことにしておく)。
文章自体は難しくないし、こんなにも分からない単語だらけなのにもかかわらず、かなり楽しく読めたので。
主人公(作者の子供時代)の気持ちとか、まわりの人々の描写が、生き生きと感じられて、これって、やっぱり作者の技量ということなのだろうなぁと思う。
分からない部分というのは、たぶん、鳥、獣、草木の名前、プロヴァンス地方独特の言葉、あと宗教関係、か?
たぶん翻訳本で読んだとしても、そういう部分はすっとばしていたと思うから、ま、いいかということで、読了本に加えることに。

Mina Tannenbaum は、『ミナ』というタイトルで公開された映画(1994年)のシナリオ本。
自分の青春時代とも重なって(?)いろいろセンチメンタルになってしまった・・・
こちらは、単語をなるだけ調べて読んでみた。
以下、覚え書き少々。

よく出てきた印象がある単語
excede(e) いらだった、うんざりした
grimacer un sourire 無理にほほえんでみせる。
・・・ある意味、この映画の雰囲気を象徴する単語かも。

映画の用語
ralenti スローモーション
fondu enchaine オーバーラップ
fondu とは、いわゆるフェード・イン、フェード・アウトのフェードのこと

辞典で調べなかったらいつまでもいいかげんにしていたと思う慣用句
faire les cent pas (同じ場所を)行ったり来たりする

懐かしい単語
une pellicule フィルム(映画のフィルムということもあるけど、ここではカメラの)
90年代は、まだデジカメではなくて、フィルムのカメラを使っていたんだよねー。
だからこれは、たぶん必要に応じて現地で覚えた単語だったような気がする。でもすっかり忘れていた。

余談だけど、『まいにちドイツ語』を聴いていてはじめて、ミナの名字 Tannenbaum は、あのクリスマスの樅の木を意味しているのだということを知った。そういえば『ロイヤル・タネンバウム』という変わった一家のことを描いた映画もあったような。何か含むところがある名字なのかな?