宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

マルチタスクで(?)(4/20〜4/26)

2023年04月28日 | 週報

マルチタスクは脳に良くないと言われているようだが、こういうのを切ったり貼ったりしながら、耳でラジオや音声中心のYou Tube を聴くのが楽しい。単純作業はいいのかな。

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ふと「矢野顕子」で apple music 内を検索したら「矢野顕子:ソングライター」という提供曲のカテゴリーができていた。

「そよ風のフェイント」久々に聴いた初期松田聖子さんの歌声がかわいすぎる。恋せずにはいられない歌声というか。圧倒的人気には理由があったのよねやっぱり。

吉田美奈子さんの「かたおもい」は初めて聴いた。30数年後の矢野さんのアルバム「飛ばしていくよ」でのセルフカバーを最新曲のように聴いていた。

アグネス・チャンによる元祖「ひとつだけ」も初めて聴いた。これもいいなぁ。「ローラースケートでダンス」に並ぶと「中華料理」もエキゾチックになるなぁ。矢野さん版は「テニスコートをかけまわる」で、より日本の普通の若者に寄せた感じ。おもしろい。

森山良子さんの「愛はたくさん」も初めて聴いた。総じて女性歌手の皆さんの歌声は「しっとり」しているが、矢野さんが歌うと、うるおいはキープしつつも「さらさら」しているようなー などとシャンプーのタイプ分けにになぞらえてみたり。

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よく分からないしいきなりお金は出せないけどちょっと聴いてみたいなと思うことが多い私には、音楽のサブスクリプションはとてもありがたい発明であった。まぁ例えば山下達郎さんの曲は聴けないように、これがすべてでないことは覚えておかないといけないが。

たとえると有料の図書館みたいなものかな、とふと思う。

図書館をぶらぶらして、てきとうにおもしろそうな本を借りることが、やっぱり好きだなー、と先日あらためて思った。

借りておもしろかった本

『副作用あります!?人生おたすけ処方本』(三宅香帆 幻冬舎)

『続・ラブという薬 自由というサプリ』(いとうせいこう・星野概念 リトルモア)

三宅香帆さんの他の本や『ラブという薬』も読みたかったのだが貸出中だった…予約するのは面倒なのだよなぁ... 他に、ほんとうに読みたい本は県立図書館から取り寄せないといけなかったり…そこは音楽サブスクリプションとの違うところだ…

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矢野さんが「わたしはベイベー」を提供しているのん(能年玲奈)さん主演「あまちゃん」BSでの放送、私も観ている。

「君に、胸キュン。」も出ましたなー…


宇宙船も魂も天に(4/13~4/19)

2023年04月20日 | 週報

4月14日NHKEテレ「スイッチインタビュー矢野顕子×MISIA(EP2)」

矢野さんの「天才」がよくわかる神回であった。

それは対するMISIAさんが、邪念のまったくない心のきれいな人だからというのもあると思う。

矢野さんの来歴は大体知っていたけど、今聞くとあらためてすごいなぁと思う。現代だと考えられない。つくられたルートじゃないからかな。

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某日 ネット記事で大江千里さんによる坂本龍一さんへの追悼文を読む。

溢れ出る言葉で思い出の中の状況や当時の気持ちをありありと現前させる千里さんの文章はすごいなー。自分も千里さんだったらこういう気持ちになるなーと同調してしまった。

中に薬師丸ひろ子さんに書いた曲の話があり(「ふたりの宇宙」作詞大江千里・作曲坂本龍一)、懐かしくなってひろ子さんのアルバム「PRIMAVERA」を聴きなおす。

1991年発売当時に買ったもの。あらためてよいアルバム。大貫妙子詞・矢野顕子曲の「星の王子さま」も入っている。

この「星の王子さま」のアレンジも好きだなと思って検索したら、編曲の大村雅朗氏は1997年に亡くなっていた…

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さて、このネット記事は雑誌「ニューズウィーク日本版」の坂本特集からの抜粋と知り、ほかの記事も読みたかったので、書店でくだんの雑誌4月18日号を購入する。

千里さんの記事の次に、レコード会社の要職を歴任し坂本さんと親交の深かった近藤雅信氏へのインタビュー記事がある。

最後のほうに坂本家のDNAという話があり、坂本さんの父一亀さんの言葉で記事は終わっている。

「その一亀さんがこう言ったそうです。『俺は亀のように、地を這うように仕事をしてきた。息子には天に上るような仕事をしてほしいから『龍一』と名付けた』と。」

なるほど。辰年生まれだからというだけではなかったのね。

で、この記事「天才・坂本龍一と40年間走り続けて」には、さらに英文見出しで「A DRAGON FLYING ABOVE」とある。

「ドラゴンはのぼる」かぁー…

「ドラゴンはのぼる」は宇宙飛行士野口聡一さんによる詩で、宇宙船クルードラゴンのことではあるけれども。

宇宙船も魂も昇天に至る過程は似ているような…

「宇宙」がまた今までとは別のものに見えてきた。

妄想が過ぎるが夜に乗じて書いてしまうと、よく聴こえる時を選んで魂が lift off の伴奏曲にしたのかな…などと。わー駄目か。すみません。

この1週間、ほかにもいろいろ話題はあったのだけど、どうしても偏るな。

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追記

妄想すぎたこと申し訳なくお恥ずかしい。

後日、読んだ記事によると、坂本さんは3月26日、東北ユースオーケストラの東京オペラシティでの公演をオンラインで視聴し、メッセージを送っていたとのこと。

大切なものを見届けて逝かれたのだなと、あらためて感動。

それなら25日の矢野さんのコンサートもきっと直接(オンラインで)観られたかと。

ご本人方関係なく、自分の中で「宇宙」に対する別の視座に気づいたことが貴重だった。

「星の王子さま」を久しぶりに聴いたのも良かった。

薬師丸ひろ子さんのと、矢野さんの弾き語りでは歌詞が一部違っていることも、今回初めて気づいたのだった...


ラジオ・詩・コラム・写真(4/6~4/12)

2023年04月13日 | 週報

テレビ

4月11日「マツコの知らない世界」(TBS)

aiko がゲストで「ラジオの世界」。

aiko について異常に詳しいハガキ職人(と今でも言うのか)「グッドファーザー」さん、aiko 結婚後のお便りが紹介されていたが、レトリックに工夫があるから異常じゃない、と思っていたら、マツコからまさかのコメント「aiko の自作自演の可能性も」に笑った。

番組関係ないんだけど、文章技術を磨くことで、ストーカーなど精神異常の発露を抑えて心の安定を保つ効果があるんじゃないかとふと思った。今までプロを目指す以外の実用性を考えたことがなかったが。そういえば深夜ラジオのネタ投稿ってそのための訓練装置のようでもある。

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ラジオ

4月8日「坂本龍一ニューイヤースペシャル」(NHK-FM)

2023年1月1日の本放送は聴いていなかった。

番組中では映画監督ジャン=リュック・ゴダールの死についての言及があり、坂本さんの監督への思いが、そのまま私含め多くのリスナーの坂本さんへの思いと重なるようだった。坂本さんも90歳まで生きていてほしかった…

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4月6日には作家富岡多恵子さんの訃報があった。

そのころひっぱりだしていた坂本龍一さんのアルバム「GEM」(2002年に出たソロ、映画、TV/CMのベストアルバム3枚の応募券を送るともらえた。プロデュース曲ほか雑多な構成)に、富岡多恵子さんの「歌いましょうひとりで」が入っていた。

(You Tube でも聴ける。)

坂本さんのアレンジはもちろんかっこいいんだけど、この詩がすてきで、知ることができてよかった。

「お父さんの歌なんて 聞いたことないもんね」

の「聞いたことないもんね」のイントネーションが関西の人という感じがする。

この詩の中の「お父さん」を、私は「父性的なもの」に変換していたのだけど、本当に直截にお父さんのことで、お父さんとの関わりが富岡さんの詩人としての出発点だったとのこと。(とYou Tube のコメント欄で知った。)

「みんなでハミングするなんて そんなのはウソの歌」

「ひとりだけで歌う歌ってあるんです だれにもわからないけれど ひとりだけで 小さな声で歌う歌がー」

恥ずかしながら富岡さんについては、文壇における関西女流の重鎮というイメージだけでろくに知らなかったのだった。

思い出すのは中野翠さんのコラムの一節。

「昔、雑誌編集者をしていたころ、作家の富岡多恵子さんに電話でインタビューの依頼をしたら、『暑いからねぇ……』と断られた。『暑い』ということだけを理由に仕事を断る人は、まぁ、珍しい。私は『わかる、わかる』とおかしくなって、笑いながらアッサリと引きさがった。」(『私の青空』所収「ウサギとキリギリス」)

このエピソードが印象的で勝手に親しみを持っていたのだった。

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写真は昔の携帯電話に入っていたもの。

ほとんど何が何だか分かりませんが^^;

坂本龍一さんのコンサート(Playing the Piano 2009年4月17日@富山県オーバード・ホール)にて、撮影OK時。

ちゃんとお元気な時に全国行脚のピアノコンサートもしてくださったこと、あらためてありがたいことだった。

同年10月17日 金沢21世紀美術館にて


永遠のファンで師?(3/30~4/5)

2023年04月07日 | 週報
(↑このブログタイトルは文法的にヘンだった。「永遠のアイドルで師」とすべきか?)

4月2日夜ネットニュースで坂本龍一さんの訃報を知る。

3月28日死去 71歳 とのこと。

下世話だが、関係者のコメントが続々とニュース記事になるなか、矢野さんへの注目を心配してしまったのだけど、5日の twitter を目にして、泣いた。

矢野さんにしか書けない言葉だ。

俗人としては「あらゆる意味において、これ以上の言葉はない。さすが」と感服したことも書いておこう。

美雨さんの文章にも泣いたな...

追悼に坂本さんの曲を聴きながら、3月末の桜の咲く季節に逝かれた意味を思ったりもした。

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個人的には、訃報の翌日は休みということもあって、何をする気力もなくぼんやり過ごしてしまったのだけど、でも、最期まで音楽も社会的な発信も続けていた坂本さんの死を、自分のやる気のなさの言い訳にしてはいけない、とも思った。

恥ずかしながら「坂本龍一と会って話ができる自分になる」が、ひそかに昔からの私の野望だったのだけど、それは永遠にかなわないことになった。具体的に思い描いて近づいていくということをしていなかったのは失敗だった。でもどんな自分になっていたとしても、ただのファンで舞いあがってしまうことは今と同じだろう。

何がしたかったのかなと考えるに、ひとりのファンがここにいるということを伝えたかったのか…なぁ…

2017年のワタリウム美術館での「設置音楽展」に、ふせんにメッセージを書いて貼るコーナーがあって、全然うまく書けなくて悔やまれたけど、でも今はつたなくても伝えられたことはよかったと振り返った。

(日常で触れる音楽は車の中で聴く iPhone くらいで…みたいなことを書いたと思うのだが、後日なにかのインタビューで、そういう人にも届くような...ということ言っていた(ような気がする)ので、あ、それ私、と勝手に妄想を広げた当時^^;)

SNSでいくらでも交流できる現在、書くだけのブログは、今や、昭和時代の「風船に手紙をつけて飛ばす」「瓶に手紙を入れて川に流す」的な行為だけど、一応公開ブログで文章を書いておいたことも、自分の中ではよかった、ということにしておく。