宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

ギフトそれぞれ

2021年05月28日 | 音楽
You Tubeに、藤井風さんのピアノ弾き語りライブ配信とか、いろんな曲をピアノ演奏でカバーした映像が挙がっている。
(何年も前からピアノカバーを見て知っていた人はすごいね。そういう先取り感覚全然ない私・・・)

やー、すごいわ。
かつてデビューまもない矢野顕子さんのライブを目の当たりにした人は、きっと同じような感想を持ったんだろうな。
ネット検索したら、やっぱり矢野さんを連想している人が何人もいた。兵庫慎司さんも配信を観た感想で矢野さんと同じカテゴリーと書いていた。
そういえば、何かで目にした「男版矢野顕子」って、彼のことだったのかな? その時は、まぁピアノ弾き語りしている人という意味かと流していたが。

「ねそべり配信」は、ぱっと見だけだと反感を買う向きもあるような気もしたけど、観ているうちにすごく幸せな気持ちになる。まがうことなき神様からのギフト。自由に好きなことやるのがいちばん正しい使い方だよね。
でも、ピアノそのもののタッチというかよく分からないけど聴いた感じは、当たり前だけど矢野さんとは違う。
JPOPいろいろのピアノカバー映像を見ていたら、演奏中の嬉しそうな表情含め、ピアノが出す音自体はは上原ひろみさんのほうに似てるかなと思った。
まぁ音楽シロウトの私が観た数少ない中からの連想ですが(^^;

で、上原ひろみさんの演奏をYou Tube で観てみたら。
あまりの凄まじさに、もう笑うしかない(^^;
全くの別格だった。
一音一音のクリアーさに、ただもう目が耳が驚くばかり。

しかしながら、お三方に共通しているのは、繰り返しだけど、神様からのギフトをありありと感じること、ギフトを大切にしていること。音楽と、ピアノと共にあることの喜びがストレートに伝わること。「自由」であること。・・・

いずれにしてもとにかく、鍵盤派の私としては、楽しみが増えて嬉しい(^^♪

格付けしない

2021年05月28日 | 
『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』(小川さやか 春秋社)
読後、なんだか明るい気持ちになったので、読書記録を書いてみる。

この本を知ったきっかけは、新聞の書評。チョンキンマンションといえば香港、香港映画的なイメージで書評を読んだら予想と違った内容で印象に残ったのだろうか。機会があったら読んでみようと思っていたら、図書館で目に入ったので借りてみた。

詳しく感想を書こうと思ったのだが、「経済」はもちろん「人類学」のこともいまいちよく分かっていないためか、思いのほか難しく時間がかかるばかりなので、箇条書きに。

これは、香港在住タンザニア人たちの経済活動についての学術的エッセイである。(でいいのかな?)

明るい気持ちになった理由
今を生きている。
恩を着せない。
借りを感じなくていい。
遊びと仕事を分けない。
従わなくていい。
じめじめしていない。
いざというときに助けがある。
「ついで」でwin-win
数値化できない個性が活きる。
社会的に偉い人もダメな人も同じネットワーク

合わせて
自分が知っている世の中の仕組みが全てではない。
よりよい経済、社会の仕組みを考えている頭のいい人たち(学者)がいる。

といったところかな?

個人的には、自分の先祖が農民だからか、後年になって知った「商売人」メンタリティへの憧憬があり、また「故郷を離れた土地での居住年数が各々違うコミュニティ」は風通しがよくて良さそうだなと感じていたので、著者が注目するシステムの源泉がちょっと分かるような気もする。

スワヒリ語を駆使して、日本語話者の多くには未知であろう世界を開示する著者には感嘆するばかり。すごいなぁ。この本を「ボス」のカラマ氏ほかタンザニアの人に見せたら、わけわからない言語の羅列の中に、自分たちの写真や理解できる(スワヒリ語の)数行を見つけて、すごく不思議な気持ちになっただろうなぁー。

この本の発行は2019年なので、その後の香港民主化デモや新型コロナウイルスの流行で、タンザニア香港組合がどうなっているのか気になるところだ。

家族と政治

2021年05月25日 | 日常の記録
政治について無知なので、とんちんかんなことを書いているような気もするが、最近の気づきというか、発想の転換。

「家族との関係は政治と思ってみる」
遠慮のない関係だと、つい感情的になりがちだ。
もう内容を忘れてしまったが、わけわからんことを言い出した母と怒鳴り合いをしたとき。
テレビにはイスラエルによるガザ地区爆撃のニュースが映っていた。
ふと「いきなり怒りをぶつけるのは、爆撃を仕掛けているようなものだな」と思う。
相手がたとえ「ならずもの国家」であろうとも、戦争は回避すべきだ。
交渉の糸口を見つけ出し、双方納得する道を探る。
「戦争をしない」とは、なんと大変なことなのだ。
と、国家間の問題になぞらえてみると、「情」から離れて冷静になれる気がする。
そして、日々の国際政治のあり方に、もっと興味関心を持てるようになるという副産物もある。
政治家って大変なお仕事なのねー。

・・・独自の発見のように思っていたけど、「家族とは冷戦状態」とか、わりと使われる言い回しかも・・・



例えてみよう(練習)

2021年05月25日 | 音楽
「やのとあがつま」(矢野顕子&上妻宏光)ツアー@5月21日東京文化会館のストリーミングを観る。
個人的には当日近辺がちょっと忙しく疲れていて、万全の態勢で観られなかったのは残念だが、とにかく良かった!
あらためてまた去年発売のアルバム「Asteroid and Butterfly」を聴きなおしている。
ライブで披露の新曲は次のアルバムに入るのだろうか。楽しみだっ。
「津軽じょんがら節」異文化融合っぽいジョイント楽しい!
「まりととのさま」矢野さんにぴったり! てんてんてーまり、てんてまり♪
「鹿児島おはら節」私がこの民謡をはじめて聴いたのは、野外フェスの「くるり」ので、えらく感激して大好きになり、カラオケで歌おうと思ったら、原曲は相当違っていて驚いたのだった。
「やのとあがつま」バージョンの方が原曲には近い? どちらもそれぞれ違う(同じ?)広々ーとした風景が見えてきて、好きだー。

あっ「田原坂」を忘れていてはいけなかった。矢野さんもおっしゃっていたが、上妻さんは声も本当に素敵。常識ある学校の先生っぽい雰囲気ながら、(だからこそ?)常識の上を行く矢野さんへの返しもお上手。まだまだ戸惑いもおありのようだったが...(^^)

「こきりこ節」で、ふいに矢野さんが「富山県の人口はー」と切り出され、上妻さんから「じ、人口?」とめんくらわれる場面があった。私も「えー知らないなー、昔『110万人の広場』っていう番組があったけど、今はそれより減ってるよねー」などと頭を巡らしてしまったが、志の輔さんの言葉を思い出しておられたのねー。(富山県の人口はホタルイカより少ない・・・ような)

矢野さんのお衣装、2部構成のうちの1部はボウタイをいくつも結んだような前面の、黒のふわっとしたワンピースに、白のバスケットシューズ。髪もふわっとしていて「やのとあがつま」のアーティスト写真のイメージに近い。私このスタイルすごく好き。
2部は一転、ファスナー使いが特徴の肩を丸く覆う赤のジャケットに、黒のぴたっとしたボトム。「むむ、これはどう形容したら」としばし考え込む。てんとうむしか、はたまた「バイクライダー仕様の白雪姫」というのはどうだろうー・・・ (twitter では「ほおずき」という感想が複数あった。ギャルソンの衣装というのもあったけど、そうなのかな?)

形容欲が高まり、この「やのとあがつま」全体についてうまいこと形容したいと考え出す。
清水ミチコさんは「清潔」ということを書いておられたな。
「純度が高い」「雑味がない」っていう方向でどうだろうかー
で、思いついたのが「お吸い物」。
よく存じ上げないのだけど料理家辰巳芳子さんが説いておられる「いのちのスープ」ですよ。
昆布とかつお節という異種うまみ成分の融合、深澤秀行さんのシンセサイザーはお醤油ひとたらしという趣か(すごく重要!)。
民謡という素材は各地の「水」とすると、ガッテン!だー、座布団持ってきてだー、と自画自賛(^^♪

会場の東京文化会館は、2017年の上原ひろみさんとの共演の時に初めて行って、会場の雰囲気を味わっていたのだった。その時のブログを読み返して、そうそうそうだったなーと思い出す。なんでも書き残しておくことの効能(まぁ自分のためだけど)をまた実感。

風の時代なんだそうだが

2021年05月20日 | 音楽
人類の創生とか宇宙の誕生とかからの長いスパンを基準にしたら、20年も50年もたいして変わらないと思うのだけど、今の若者は違うなあと感嘆することがしばしばある。

最近聴いている藤井風さんの曲の話。
リピートしているうちに歌詞も耳に残ってくる。
たとえば「罪の香り」、タイトルだけ見ると妖しい恋の歌のようだが、これは自分の中の欲望に負けて堕落してしまわないように早めに気づいて回避しようということだったのね。
「調子のっちゃって」とか「特にない」とかも聴くと、この人はたぶん、スキャンダルでニュースになることはないんだろうと思う。
そりゃあ、数々の芸能ゴシップの堆積を見ていたらそうなるわねー。

それで、あらためて「何なんw」の歌詞を見てみると、うーん、なんとなく聴いていた時は、恋愛の歌かなと思っていたのだけど、これは・・・
そういえば、本人解説あったわねと You Tube を見てみると、なるほど、やっぱりそういうことなのね。
「ハイヤーセルフ」という言葉は思いつかなかったが。
MVも観た記憶あるけど、その時は単に洋楽にかぶれている人くらいにしか思わなかったなー(^^;
歌詞が岡山弁なのも納得。ハイヤーセルフの声は初めて耳に馴染んだ故郷の言葉だわね。

占星術的には「風の時代」の始まりなのだそうだが、まさに「名は体を表す」。
そういうスピリチュアル方面に警戒心のある人にもすーっと入っていきそうな、従来型の格好良さも併せもってるところがさらに良いですな。

全祝福とイケメン問題

2021年05月20日 | 日常の記録
5月19日のミーハー日記
世界的人気があるという某グループのことを私は知らないなぁと思ってiPhoneでMVを観始めたら、
「新垣結衣・星野源 結婚」の速報が飛び込んできた。
もう知らんMVどころではなく、ネットニュースに切り替える。
「ドラマ共演がきっかけで結婚とは、百恵友和みたい」と思った自分は相当昔の人間だと知る(^^;
それにしても、これだけ周囲の誰もから祝福される結婚とは、本当に幸せですばらしいことだ。
(夏目三久・有吉弘行結婚のニュースの時も思ったが。「怒り新党」帰りが遅い時に観ていて好きだったのだ^ ^)
これで早々に離婚したら政治経済自然災害あらゆる影響及ぼしそう・・・

さて今回のネットニュースでは、どれもが好意的ながら星野源さんのことを「非イケメン」と書いている記事があり、それに対してファンから反論のコメントが付いている。
私も芸能人のことを「イケメン」「イケメンじゃないけど」と、つい書いてしまうなぁと反省。
コメントのひとつに「ひと昔前のさだまさしさんの人気のあり方がこんな感じだった」というのがあり、私は世代的にちょっと後だと思うけど、すごく納得して「いいね」ボタンを押したのであった。

去年村上春樹氏の短編『謝肉祭(Carnaval)』(『一人称単数』所収)を読んで、異性の容姿を表現することに関しての意識のずれを感じたのだけど、実際のところ現代の若者の意識はどうなんだろう。
考え出すと難しすぎて書けなくなってしまうので、話を芸能人に限ると、広く世間的に認知される「美男・美女」枠はあったほうがいいなと思う。三遊亭小遊三師匠のネタ的にも・・・福山雅治さんには末永くイケメン枠でいてほしい。そう思うとあらためて田村正和さんは偉大だった・・・合掌。

今を生きる歌

2021年05月18日 | 音楽
流行りに弱いだけなのかもしれないけど、apple music の「邦楽ヒッツ・トゥデイ」に入っていた「きらり」(藤井風)を聴いて「わー、いい、好き!」とリピートする。
CMで流れているのもすごくキャッチー。音楽でCMに目を留めるのって「STAY TUNE」(Suchmos)以来かも。ゲスの極み乙女の曲もCMとの相乗効果があったような。

藤井風さんの名前については、これまた「関ジャム」で知ったのだけど(先々週のアルバム特集を見逃したのはつくづく残念・・・大橋トリオによる「Super Folk Song」(矢野顕子)解説聴きたかった・・・「峠のわが家」とともに、あらためて幅広く認知されたらいいなー)、遅ればせながらアルバム「HELP EVER HURT NEVER」を聴いてみる。
番組で紹介されていた「何なんw」とかもいいんだけど、「キリがないから」という曲に、はっとして決定的に好きになる。
この感覚、なんと言っていいか分からないけど、リアルに伝わる、こんなふうに描けるってすごい。
私50歳過ぎてるんだけど、いまだにこんな感覚なんだけどー、一周回ってまた戻ってきたのかな。
と思っていたら、You Tubeに本人解説があった。
そっかー「今を生きる」ってことなのね。

「きらり」も「今を生きる」歌だよねー
今=永遠みたいな感じ?
と書いてみたら、ふとランボーの詩を思い出した。

また見つかった、
何が、永遠が。
海と溶け合う太陽が。

ってヤツ(小林秀雄訳)

私が初めて知ったのは村上龍さんの小説、たぶん『69』の中だったと思うけど・・・

この感覚を説明することは難しい。だからこそ詩なんだろうけれど。
この詩の感覚を今ひとことで表すなら「きらり」なのかなー。
King Gnu の曲に結構出てくる「煌めき」もそうなのだけど、このキラキラしたもの(としか自分では言えない(^^;)に、どうにも魅了されてしまうのは私だけではないのだなー。昔から人はキラキラしたものに魅了され続けているのだなー。