宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

案外、下衆な関心から^^;

2012年08月31日 | しつこく多言語
ラジオ語学講座の未聴分を少しずつ消化しているのだが、いまだなかなか追いつかない。
夏バテぎみのこともあり、すっかりサボリ気味^^;
しかし、外国語学習への意欲が衰えたわけではない。

先日、上京した折、某ロシアレストランでランチを取ってみた。
そこの従業員のお姉さん二人は、客の対応は流暢な日本語だけど、二人の間ではロシア語で話していた。
ちょうどランチ時のサービスが一段落して、お姉さん二人は厨房に引っ込みいろいろと話している。
細かいことは全く分からないながら、сегодня (今日)とかработатъ (働く)とかнадо (~しなければならない)とか、基本単語がところどころ聞こえてくる。
わーほとんど分からないのは残念だけど、でもほんの少しでも分かって嬉しい。
ここのオーナーへの不満を語っているのかなぁなどと想像を逞しくしながら、ふと、「私の外国語学習への動機付けは案外ゲスな関心から来ているのかも・・・」と苦笑した。

実は私は、飲食店や電車の中などで、見知らぬ人々の会話が聞こえてくると、つい聞き耳をたててしまうほうである。ごく普通のなんてことない会話に和んだり「得した」と思うことも結構ある。幸い、嫌な話とかゾッとするような話は聞いたことがない。(なんでかなと思うに、そういう話は場所を選ぶか小声でするから聞こえないのか?)
で、外国語の会話が聞こえてくると「何を話しているのかなぁ」と気になる。

他人のおしゃべりを盗み聞きして楽しむため、とは、ちょっと胸を張っては言い難い理由である・・・結局のところ、私はそんな高尚な目的を持って外国語学習しているわけではないのよね^^;と、再認識した。

そして、あくまでそっと聞いているだけで、その会話に入りたいという気持はまったくないのであった。透明人間になる楽しみというか・・・「話す」力が向上しないのは、こういう嗜好にも原因があるのだろうなぁ^^;

外国語と母語

2012年08月28日 | 
内田樹氏の『街場の読書論』と『街場の文体論』を読んだ。
『読書論』は図書館で借りて、『文体論』を早く読みたくなって書店に行ったらたくさん平積みになっていた。多くの人に読まれているのだと実感。

その中で、外国語学習について書かれていた文章を抜書き。

(『街場の文体論』P244-245 言語は道具ではない)

《本来、外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。自己を豊かにするために学ぶものなんです。自分を外部に押しつけるためではなく、外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。

理解できない言葉、自分の身体のなかに対応物がないような概念や感情にさらされること、それが外国語を学ぶことの最良の意義だと僕は思います。浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同期する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。そういう生成的な経験なんです。外国語の習得というのは、その「一陣の涼風」を経験するためのものだと僕は思います。》
(抜書き終り)

なるほどなぁ。

また『街場の読書論』に「母語運用能力について」という項があり、気になったので抜書き。(P258-259)

《外国語を学ぶときに、私たちはまず「ストックフレーズ丸暗記」から入る。

自分が何を言いたいのかあらかじめわかっていて、相手がそれをできるだけ早い段階で察知できるコミュニケーションが外国語のオーラル・コミュニケーションの理想的な形である、

母語言語運用能力というのは、端的に言えば、「次にどういう語が続くか(自分でも)わからないのだけれど、そのセンテンスが最終的にはある秩序のうちに収斂することについてはなぜか確信せられている」という心的過程を伴った言語活動のことである。

ストックフレーズを大量に暗記して適切なタイミングで再生することと、言語を通じて自分の思考や感情を造形していくという(時間と手間ひまのかかる)言語の生成プロセスに身を投じることは(結果的にはどちらも「たくみにある言語を操る」というふうに見えるけれど)内実はまったく別のことである。》
(抜書き終り)

読んで思ったのは「おや、私は自分の外国語学習の究極目標を、分不相応に高いところに設定していたのではないか。そしてそれが達せられないことにイラついたり落ち込んだりしているのではないか」ということだった。
すなわち、私は外国語でも「言語を通じて自分の思考や感情を造形」したいと希望している。そして、ただ「ストックフレーズを再生する」することにどうも抵抗感がある。言ったり書いたりしてみてはじめて「ああ私はこういうことが言いたかったのか」と分かる喜びを外国語でも味わいたい、と自分は思っているようである。

ともあれ、「私は『外国語ができる』の意味を『母語レベル』と設定していたが、そりゃ大変だ」という発見があった。まずはやっぱりストックフレーズを適切に再生できること、からかなぁ・・・

一期一会の喜び

2012年08月21日 | 音楽
今年もブルーノートに矢野顕子トリオを観に行った。(前のトリオは「矢野顕子グループ」と名付けられていたけど今は「トリオ」なんだ!と今気づく)
ファーストステージを予約して行ったんだけど、調子に乗ってセカンドも観る。
平日だと比較的座席に余裕があるからか、こういうこともできるのがいいね。

矢野さんの衣装はピンクと黄色のワンピースに緑色のスパッツ。私はこういう配色好きだー。
セカンドではゴールドのワンピース。ウィルさん(ベース)、クリスさん(ドラムス)もセカンドでは衣装替え。こういうのも嬉しいね。
演奏曲目は、前日までのセットリストをウェブで予習していったので、そういう点で驚き!とかはなかったんだけど、演奏はやっぱり、というかさすが、というか新鮮でステキでゴージャズだった。
昨年、一昨年と観ているわけだから、予定調和的というか、良い意味でマンネリな満足があれば、それでモトがとれたというべきところだが、そうではなく、年々「新鮮」であるところがすごいんだねー。
ライブCDには、同じメンバーでの同じ曲目も納められているのだが、やっぱり生演奏はぜーんぜん違う! CDは生演奏の記憶を脳内再現するきっかけに過ぎないのだね。

新曲(Full Moon Tomorrow)すごーく良かった。また聴きたいなぁ。
「ポケットいっぱいの秘密」最初のスタンディング・パフォーマンス(っていうんですか)、ミャオミャオ言ってて変わっててかわいかった。ピアノに戻ってからのアンサンブルすごかった。
アンコールGasoline and Matches でのウィルさんのマッチに火を付けるネタ、あれ、火事にならないでちゃんと消えるのが不思議。

ベースのウィル・リーさんは今年還暦を迎えるそうなんだが、全然そんなふうにみえない。というか、年齢という概念がそぐわないというか、いや、コドモか大人かと言われれば大人なんだけど、なんというか(「というか」が多いな)ふいに年齢のことを言われるとすごーく不思議な感じがした。

セカンドステージ、ちょっと個人的に盛り上がりすぎのお客さんに対して、矢野さんはにこやかに「お黙りなさい」と言ってて、私は溜飲がさがった。ライブでは許容範囲なのかな・・・と少し悶々としていたので。でもそのお客さんもその後もウィルさんとハイタッチとかしてて、和やかでよかった。
またMCで「年々私たち(トリオ)の bonding が強まってー bonding・・・日本語で言うと『絆』? やな言葉(笑)」と言っていたのが、個人的に「矢野さんやっぱり好きだー」な発言で、印象に残った。
言わずもがなだけど、bonding 翻訳したら「絆」なわけで、その言葉が表す中身がイヤなんじゃないんですよ。マスコミとかがあまりにも「絆」濫用するから、その言葉に嫌気がさしてしまうわけで。と私は解釈した。そういうことへの敏感さって人を分けますね。

今年の特別カクテルへの命名は「宿題無し」。このセンスも好きだー。
グレープフルーツとキウイがベースでセージの香りがアクセント。
某料理をお薦めする際に「矢野さんがこういうお料理がお好きということでご用意しました」とサービス係のお姉さん(という呼び方でいいのか?)は言っていたが、それはほんとうだろうか。

とにかく、今この場にいられる喜びをかみしめる数時間であった。
「一期一会」という言葉をふいに思い出した。
茶道やってなくても、パフォーマーの人ってそういうのが身についているのかな。

(思い出してみると、ファーストはちょっとグダグダ感があって、夜更けのセカンドのほうが演奏がさらに良かったようにも思うし、やっぱり初日とか最終日最終公演だと力の入れ具合が違うんだろうなー、そういう点で3日目の平日はちょっと中途半端かなー、などと日時による違いを思ったりもしたのだが、そういうのも含めて、こういう演奏の日はこの時しかないという意味で等しく貴重なんだな)

「好き」を再認識

2012年08月11日 | 音楽
矢野顕子リサイタル@長岡リリックホールへ行ってきた。
長岡ってうちから結構遠いんですよー。
車だと8号線をまっすぐ行けばいいわけなんだけど、私の運転技術では・・・^^;
で、どうしようかなー、日帰りできないしなー・・・と、ためらいも当初あったわけなんだけど。
いやはや、本当に行って良かった! 
矢野さんはやっぱり特別な人だ。好きだーーという気持ちを再認識した^^
そういえばピアノ1本のライブを観るのは2年以上ぶりなのだった。

長岡リリックホールはモダンですごく良いホールだった。
会場の形が台形というか、座席が末広がりに並んでいて、端の席からでも見やすい。

ひとつひとつの曲がピアノ、歌声ともほんとにステキだった。
アレンジメントがまたさらに進化した感じ。
そして「深い」。
そしてMCはおもしろい^^
そして、今回はいきあたりばったり(悪い意味ではなく^^)ではなく、あらかじめかなり構成を考えてあったのかなと、MCの流れから思った。

セットリスト
1. CHILDREN IN THE SUMMER
2. David
3. 春風
4. All The Bones Are White
5. 恋愛宣言
6. 夏の終り
7. 塀の上で (「ロンドンオリンピック」「羽田空港国際線」というタイムリーな話題から)
8. コニャラの歌~そうめん(コマーシャルの歌)
(日清製粉の歌で「粉(こな)もん」→「コニャラ」なんだそうです。「そうめん」いい歌なんだけど「そうめん」のリフレインに笑ってしまう)
9. いつのまにか晴れ 
10. SUPER FOLK SONG
11. Night Train Home
12. こんなところにいてはいけない
13. 砂山 (インストゥルメンタル 新潟(佐渡、だよね)にちなんで)~ ラーメンたべたい
14. ひとつだけ
EC1. 釣りに行こう (信濃川からの連想らしい)
EC2. GREENFIELDS

おもしろいMCを採録したいのだが、文章にするのが難しい~。
そうそうPerfume のDVDを参考資料に、ああいうダンスをステージでやるかもしれない、そうです。
(前日参加のライジングサンロックフェスにて、最前列を陣取ってPerfumeのダンスを全曲そっくりコピーしているおじさんファンの一団がいたそうだ。ひぇ~見てみたい^^;)