宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

家族と政治

2021年05月25日 | 日常の記録
政治について無知なので、とんちんかんなことを書いているような気もするが、最近の気づきというか、発想の転換。

「家族との関係は政治と思ってみる」
遠慮のない関係だと、つい感情的になりがちだ。
もう内容を忘れてしまったが、わけわからんことを言い出した母と怒鳴り合いをしたとき。
テレビにはイスラエルによるガザ地区爆撃のニュースが映っていた。
ふと「いきなり怒りをぶつけるのは、爆撃を仕掛けているようなものだな」と思う。
相手がたとえ「ならずもの国家」であろうとも、戦争は回避すべきだ。
交渉の糸口を見つけ出し、双方納得する道を探る。
「戦争をしない」とは、なんと大変なことなのだ。
と、国家間の問題になぞらえてみると、「情」から離れて冷静になれる気がする。
そして、日々の国際政治のあり方に、もっと興味関心を持てるようになるという副産物もある。
政治家って大変なお仕事なのねー。

・・・独自の発見のように思っていたけど、「家族とは冷戦状態」とか、わりと使われる言い回しかも・・・



全祝福とイケメン問題

2021年05月20日 | 日常の記録
5月19日のミーハー日記
世界的人気があるという某グループのことを私は知らないなぁと思ってiPhoneでMVを観始めたら、
「新垣結衣・星野源 結婚」の速報が飛び込んできた。
もう知らんMVどころではなく、ネットニュースに切り替える。
「ドラマ共演がきっかけで結婚とは、百恵友和みたい」と思った自分は相当昔の人間だと知る(^^;
それにしても、これだけ周囲の誰もから祝福される結婚とは、本当に幸せですばらしいことだ。
(夏目三久・有吉弘行結婚のニュースの時も思ったが。「怒り新党」帰りが遅い時に観ていて好きだったのだ^ ^)
これで早々に離婚したら政治経済自然災害あらゆる影響及ぼしそう・・・

さて今回のネットニュースでは、どれもが好意的ながら星野源さんのことを「非イケメン」と書いている記事があり、それに対してファンから反論のコメントが付いている。
私も芸能人のことを「イケメン」「イケメンじゃないけど」と、つい書いてしまうなぁと反省。
コメントのひとつに「ひと昔前のさだまさしさんの人気のあり方がこんな感じだった」というのがあり、私は世代的にちょっと後だと思うけど、すごく納得して「いいね」ボタンを押したのであった。

去年村上春樹氏の短編『謝肉祭(Carnaval)』(『一人称単数』所収)を読んで、異性の容姿を表現することに関しての意識のずれを感じたのだけど、実際のところ現代の若者の意識はどうなんだろう。
考え出すと難しすぎて書けなくなってしまうので、話を芸能人に限ると、広く世間的に認知される「美男・美女」枠はあったほうがいいなと思う。三遊亭小遊三師匠のネタ的にも・・・福山雅治さんには末永くイケメン枠でいてほしい。そう思うとあらためて田村正和さんは偉大だった・・・合掌。

懐古厨ではないよ

2021年04月14日 | 日常の記録
昨日テレビを点けたらたまたまやっていて、検索したら今日配信開始というので、ダウンロードした「Presencel (feat. KID FRESINO) 」(STUTS & 松たか子 with 3exes)。
ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の主題歌ということで、ドラマは観るか分からないけど、歌はいい! なんといっても松たか子さんの声がいい。
ドラマの主題歌でいうと、ちょっと前「感電」(米津玄師)もハマって何回も再生した。
「三文小説」(King Gnu)は、主題歌だからというのでドラマ(「35歳の少女」)を観始めたものだった。

というのは、前振りで。
『大阪』を読んでから、自分が20歳前後の頃をしきりに思い出したくなり、断片を書き留めておこうかなと思ったのだが、懐古厨はイカンなーという気持ちもあり、現在進行形のことを先に書いてバランスを取ろうと思ったのだ。(ややこしい・・・私はapple music の「80年代邦楽ヒッツ」とかのカテゴリーも、あえて聴かないようにしているのだが、たまーに聴いて心をざわつかせたりもしている・・・)

当時買っていた雑誌とか聴いていたラジオとか書こうと思ったのだけど、読み返した日記の記述が気になってしまったのでそちらから。

1991年9月7日の日記を要約。
富山県某所(実家)から奈良(下宿がある)に移動。
その日買った雑誌「月刊カドカワ」で矢野顕子さんが大阪でコンサートをやるということを知る。(移動の特急列車内で読んだのだと思う。)
(乗り換え下車した)京都ジュンク堂で雑誌「ぴあ」をひろげて確認。コンサートのお知らせがやっぱり載っていた。
しかし、チケット発売日が9月7日とある! 今日!
あせって高島屋のチケットぴあに向かうが、とっくに売り切れた後だった。
係の人の話によると朝から大勢並んでいたとのこと。
「今日発売と知っていれば昨日のうちにしっかり戻って、どーゆー手段を使ってもしっかり朝にはチケぴの前に並んでいたのにー クヤシー あきらめきれない ううっ 悲しいなー 誰かチケットくれないかしら・・・」と書いている。

全然覚えていないけど、情報弱者でしたなー。
アルバム「LOVE LIFE」のツアーだと思うけど、まだアルバム発売日前だし・・・(アルバム発売日は10月25日だそうで。検索してすぐ分かるってありがたい)
昔のチケット購入方法(早くから並ぶ。ひたすら電話する)にノスタルジーを持つ人も多いのだろうけど、田舎者には不利すぎた。今のほうが断然良いな。

「LOVE LIFE」も当時の自分や当時の空気を思い出すアルバムである。
中では「愛はたくさん」が大好きだったなと思い出し、聴いてみる。
歌詞もすばらしいし、ピアノはもちろんすばらしい。歌が終わってからパット・メセニーのギター・シンセサイザー?が入っての怒涛のアンサンブルがもうもう本当にすばらしい。
泣いてしまった。
個人的には1991年を思い出す曲でもあるけど、歌詞通り「時間なんか飛びこえて」いるのよね。
永遠の名曲。

春が来ている

2021年03月18日 | 日常の記録
すっきりと気持ちのよい青空。
「気分」は「お天気」に影響される部分が大きい。
3月3日リリースの東京スカパラダイスオーケストラ新譜「SKA=ALMIGHTY」、apple music で聴いていたのだけど、先日遅ればせながらブルーレイ付きCDを購入。
去年12月のZepp Haneda でのライブ映像、やーっぱり、格好いいなぁーーー
配信は観てなかったのよねー。配信時は加藤さんの髪型の変遷映像がかぶさっていたとか、どんなだったのかなー。うん、でも加藤さんも20年前とかなり印象が違うよねー。
でも、皆さん今も変わらずというか、20年前以上に格好いいって、ほんとーうに奇跡!
冬の間、心身ともに硬くなっていたというか、ローテンションだったのだけど、なんか元気出た!
血流良くして体力つけないとね!

などと、ミーハー心が戻ると、筆(タイピングする指)も軽くなるなぁ。

2020年末の記憶

2020年12月30日 | 日常の記録
ストリーミングで観た矢野顕子リサイタル12/21@鎌倉芸術館の最初の曲で、2020年暮れの記憶として印象に残ったのが「そりゃムリだ」。
全速力で、なにもかも手に入れたい、なにもかも成し遂げたいというのは無理なのだ。
ということで大掃除は後回しにする。(そういう歌じゃない。分かっている)

MUSIC ON! TV (加入しているケーブルテレビで追加料金なしで観られる)で放映があり、喜んで録画しておいた King Gnu の11/25日本武道館ライブを観る。
炎がメラメラ燃え上がる演出に、大丈夫かと心配しながらも、ふいに炎柱・煉獄杏寿郎さんを連想する。
そのうちステージ上の彼らが、「飛行艇」ならぬ「無限列車」の乗客を救うべく奔走する鬼殺隊の面々に見えてきたりしてー
というのはこじつけすぎか。
とりあえず、せきゆーくんは伊之助っぽい。

などと、昨日やっと観に行った「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」、翌日に印象を持ち越すほどハマっていたのか?
興行収入歴代1位を記録したニュースの翌日ということで、少々気恥ずかしさもあったのだけど、映画館はまだまだ盛況、世間はそんなの気にしていない。
泣けるという話は聞いていたけど、私はショックで呆然。
漫画を読んでいる人は展開が分かって観るんだろうけど、知らなかったから。ネタバレされなくてよかった。
思っていた以上の充足感で劇場を後にする。グッズ売り場を物色して記念に手ぬぐいも購入。バンダイさんも潤ってますなー。

もっと感想を書きたいところなのだけれどまとまらない・・・
久々の映画館、上映前の広告?に「人生に無駄な時間を」というのがあったのだけど、ああパソコンの前でまた貴重な時間を無駄に費やしてしまった・・・「鬼滅の刃」風に言うと「判断が遅い!」ために書いては消し書いては消し・・・教育的効果が高いというのも鬼滅大ヒット要因の一つだと思う・・・

雑多なよもやま

2020年12月17日 | 日常の記録
(「よもやま」=「雑多なこと」だから、このタイトルは変だった・・・しかもよもやまのつもりが話題2つで終わってしまった。が、書き直すのもなんなのでそのままにしております(^^; 後日付記)

この際、ここのところのよもやまをまとめて。
個別にまた書くかもしれないけど。

・NHK杯フィギュア(11月27日~29日)
今年はほとんど情報も入れていなかったのだけど、やっぱりフィギュアスケート、いいなぁ。
他国のグランプリシリーズにもにわかに興味が。また動画見てみよう。
アイスダンス、クリス・リードさんの追悼映像に涙。
繰り返し書いているけど平昌オリンピックシーズンの「坂本龍一メドレー」は本当にすばらしかったもの。カップル解消を残念に思っていたのだが。
なので、ちょっと複雑な気持ちもあるけど、村元・高橋組、よかった! 高橋大輔選手はとにかく氷上で輝く人だ!
んーしかし小松原・コレト組を差し置いてオリンピックに出たりしたらちょっと・・・2組出られればいいのか。

・「鬼滅の刃」テレビアニメ版全26話を観る!
非常に遅ればせながら流行に乗ってみた。
映画を観に行く前にと思って、ネットフリックス(スマホのプランに付いていた)で観てみたのだった。
なるほどねー。往年の時代劇とか横溝正史作品とかの世界観が。先日テレビで見た長野県の霜月祭りっていうのも天狗のお面かぶって水切りしたりしてて鬼滅ファンが喜びそうだったわー。「日本」的なものがこうやって受け継がれているのねー。
思ったのは、経典や戒律なき日本の子どもたちの倫理観をはぐくんでいるのは「友情・努力・勝利」がキーワードという「少年ジャンプ」掲載まんがだったりするのかな、と。(対極に倫理観ぶち壊しのとんでもないまんがもある、んだと思う。よく知らないけど)あと勧善懲悪の戦隊ものライダーものね。
そういう意味で、主人公の炭治郎くんは理想的なキャラクターだな、と。
日本版ビルドゥングスロマンという感もあり。
作者が女性なだけあって(ですよね?)やらしさがないのもいい。キャラがかわいい。
あと、禰豆子ちゃんが竹をくわえている姿、あれのおかげで小学生のマスクへの抵抗感がだいぶ減っているのではないか、とふと思った。2020年コロナ禍での爆発的ヒット要因をこじつけてみる。
なんだかんだいってけっこうおもしろかった。早く映画を観に行きたい。

他にもいろいろ書きたかったのだがひとまず。

レレレのおじさんのルーティン

2020年11月22日 | 日常の記録
本日も午前中はぽかぽかと気持ちの良い日和。
久しぶりに、庭の落ち葉などの掃き掃除をする。
掃きながら、ふと、赤塚不二夫漫画に登場するレレレのおじさんを思い出す。
おじさんが持っていたほうき、柄が長くて腰をかがめなくてもきれいに掃けそうで、いいなぁ。
レレレのおじさんはきっと毎日家の前の道路を掃いているのよね。
今まで考えたことがなかったけど、意外と立派な人だったのね。

レレレのおじさんは、道路の掃き掃除をルーティンにしている。
「ルーティン」は「習慣」「慣習」とはやっぱりちょっとニュアンスが違うので、外来語としてそのまま定着したのだろう。定着してる、はず。日本語では「ル」にアクセントがあるようだが。
今、英和辞典を見たら、routine の語源はルート(route) から来ているのだそうだ。「一定のルートに従った」という意味だそう。道路掃除はまさにルーティンだ。と、偶然にもオチが付き(?)

私がルーティンにしているのはNHKの語学講座を聴くこと、と話を続けようと思ったのだけど、決まった時間に聴いているわけではないので、ルーティンとは言わないか。Eテレの、今期は「旅するための~語」というタイトルの欧州4言語学習番組とともに、また別項で感想を。

寄付をする

2020年11月13日 | 日常の記録
日中はぽかぽかと気持ちの良い日和。
青空に紅葉や銀杏の黄色が映えて美しい。
幸せだなー。

先週ふと検索して、国連UNHCR協会のウェブサイトに行き当たり、寄付の申し込みをした。
月3000円というささやかな額ではあるけれど。
それだって今ある定収入が無くなって一文無しになったら払えなくなるかもしれない。
当面辞めずに働かねばと身が引き締まる。
無駄遣いを減らしてその分を寄付にまわすという考えでいけばいいのかも。
扶養家族のいない独身者としては、自堕落に流れることを防ぎ、自分を律するためにもいいことかも。

そういえば、エッセイストの酒井順子さんがフォスターペアレントになっている子から手紙がきたというようなことをいつだったか書いていなかったかな?

しかしこういうことを私が実行できるのも、クレジットカードを持ったおかげというのは、内心複雑なものがある。
私は長年クレジットカードを持たず、通販もその都度振り込みに行っていたのだが、やっぱり便利なものですね・・・

クレジットカードとスマートフォンのおかげで、にわかに隆盛の配信ライブもすいすいと申し込んで楽しめている。(iPhone を専用ケーブルでテレビモニターにつないでいる)
文明の進歩による利益を享受していますなぁー・・・

ごちゃまぜ長い日記

2020年09月11日 | 日常の記録
9月10日 私は休日
気温が下がって過ごしやすくなり、個人的に「今日から秋」と認定する。
矢野顕子さんの「ちいさい秋みつけた」「夏の終り」「夏が終る」を聴く。
ブルーノートでのライブが懐かしくなり「荒野の呼び声ー東京録音ー」もちょっと聴く。
ちょっとでも音源化されててよかった。
が、ライブでまた聴きたいものですなー

8月からの読みかけ本2冊読了。
『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(金原ひとみ 集英社)
金原さんの小説は読んだことがなかったのだけど、この本については新聞の書評でみかけて、ぜひ読んでみたいと思ったのだった。
私には金原さんのような資質は全く無く、基本的にのほほんと生きているのだが、そういう読者にも届く誠実で的確な言葉に好感を持った。
小説(言葉)と音楽(ライブ)に救われているというのが、ファッションで言っているのではなく、ほんとうだと分かる。

まったく関係ないのだけど、椎名林檎さんのアルバム『三毒史』にある「TOKYO」という曲を聴いた時と同じ感触を持った。こちらも、私自身にはまったくこういう東京観は無いのだけど、荒涼とした風が身体の中を吹き抜けるような感覚が、とてもリアルなものに思われる。

もう一冊は
『旅のつばくろ』(沢木耕太郎 新潮社)
「JR東日本車内誌『トランヴェール』の好評連載が待望の単行本化!」
ということで、私は去年までの数年間、新幹線の車内で「トランヴェール」を読むのを結構楽しみにしていて、この連載にも親しみを持っていたのだった。
他の時だったら買わなかったかもしれないけど、当面JR東日本管轄内には行けそうにないし、旅行の代わりにと思って。
もっともっと若い時からたくさん旅に出ていればよかったと悔やみながらも、これからも「今が、時だ」と思えるさ、と気を取り直していた中年期の私だったのだが。
まー今のうちに本での旅をしておくかー

この2冊を書いたら、その前に読んだ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スズキナオ スタンドブックス)の書名も書いておきたい。
これも他の時だったら買わなかったかもしれないんだけど、これも新聞の書評で見て気になっていて、岸政彦氏の推薦文もあるし、と思って思い切って。
おもしろかった!好きだー。

長くなってきたが、まだ1日が終わらない。
前から録画していながら、途中で視聴が止まっていたNHKEテレ『旅するスペイン語』の最後の3回分を観る。旅人はシシド・カフカさん。旅先はアルゼンチン、前半はブエノスアイレス、後半は北部に移動。このシリーズ、いいんですよー。カフカさんは結構スペイン語が堪能なので、視聴者はその分、気楽に画面を観られるという良さがある。

そしてそして
夜8時からは東京スカパラダイスオーケストラ オンラインライブ「PARADISKAFE」を観る!
皿洗いとか大急ぎで済ませてなんとかオンタイムに間に合う。
日常生活の中で非日常に跳躍しないといけないところが、こういうストリーミングライブの難しいところですな。
内容は言うまでもなくすばらしかった!!です。
本気の攻めてるセットリスト。
(翌日PLAYLISTにてセットリスト公開というのも良い。後で運転中に聴こうっと)
GAMOさんの「いちばん盛り上がってる家はどこだ~」で、通勤帰りの電車内でiPadとかで観ている人がいるかもーと言っていて、わ、なんかうっかりイヤホン外れちゃって、周囲の人たちも気づいて、車内のみんなでにこにこ踊り出しちゃったりしたら楽しいな、などと映画的展開を夢見てしまった。
仮面ライダーセイバーの主題歌とエンディング、どっちもよかったー。
Alexandrosの人、声質とか歌の世界に合ってるー。それにしても長身小顔だなー(またこの感想(^^;)

「国境の北、オーロラの果て」について、この曲にまつわる記憶が更新されつつあるみたいなことを川上さんが以前どこかで書いていたように思うのだけれど(微妙な言い回しが記憶できず)、こうやってまた、新たな思い出がつくられていくのだろうな、などと思ったり。更新と言っても、消えてしまうわけではなくて、レイヤーのように重なっていて、その時によって最上面に来る記憶は違うというイメージ。

見逃し配信が17日までというのもありがたい!

おっと、この流れでは Muchas gracias!! と書かねばなるまい。
スペイン語圏の人はストリーミングライブは観られないのかな・・・

続・年齢について/ニート

2020年08月30日 | 日常の記録
前項に書いた「3度目の17歳」とか「50歳をいとおしむ」とか、読み返してみると「うへぁ」という気恥ずかしさが・・・イタイ、ような気もする。
「3度目の17歳」の思い付きには、最初「ちょっと、これ、広告業界にパクられちゃうんじゃないの~。著作権フリーで使っていただいてもよくってよ」と鼻高々だったりもしたんだけど(^^;
しかし、字面だけみると、成熟しているべき50代女性が17歳の若さに憑依しているかのようで怖い。即却下だな。
そうじゃなくてー。17歳が成人への中途段階であるように、34歳は中年の、51歳は老年への中途にあるという点で共通項がある、ということでー と説明するとくどくなる。

「50歳」について
「50歳は、25歳の倍美しい」という言葉が、ずっと心に残っていたのに、当事者となった年には失念していた。
これは、中山庸子さんの著書にあった言葉として、早川茉莉さんがご自身のウェブサイトで紹介していたもの。
「倍美しくする義務がある、とも言えるかも・・・」と今ふと思った。

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話変わって
酷暑の空を見上げながら、外出予定の午後の時刻にはまだ暑さのピークが過ぎていないことを思ったとき、ふと「ニートな午後3時」という歌のタイトルが頭に浮かぶ。
たぶん、「ニート」の言葉から派生して感じられる「気だるさ」が、その時の状況にあっていたんだと思うけど、何か違う。このニートは違う意味だったはず。
歌詞検索してみると、果たして、この歌詞のニートは「NEAT」であった。
遠い記憶を呼び起こすと、この「きちんとした」という意味での「ニート」、女性誌などの見出しでよく使われていた時代があった、と思う。この歌がきっかけで流行ったのか、逆に流行りの言葉を歌に取り入れたのかは分からないけど。
ニートって?と辞書で調べた記憶もある。
「Not in Education, Employment or Training」という意味での「NEET」という言葉の登場は1999年なのだそうだ。(ウィキペディアによると)。
いつのまにか、ニートといえばこちらの意味になってしまった。

私は「きちんとした」という意味での「ニート」という言葉に愛着がある、ということに今回気づいた。
自分がきちんとしていないからこその憧れ、なのだった。
「ニートな午後3時」、You Tube で聴いてみたら、ほとんど聞き覚えがないことに逆に驚く。
(同じ歌手の松原みきさんでは「真夜中の虹」のほうが聴いた覚えがあった)
楽曲発表は1981年、資生堂の春のキャンペーンソングだったそう。
(同年カネボウのキャンペーンソングだった矢野顕子さんの「春咲小紅」は、リアルタイムでもちゃんと聞き覚えがあるんだけどなー。)
でもタイトルは印象に残ったのだろう、今にいたるまで覚えている。
歌詞を見ると、80年代初頭の颯爽と格好いい女性像。
ネイティブスピーカーではないので、Neatの使い方はこれでいいのかなぁとちょっとよく分からなかったりもするのだけど、表したいことは分かる。
当時12歳の私にとって、この歌が描く世界は、憧れ、というのとも違うのだけど、懐かしいというか、遠くでキラキラしていたアレは、そうそうこういうものだった、と今にして分かる。
そして「きちんとした」という意味での「ニート」という言葉も、当時の空気を思い出すキラキラしたもののひとつだったのだった。