宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

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2025年01月29日 | 日常の記録

遅まきながら2025年初のブログである。

2024年はとにかく「まさかの年」を乗り越えたという安堵の感で、個人的には十分に良い年だった。

年越しに観ていたNHKEテレ「2355-0655年越しをご一緒にスペシャル」での「新春たなくじ」によると、2025年今年の私は

「DAPPI大吉 ひと皮むける1年になるでしょう」

「スター大吉 スポットライトの当たる一年になるでしょう」

おお。

(「新春たなくじ」とは、パラパラ切り替わる画面をスマホ撮影でキャッチするおみくじ。ついつい2回撮影)

番組内で発表される干支ソング、巳年の今年はヘビのメタル「DAPPI」(歌:大槻ケンヂ)。たまたま検索したら1月22日から配信リリースしているんですって。ヘドバンしちゃうね!

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紅白歌合戦はナマで観ていたのだが、家事その他で中座したりもして、B’zの登場とか盛り上がった場面も、ネットニュースを見てから録画で確認となると、驚きがなくて残念だった…。MISIAの伴奏で初出場の矢野顕子さんがエンディングでも楽しそうにしていたのは良かった。

矢野さんのさとがえるコンサートについても書かないうちに日が過ぎてしまった…ネット上のセットリストや皆さんの感想を見てニコニコするのみ。またそのうち書くかも。

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12月、中山美穂さんの訃報には意外なほどショックを受けた。

中山美穂さんは1970年生まれだが3月生まれなので、学年は自分と同じ。

私が20歳の頃、「卒業」というテレビドラマがありまして。

中山美穂、仙道敦子、河合美智子の3人が短大卒業を控えた同級生という設定で。

私はまだ卒業ではなかったけれど、なんといっても同い年、オルタナティブ自己とまでずうずうしく思うことはなかったが、こうあるべき理想の20歳、みたいな目線で観ていたのかなー…

なんといってもミポリンは本当にかわいかった!

ちょっと前の「ママはアイドル!」でのコメディエンヌぶりも好きだったし、その後の「Love Letter」とか「東京日和」とか映画のスクリーンでも本当に美しかった。

好きな芸能人だと雑誌の長文インタビューとか自著のエッセイとかで人となりを知りたくなるものだけれど、ミポリンに関しては全然そんなことは思わなかった。辻仁成さんとの結婚には「えっ!」と思ったけど、プライベートなこととか思想信条とか知りたいという気持ちは全然わかなかったなー。テレビや映画の中の虚像のミポリンで十分というか、それこそが大事というか。

昔、出席した数少ない結婚式で「世界中の誰よりきっと」歌ったんだよなー…とか、もはや忘れかけていた青春のある一部分を象徴していたのが中山美穂さんだったのだった。「ある一部分」というのは、個性とは別にある「90年代のお年頃の女子」という属性の部分か?

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元SMAP中居くん(と「くん」付けしてしまうが)の事件について、つい雑誌やネットの記事を読んでしまうが、真相は分からない。ふと、残してあった雑誌「Myojo」1995年10月号(SMAPのCDデビュー5年目突入特集記事)を見ると(後で見たら面白いかなとずーっと取ってあった^^;)

「CDデビューしたときには、憧れの歌番組が、ほとんど消えていた。事務所の先輩たちは、新曲出せば1位が当然だったのに、俺たち、3年くらいパッとしなかった。量や枚数だけで判断したくないけど、やっぱあせったよ。そのときに、ファンやスタッフが、SMAPをあきらめなかった。”SMAPがダメならほかのもので頑張ろう”じゃなく、”ダメなSMAPを、頑張って何とかしよう”と考えてくれた。本当に、感謝してます。」

とあって、自分の記憶もこのころの奮闘する中居くんの印象が強い。最初から国民的アイドルだったわけではないのだ。

近年は出演番組も観ていなかったけど、まぁあんまりいい人相ではなくなっていた、なぁ…そして、性癖についてはいかんともしがたいがー

今思うのは、瀬戸内寂聴さんて、つくづく貴重な方だったなーと。寂聴さんに今いてほしかった。

しでかした人に寄り添い話を聴く。昔はなんで?と思ったが、誰にでもできることではない。

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と、書き始めると自分にまったく関係ないことをずるずると書いてしまうのであった…