先日『街場のメディア論』(内田樹 光文社新書)を読んだことから、飛躍して、ふと、
「内田氏のブログ(http://blog.tatsuru.com/)で、英語教育について何か書いてなかったか?」と思い出す。
「英語」でブログ内検索すると、いくつか出てくる。
そのなかの、主に『英語嫌いを作る方法』『英語ができんが、何がいかんとや』を読んで我が意を得たりと思う。
乱暴に要約して、自分向けに解釈すると、
「(一部の)人は、学習するときに『得をするからやるのだ』と思うと、脳が萎縮してやる気が萎える」
ということだ。
この場合の「得」とはお金とか社会的地位とか、万人に分かりやすい報酬のことである。
学生時代に感じていたうっすらとした違和感の源が分かったこともさることながら、大人になってからも思い当たることがある。
自分でも不思議だったのだ。
外国語をいくつか、英語も含めて楽しく学習しているのだが、時々ふと「語学を生かしてキャリアアップ云々」といったフレーズが頭をよぎる。
具体的には、外国語を使う(世間体のよい)職業に就く、または、そのための資格として検定を受ける・・・といったことだが、そういうことを考え出したとたん、脳がフリーズするのが自分でも分かって、歯がゆいというか、ヘンな感じになるのだった。
でもそれは、脳の働きとしてはヘンなことではないらしい。
しかし、内田氏も「一部の子どもたち」と書いておられるように、上記の解釈が万人に当てはまるわけではない。
得をすることがはっきり分かっているからこそ、モチベーションが維持できて、嬉々として学べるという人もいるわけである。
こんなことを長々と書いているからには、私も「得したい」と思っているのである。告白すると勝間和代さんの『年収10倍アップの勉強法』という本もかつて買ったことがあるくらいである。
今おそるおそる(?)同書をひっぱりだして、ふいに発見したことは、
「この世には二種類の人間がいる」(あ、中野翠さんに同タイトルの著書があります^^)
それは、
「『得をする』と思うことが動機づけになる人と、拒絶理由になる人がいる」
勝間さんの本が人気なのは、「これを勉強すれば金になる」と言うだけでなく、そのことによって、自分の世界が広がり学ぶ喜びも得られるということを、合わせて語っているところだと思う。
行き着く先は同じ「学ぶ喜び」なのに、「お金(や他の得)」が、良いきっかけになる人と、逆に、それが邪魔になる人がいる。
どちらかというと、前者の人のほうが、世俗的な喜びも学びの喜びも一挙両得、文字通りお得な人に思える。
残念ながら自分はそうではないということを、もはや認めざるをえない。
しかしながら「得すること」がきっかけになる「学び」というのは、ごく限られているのではないか。外国語でいうと、「得にならない」国の言葉には、見向きもされないだろう。
「市場原理が支配する」とはそういうことなんだな。
なんだかいろいろくやしいなー。
かくなるうえは、いろんなことにおいて、ふとしたきっかけでなんだか分からないけど楽しくやっているうちに、世俗的な得もついてきた、というパターンに持ち込めないものか、と夢想している。
(夢想している間に、具体的に手を動かせって感じですが^^; 検定向けの勉強をしようかなーと思ったときによぎった気持ちを整理するためもあって書いてみたら、長文になりました・・・)
「内田氏のブログ(http://blog.tatsuru.com/)で、英語教育について何か書いてなかったか?」と思い出す。
「英語」でブログ内検索すると、いくつか出てくる。
そのなかの、主に『英語嫌いを作る方法』『英語ができんが、何がいかんとや』を読んで我が意を得たりと思う。
乱暴に要約して、自分向けに解釈すると、
「(一部の)人は、学習するときに『得をするからやるのだ』と思うと、脳が萎縮してやる気が萎える」
ということだ。
この場合の「得」とはお金とか社会的地位とか、万人に分かりやすい報酬のことである。
学生時代に感じていたうっすらとした違和感の源が分かったこともさることながら、大人になってからも思い当たることがある。
自分でも不思議だったのだ。
外国語をいくつか、英語も含めて楽しく学習しているのだが、時々ふと「語学を生かしてキャリアアップ云々」といったフレーズが頭をよぎる。
具体的には、外国語を使う(世間体のよい)職業に就く、または、そのための資格として検定を受ける・・・といったことだが、そういうことを考え出したとたん、脳がフリーズするのが自分でも分かって、歯がゆいというか、ヘンな感じになるのだった。
でもそれは、脳の働きとしてはヘンなことではないらしい。
しかし、内田氏も「一部の子どもたち」と書いておられるように、上記の解釈が万人に当てはまるわけではない。
得をすることがはっきり分かっているからこそ、モチベーションが維持できて、嬉々として学べるという人もいるわけである。
こんなことを長々と書いているからには、私も「得したい」と思っているのである。告白すると勝間和代さんの『年収10倍アップの勉強法』という本もかつて買ったことがあるくらいである。
今おそるおそる(?)同書をひっぱりだして、ふいに発見したことは、
「この世には二種類の人間がいる」(あ、中野翠さんに同タイトルの著書があります^^)
それは、
「『得をする』と思うことが動機づけになる人と、拒絶理由になる人がいる」
勝間さんの本が人気なのは、「これを勉強すれば金になる」と言うだけでなく、そのことによって、自分の世界が広がり学ぶ喜びも得られるということを、合わせて語っているところだと思う。
行き着く先は同じ「学ぶ喜び」なのに、「お金(や他の得)」が、良いきっかけになる人と、逆に、それが邪魔になる人がいる。
どちらかというと、前者の人のほうが、世俗的な喜びも学びの喜びも一挙両得、文字通りお得な人に思える。
残念ながら自分はそうではないということを、もはや認めざるをえない。
しかしながら「得すること」がきっかけになる「学び」というのは、ごく限られているのではないか。外国語でいうと、「得にならない」国の言葉には、見向きもされないだろう。
「市場原理が支配する」とはそういうことなんだな。
なんだかいろいろくやしいなー。
かくなるうえは、いろんなことにおいて、ふとしたきっかけでなんだか分からないけど楽しくやっているうちに、世俗的な得もついてきた、というパターンに持ち込めないものか、と夢想している。
(夢想している間に、具体的に手を動かせって感じですが^^; 検定向けの勉強をしようかなーと思ったときによぎった気持ちを整理するためもあって書いてみたら、長文になりました・・・)