哲学への道 ・3
槙本「私の幸せですか」
透明「はい」
槙本「しかし、それはここでは関係ないのでは」
透明「槙本さん幸せを感じたり、幸せを知らない
人が、どうやって幸せを説くことができるのかな」
槙本「あっ」
透明「人の幸せを考える事と言うのは、まず指針となる
自分自身の幸せを知り、その幸せと照らし合わせて
自分自身の幸せを知り、その幸せと照らし合わせて
判断することから始めなければ、幸せの定義というのは、
作り出すことができないものです
もちろん、槙本さんの幸せは、多くの他者とは違うもの
かもしれないけど、先ずは指針を作らなくちゃね」
槙本「確かにそうかもしれませんが・・・・。
私の幸せは、断定的な結果に伴う事ぐらいしか無く、
一般の人とは違う解釈になってしまうのでは
ないでしょうか
私を指針とする考えは、偏りを起こす恐れがある
気がするのですが」
これは、星空先生も手を焼くわけだ・・・
透明「クスッ確かにそうですね
では、今の時点で、槙本さんの考える幸せの定義って
どういったものなのでしょう」
槙本「私の考える幸せの定義は、思考に合わせた高揚感だと
認識しています
人は、思考と高揚が合わさった時、幸せを感じ、
その幸せをもう一度体現しようと考えるもの
もし、幸せというものが固定的な概念となれば、
一度、幸せを掴んだものは、「未来永劫幸せ」
という確定的な結果が生じてしまいます
しかし、人はその幸せをいつまでも持続はできません
そこには、人が自己を満足させる為の思考と、
成功を導き出したという高揚感が合致した際にだけ
訪れる至高の時間があるのだと私は想っております」
成功を導き出したという高揚感が合致した際にだけ
訪れる至高の時間があるのだと私は想っております」
透明「ほうほうなるほど~
確かに、自分が幸せになる為に必要なことを考え、
実行し、成功としてそれが成れば、高揚感が生まれ、
幸せを体感できるというのは、その通りだと思うけど、
もし、その人が自分の幸せを別の場所に持っていたと
したら、どうかな」
槙本「えっ」
透明「例えば、Aさんが幸せを手に入れる為に、思考して
行動し、結果としてそれが成ったとしますよね
でも、Aさんは、そのこと自体では幸せを感じない
それは、Aさんにとって、その結果で自分の大切な者が
喜んでくれると想定し、その相手の反応が自分の幸せに
直結していると感じていたからなんです
でも、結果的には、Aさんが予測で相手が喜んでくれると
想っていた為、結果、時間が割かれてしまい、会う時間を失い
その相手との距離が遠くなってしまった・・・
私の所に来てくれる相談者さんの中には、そういった
経験をもっている人も多いので、参考になるかと思う
のだけど、思考に合わせた高揚感だけでは、人間の価値観は
はかることはできない気もしないかな」
槙本「・・・・確かに、破綻していますね
もちろん、そのシチュエーションでも、相手が成功を
喜んでくれたとしたら、高揚感を得られ、幸せを感じられる
とは思うのですが、シチュエーションが変わっても、
定義の範囲に入らなければ、幸せを論ずることはできない
のかもしれませんね・・・。」
透明「クスクス確かに、この場合でも、お相手次第で、
高揚感を得られるから幸せを感じることには繋がるよね
でも、もう少し根本的なことを言っても良いかな」
槙本「」
透明「そもそも、その考えの中に、確定した自分の幸せはあるのかな」
槙本「」
透明「幸せというのは、人それぞれ感じ方も考え方も違うもの
その中で自分の幸せを本当の意味で知っている人って
どれだけいるのかな
自分が幸せになるために頑張って、結果を出したとしても、
その結果が自分の想定とは違ったものであれば、人は幸せ
どころか、虚しさや不幸を感じる人だっている
その結果が自分の想定とは違ったものであれば、人は幸せ
どころか、虚しさや不幸を感じる人だっている
結果が直接的に高揚感に繋がることは、不変的ということ
になるよね
そういった多面性のある感覚に定義をつけるとするなら、
もっと小さな幸せから探さないと答えは出ないのでは
ないかな」
槙本「あっ・・・・・」
透明「ということで
槙本さんの幸せってなあに」
続く ・・・・。
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