じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

10/14~26 芭蕉通夜舟 東京公演
 ≪地方公演≫
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? はれ予報11月号
10/28 Numero TOKYO12月号(扶桑社)
11/1 CINEMA SQUARE vol.150(日之出出版)
   朝日新聞夕刊
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11/7 映画「アングリースクワッド」完成披露上映会
11/22 映画「アングリースクワッド」公開

【2025年】
2月 WOWOW ドラマW「ゴールドサンセット」放送

劇団朋友アトリエ公演「かもめ」

2009-08-17 19:29:51 | 観劇記
昨日は西荻窪にある劇団朋友のアトリエでチェーホフの「かもめ」のお芝居を観てきました。あまりにも有名なチェーホフの戯曲 チェーホフと言えば思い出すのは2年前に上演された「ロマンス」 あの時もかなり難解で後でパンフレットで復習して噛み砕いたという覚えがありますが、あの舞台でも「かもめ」で有名なセリフが引用されたらしいんですよね~~全く??だったのですが じい、恥ずかしながら演劇史上有名で観てて当然という基本中の基本の舞台を観ていないので、今回もあらすじ&作品の周辺事情だけは頭に入れていこうと思って、いちおう予習をしたのですが、登場人物の相関図から思いっきり間違って覚えてて でも、今回の舞台は、原作には忠実ながらも分かりやすい演出になっていたので楽しめました。ロシア演劇のことをもっと知っていたら、もっともっと深く楽しめたなぁ~と、そこのところはちょいと反省

舞台は15分の休憩込み2時間半の2幕構成。あらすじはこんな感じです。

ロシアの田舎。作家志望の青年・トレープレフは、大女優である母親のアルカージナに認めてもらいたくて、彼女が故郷に帰省した際に、恋人のニーナを主役にして前衛的な芝居を上演する。しかし、アルカージナや彼女が連れてきた愛人で売れっ子作家のトリゴーリンたちは「デカダン」と一蹴し、トレープレフは落ち込む。女優志望で都会に憧れるニーナは、華やかな世界で活躍するトリゴーリンに惹かれ、トリゴーリンもまんざらではない態度を取る。自分の作品を否定され、恋人の心変わりを感じたトレープレフは撃ち殺したカモメをニーナに送り、「僕はいつかこんな風に自分を撃ち殺すんだ」と告げ自殺未遂を図る。
2年後、ニーナは田舎を出てモスクワへ出てトリゴーリンと生活し子供にも恵まれるが、女優としては成功せず、トリゴーリンにも捨てられて、結局田舎に舞い戻ってくる。トレープレフは作品が雑誌に掲載されるようになり世間に認められる作家になっていた。そんな時にトレープレフとニーナは再会、トレープレフは変わらぬ愛を告白するが、ニーナは復縁する気はなく、女優として生きる道を選び去っていく。取り残されたトレープレフは絶望し自殺する。

劇場はまさにアトリエ 座布団が並べてある長いすが客席に、触れてしまいそうなほど間近に舞台。じい、なんとなんと最前列 足を伸ばしたソコは舞台な状態、、、見上げるようにがん見なお席でした 座る体勢がまさに「腰掛ける」状態だったので、先日の富山とは違った意味で“サバイバル”な感じだったのですが、時々足を伸ばして舞台との段差の端っこに足を引っ掛けたりして……ゴメンナサイ で、舞台は細い木の板が剥き出しに釘打ちしてある壁に囲まれていて、真ん中には暗い海?に赤い月が描かれた絵画、所々に麻っぽい布が垂らしてあって、シーンによってはキャストが隠れていたり……あと、木の椅子やテーブルが置いてあって、シーン毎に配置を変えて使われていました。

場面転換やキャストの出入りの時にBGMが流れていたのですが、多分女子十二楽坊のアルバム?が使われていたんだと思います。中国っぽい雰囲気の音色だな~と最初からずっと思ってて、幕切れがおなじみの「アストゥリアス」だったのでビンゴ という感じで でね~~その幕切れがとっても素敵でした。最後、トレープレフの自殺は銃声のみで分かる流れになっていて、客間では母親のアルカージナやトリゴーリンたちがテーブルで食卓を囲みワインで乾杯をしている姿で終わるんですわ。それがまるで絵画というか、二次元の映像作品で最後にスローモーションがかかって「ここだ!」という瞬間にストップをかけて静止画にするという、その流れを三次元の舞台で見せられて釘付けになりました あまりにも素晴らしくて・・・ それに、この一場面が作品が放っているメッセージを伝えていると思うんですよね~~新しい芸術の流れを提唱し世間的にもみとめられてきている青年が絶望して死を選び、その時代の芸術界でスポットライトを浴びている既存の女優や作家たちが楽しそうに食卓を囲んでいる。皮肉とも取れるけど、逞しくもあり可愛くもあり……喜怒哀楽が詰め込まれた深いシーンでした。

ストーリー的にはロシア文学にありがち 大正~昭和初期の日本文学にも通じるところがあるのですが、ひたすら苦悩した末にお先真っ暗のラストという話 ただ、ドッシリ重~くという感じではなくて、どことなく可笑しみのある作品だな~と思いました。配布された冊子にもこの舞台を演出された文学座の西川信廣さんの文章の中に書かれていたのですが、この作品の主題は恋と芸術で、「出来そこない人間たちの、熱き空回り」であるということなんですよね~~それは観ていて感じました。既にリタイアした老人は人生でまだやり残したことがあると愚痴り、亡くした恋を未だに追い続けて酒浸りで刹那的に生きている女性がいたり、さらにその女性の母親に至っては今の生活を捨てられないくせに夢ばかり思い描いているという。。。主人公の青年トレープレフなんて強気なことを言ってるくせにマザコン、根性なし、打たれ弱い、生活能力ゼロのヘタレ 思わず「シャキーッとしなさい!」と引っ叩きなるような奴でした。でもね~~それぞれが可愛いんです。自分自身はそうなりたくないし、身近にいたら絶対に付き合いたくない人たちばかりなんだけど、何か愛おしさを感じてしまうんですよね もしかしたら誰しも持っている、認めてほしい/赦してほしいと思っている弱い部分に共通するものがあるからなのかな~と思ったり。。。

恋と芸術、どちらも生活には直結しない、ある意味なくてもいいものだと思うんです。そんなものはくだらない戯言……そういう風に言う人もいるモノなんですよね~~でも、人間が潤って生きていくためにはやっぱり必要なものだし、生きる糧になっている部分がある。そして、そういう必要だけど不必要でもあるものに対して一生懸命になっている人間がもう可笑しくて可笑しくて……それがチェーホフの冷静さと温かさを表しているようで面白かったですわ。あと、作品の中で既存の芸術の在り方を批判するセリフや議論が出てくる場面があるのですが、もしかしたら当時の芸術や社会の風潮に物申す!という部分を含んでいるのかな?と……そこら辺の時代背景や文化の流れは詳しくないので分からないのですが、もしや?というじいの勝手な想像と直感 そこら辺を復習しなくてはっ

出演された皆さん、素晴らしいセリフ回しと演技でした。冒頭は“ザ・演劇”な感じ 客席の真ん中辺に視線を向けて自己主張する喋り方っぽい部分があって、じいの中に元々あった演劇苦手意識を思い出しちゃったんだけど、今回は演目自体が重厚な古典ということもあって、それもありなのかな~とチラリと。それに、それぞれが演じる役の味を出していたと思うので良かったと思います。じい、特に注目しちゃったのが主役のトレープレフを演じた相馬聡廣さんと、昔の失恋を引きずって刹那的に生きているマーシャと後に夫婦になるメドヴェージェンコ役の堀田将智さん。相馬さんはオバサマ方のアイドル間違いなしのキラキラ感 に包まれたプリンスな雰囲気。じいも思わず してずっと目で追っていたことは否定しません(笑) でもね~~ただキラキラしてるんじゃないんですよ ヘタレちゃんな部分がきちんと伝わってくる演じ方が素晴らしいと思いました。堀田さんの方は本当に可哀想な役で、舅&姑からは露骨に意地悪をされ妻には邪険にされ、でもそうされるのも仕方ないダサダサな田舎男を見事に演じられていました。あの雰囲気は凄い!と思いましたわ あと、、、実はこの方が一番の目当てだったのですが、今回客演されたトリゴーリン役の瀬戸口郁さん 相変わらずの張りのあるひきつけられる美声 これまた優柔不断で情けないのに思わずクラクラ~ と惹かれてしまったニーナの気持ちが分からないでもない(笑)作家役を堪能させていただきました。2幕冒頭でニーナに心奪われるトリゴーリンが愛人関係のアルカージナにキスしまくられて言い含められてしまうところは面白かったですぅ~~
コメント
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