6月9日ソワレの観劇記です。
前回の「夢の泪」に引き続き無事に観劇できました
ここら辺なら!と予定を決めようとした頃には既に完売
諦めかけていたら数日前に何とか取れたので良かったですぅ~~今回はバルコニー席からの観劇で(小劇場なので斜めって観ないといけなかったけど十分すぎるほどよく見えた
)、ここだと客席全体がよく見渡せるのですが、チラホラ空席もあって……戻り云々で結構余裕はあったのかも~~
今回のあらすじはこんな感じ。
昭和20年8月28日、熱海屏風ヶ浦の断崖から一人の男が投身自殺した。名は三宅徳次、陸軍大佐、大本営参謀。「戦争責任は、作戦立案した我等にあり」との遺書を大連にいる娘・友子宛に認めたのだが、彼の遺体はいつまでもあがらなかった。昭和22年7月下旬。東北のある町、佐藤織物の別邸。当主・八代目作兵衛は戦後の混乱期の今、農地改革、未曾有のインフレ、組合運動の先鋭化など多くの問題を抱えているほか、国語教師の長女・絹子は行かず後家。次女・繭子は、東京で三流画家に貢ぐばかりか、額縁ヌードショーに出演する始末。屏風美術館の開設だけが生きがいの作兵衛。その仕事を今は、上野の古美術商の兄のもとで働いている徳次が手伝っている。投身自殺を図ったものの、崖に生えた松の木に引っかかって助かっていたのだった。そこへ大連から命からがら引き揚げてきた友子が訪ねて来て、親子は久しぶりの再会を果たす。そんな佐藤家に、地方新聞の主筆をしている尾形明が絹子の見合い相手としてやって来る。さらに繭子の貢ぐ三流画家の愛人でヌードモデルの河野高子が東京から闖入するわ、工場主任の熱血漢・五十嵐武夫が組合を結成すると告げに来るわで、大混乱。そこへ佐藤家の小作人の次男坊ながら、地元の警察署長に成り上がった菊池次郎が、大ニュースをもってやって来た。東京の市ヶ谷法廷で東京裁判が行われている一方で、21年2月から始まっている天皇の行幸がこの8月には東北地方を巡幸されることが決定、中旬にはこの町をお訪ねになり、状況によっては佐藤家にお泊りになるという。ついこの前まで現人神にして、大元帥閣下だった天皇。戦後人間宣言をし、今年5月3日に施行された日本国憲法では象徴とかいうものになられた天皇。いったいそんな天皇をどうお迎えして、どうすればよいのか・・・。御前会議で一、二度その姿を目にしたことがある、という徳次を巻き込んで、佐藤家の大広間で天皇をお迎えするための予行演習が始まる・・・。(新国立劇場HPより)
東京裁判三部作の第三部なのですが、東京裁判に関するネタは全く出てきませんでした。実際、観ていたじいもすっかり忘れていたし
でも、よくよく考えたら天皇を扱うということは東京裁判の核心中の核心を取り上げるってことですからね~~ま、そこのところは後ほど
今回もドラマ・ウィズ・ミュージック
2006年初演の作品ということで、先月観た「夢の泪」よりも音楽は少なめ
最近観た井上作品に近い感じで自然に楽しめました。歌はクルト・ヴァイルやリチャード・ロジャーズの映画曲もいくつか使われていたり、スコットランド民謡や「ひょっこりひょうたん島」で使われた曲があったり……難しい音符の動きがある感じに聞こえて歌うのが難しいだろうな~と思う曲も結構ありましたが、ミュージカルではないし綺麗に歌い上げられても困るので
逆に雑多な感じの歌い方が良い味を出していたと思います。馴染みのない曲ばかりでしたが、ラストの曲の1つ前、「日常生活の楽しみのブルース」は聞き覚えがあったのよね~~他の井上作品で出てきた???でもね~~この曲で思わずウルッとしてしまいました。その前がものすご~~く緊迫した、でも最上級に素晴らしい見せ場があって、それを乗り越えて逞しく生きていこうとする人々を優しい眼差しで包んだ歌
当たり前だけど、小さいことだけど、でも凄く凄く大事で素敵なこと、、、普通に夕飯の支度をして、家族で食卓を囲んで、晩酌をして、夜のひと時を楽しんで……そんな日常を送る普通の人たちの輝きがあまりにも愛おしくて切なくて
これぞ井上作品の魅力
でね~~これまた井上さんが大切にしていて拘っていらっしゃったもの、、、言葉の話。国語の話や方言の話を扱う作品も他にいくつかありますが、面と向かって…というか直球勝負!実際に劇場でナマで触れたのは初めて。いや~~言葉フェチ(笑) というか少なからず言葉に関わってきて興味
なじいには堪らんっっ
とまさに卒倒物
女学校で国文法を教えている絹子の文法ヲタの話はめちゃめちゃ面白かったですぅ~~彼女の経歴を紹介する中で女子大で研究していたのが「源氏物語における助動詞・けりの数について」……それを聞いた徳次が「けり」の活用を「けら・けり・けれ・ころ」とか言いながら歌い始めて
「ころっころっ」なんて面白すぎ~~しかも間違ってるし
更に語順の話!徳次とその娘・友子におにぎりを振る舞いながら、「あなたはおにぎりを食べた」を例に、英語・中国語・日本語の語順の違いについて講義し始める場面があるんですわ。当然ながら英語と中国語は主語→動詞→目的語になって、さらに英語ではおにぎりの数によってSが付いたり付かなかったり……そんな話をしながら言葉の話を超えた大事な内容を絡めていくところが凄いな~~と思いました。中国語はその言葉の中身を大事にする、英語は他の言葉との関係性によって変化する、日本語は「てにをは」によって自由に中身を挿げ替えることができる、、、それぞれの言葉を使う国を思い浮かべながら考えると面白いんですよね~~特に歴史上の出来事を考えると「なるほどな~」と唸ってしまうところがあって。。。 日本語は変幻自在、「てにをは」の前に付ける言葉を変えれば真逆のことでも言えてしまう。当時これでもか!と持て囃され重視されていた民主だの平和だの、そういう言葉を使った文章も、戦前は同じ文章で真逆の言葉を使っていた、それでも成り立ってしまうのが日本語であり日本という国でもある。しかも「日本語には主語がない、主語を隠す仕掛けがしてあることに気づかなかった」というセリフがあるのですが、だからこそ曖昧にしてしまったり、ごまかして他に責任を押し付けたりすることができることも指摘しているんですよね~~まぁね~~日本語って主語をしつこく書くことを嫌う文化を持っていると思います。自分の筆で生計を立てている方にご教授いただいた時には「私は」なんて文章を書こうものなら叱られてたし
源氏物語なんて主語を省略しまくってくれるから高校時代に苦労させられたから恨み辛みがあるし(大和和紀のマンガの方は好きよ~
)……そうそう、ミュージカルの訳詞を聞いている時も思いますね~~日本語訳では表現不可能な代名詞のニュアンスの数々。でも日本語ってそういうものなんですよね。ただ、それが悪い方向にいくと、劇中で絹子が言っていたように「状況次第で、主語次第で、こんなにも人間の運命が違ってきていいんですか。やむをえないのひとことで、すむ話ですか」と問うようなことを起こしてしまう。これまた劇中で「主語を明確にする外国の言葉が入ってきて、学校でも主語と述語が大事だと教えられるようになる」という話が出てくるけど、それでもやっぱり主語がないんですよね~~日本語には。そういう性質の言語だということは別にして、大事にしないといけないな~と思いました、、、特に「私は」という主語。私はこう考えて、こんな風に行動した、感じた、それを隠してはいけないと思いますね~~未来に向かって生きる時も、そして過去を振り返って考えるときも。絶対に忘れてはいけない“義務”ではないかと。。。
そして、、、今回の作品の中で一番ズッシリきた場面!前述の“最上級の素晴らしい見せ場”というのが、佐藤家の長女・絹子と徳次のやり取り。天皇一行が佐藤家に泊まることになって、その前に関係者の下見があるということで、その時に備えて予行演習をすることになるのですが、実際に天皇に会ったことのある徳次を昭和天皇に見立てて、御前での振舞い方を練習したりする。常に1.5メートル以上離れて、3秒以上直視してはいけない、背中を向けてはいけない、ド~♪の音程の高さ(実際に楽器担当の人に音を出してもらう場面が面白いの~
)位で喋らないといけない等など。天皇を演じる徳次を演じた角野卓造さん
じいは普通に素で喋っている姿&幸楽のマスター・万引きGメンの旦那役の印象しかなくて(ゴメンナサイ
)ナマの演技に触れたのは今回が初めてでしたが、いや~~素晴らしかったですね~~丸メガネと髭を付けた天皇の姿は、、、体型のせいだと思うんだけど昭和天皇というよりは東条英機?土肥原賢二??っぽく見えたけど、なりきりっぷりは凄かったですね~~醸し出す雰囲気、それも決して本物じゃなくて徳次が演じている天皇という空気感が伝わってきたので。しかも有名な「あ、そう」という答え方とかツボったし、いろいろ面白い“モノマネ”をやっては周りの人たちに「戦前なら不敬罪ですよ!」と突っ込まれ……っていうか、世が世ならこの作品自体が不敬罪だよな~~とじいも突っ込みたいぞぉ
それで、絹子がこの機会に是非申し上げたいことがあるということで天皇の戦争責任を問い詰めていくんですわ。それに対して「徳次天皇」が最初は「遺憾に思う」的な、いかにも高貴な人的な振る舞いで対応していくのが、「歌を詠むことに逃げないでください。一言国民に対してすまなかったとおっしゃってくだされば、私たちはまた新しく出発できる、生きていける」といった内容のことを何度かぶつけるうちに、「すまなかった。私は退位してこの福島で余生を隠遁して送りたい」という言葉を引き出すことになる。。。いや~~凄いことですよ、本当に。でもこの一言を引き出す場面こそ井上さんが一番求めたシーンなのではないか?とふと思ったんですよね~~他の作品でも天皇の戦争責任を醸し出すセリフや場面はいろいろ出てくるけど、ここまでハッキリきっぱり描いたシーンに出会ったのは初めて!!!えーえーーえーーーここまでやっちゃっていいのかぁ???
いろんな意味で心が震えました。実際にその時代を生きた世代の方が観て感じたことを聞いてみたい気はするけど、これはじいの勝手な感じ方……この場面こそ人々が言いたかったこと、求めていたこと、しなければならなかったことなのではないかな~と思うんです。徳次という人物はまさに日本人の微妙な心の内の葛藤や機微を持ったキャラクターなんですよね~~彼は戦前は大本営の参謀として戦争を指揮していて天皇に対する尊敬も厚い。だからこそ戦後、自分も戦争指導者として責任を取る、天皇もきっと退位をして隠居するはずだと思って自殺を図るし、自分が天皇を演じた時にも「すまなかった。退位する」と思わず口走ってしまう。神格化しているわけではないけど未だに特別視する感情があるから天皇の行幸のあれこれで大慌てをして予行演習では恭しく振舞う、その一方である意味戦争責任の追及では?と思うような感情もあったりする……その複雑な心持ちって多かれ少なかれあると思うんですよね~~どういう立場、思想、信条であっても日本人の内側にはみんな。。。国体の護持、戦前は軍部が戦争終結を前にそのことに躍起になっていたから戦争がなかなか終わらなかった。戦後は占領軍が安定した占領政策のために国体の護持を容認した……つまり東京裁判で天皇を被告にしなかった。本当なら真っ先に壊さなければならなかった国体だったのに。そういうところを遠巻きに描くことで、やっぱり東京裁判のことを伝えているし、私たちはどう考える?という提起もしているのよね~~ホント、ズッシリです、この場面
最後はどーしてどーして
いや、1幕後半でじいは「もしかして???」と思っていたんだけど、徳次と絹子がイイ感じになるんですよね~~このまま上手くいけば結婚しちゃう……とか
この二人が舞台の真ん中に座って、文法の本を広げて、ボケとツッコミなやり取りをしながら話しているのですが、もうぅぅ~~その凸凹コンビっぷりが微笑ましくてね~~絹子役の三田和代さんが可愛かったな~~
この二人、、、片方は元参謀、もう片方は民主主義を唱えた男性を愛し、ダミーではあったけど天皇を糾弾した教師、いわば対極の立場にある二人なわけだけど、その二人があーだこーだ言いながら楽しそうに過ごしている姿を見るうちに泣けてきちゃって
いや、ここで涙涙になるとは思わなかったですよ~~歴史だの政治だの、そんな理屈じゃなくて何だかすっごく温かい気持ちが湧き上がってきて……しかも井上さんの笑顔の写真が頭を過ぎってねぇ~~井上さんのメッセージが溢れていたと思います。ここでの二人の姿、井上さんは目指していらっしゃったのかな~~と。それを受け止め、受け継いでいかないといけないんですよね……任された!凄く凄く大きなものを残してくださったと思います
そして「劇場は、夢を見るなつかしい揺りかご、その夢の真実を考えるところ、その夢の裂け目を考えるところ」……本当に本当に大事にしたい心です。
今回ももちろんパンフは速攻お買い上げ~♪じい的にはツボ直撃の話が目白押しでっす
新国立で上演された5作品、、、懐かしの「箱根強羅ホテル」の1場面の写真が載ってました
そして、ずっと前からどーしても一度観てみたいのがあるんですよね~~杮落としだった演目。再演しないかなぁ