観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

選挙制度と日本特有の問題ファシズム

2009-06-24 03:54:11 | 政治システム・理論
小選挙区で選ばれた国会議員は、国民の多数意見(世論)を重視せざるを得ません。比例代表で選ばれた国会議員も、党のブランドを考え、実際は国民の多数意見に従う傾向があるように見えます。

中選挙区時代の影響もありますから、例外はあるでしょうが、日本は既にして民主的と言っていいと思います。

日本の現在の問題はむしろファシズムの方でしょう。日本民主主義は戦前ファシズム体制を生み、無謀な戦争に突入しました。国民性はそう簡単には変わりません。もう既に危険な兆候は出ていると思います。小選挙区制がそれを助長しているのは否めないところではあります。ただし、戦前の中選挙区制はファシズム体制を生んだわけですから、中選挙区制に戻せば解決するかは微妙でしょう。結局、国民性は変わっていません。

解決策としては、皆(という名の多数)が言うから正義と言う言説をファシズムとして否定するしかありません。ただし、多数決という手続き(議論がなされているはず)が問題と言うわけではないということに注意が必要です。厄介なのは国民の特性として、多数決は好きではないということです。好きなのは全会一致で、同調圧力が非常に強いのが問題です。これでは日本の民主主義は必然的帰結として、必ずファシズム体制に成らざるを得ません。日本の教育と指導者の見識(世論の後ろをついていくリーダーって形容矛盾です)が問われます。

私は、利益誘導政治は嫌いですし、中選挙区制はそのような傾向を助長したとも言えますから、小選挙区比例代表並立制は支持してきた経緯があります。小泉氏の手法も気にしていませんでしたし、郵政解散はシングルイシューですが、ライフワークという話もあり、当時さほど違和感は感じませんでした。しかし、今の民主党並びに世論という名の多数意見を振りかざすものは、全て違和感を感じます。主な理由が「みんながいうから」ではお話になりません。そこら辺の小学生でもできそうなものです。勉強してください。

最後に誤解を招かないよう書いておきますが、私は多数意見に拠ることを必ずしも否定していません(当たり前)。通常の多数決も否定していません(当たり前)。支持者に皆さんと問いかけることも否定していません(当たり前)。首相が適切な場で国民の皆さんと問いかけるのも否定していません(当たり前)。否定しているのは正義の最終的な根拠が多数であるという言説、とりわけ権力・その他あらゆる暴力がそれと結びつく場合です。近代国家はこれでは運営不能は明らかで、流れを逆転させないと、100%日本は自滅に向かいます。政治ブログでこれを看過してはならないでしょう。

参考までに/MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090330/stt0903300331002-n1.htm

安易な「族議員レッテル貼り」への疑問

2009-06-24 02:24:26 | 政治システム・理論
ネットニュースで安易な「族議員レッテル貼り」が横行しているようなので、疑問を呈しておきます。

基本的に国会議員というのは、選挙で国民に選ばれた存在です。また、直接民主制の代表例であるギリシア都市国家ですら、実態は参政権のない人のいる不平等国家と言えます。直接民主制は近代国家では有り得ません。要するに選挙で選ばれ正当性を得た議員が判断することが民主主義と言っていいと思います。議員さんは選挙で落ちたくないので、通常国民の多数意見に反することはやりたくありません。それでも、専門知識から判断して、世論の大勢に反する決断をくだすことは有り得ます。一般国民が国会議員と同量の知識・人脈を持ち、議論を行うことは不可能であるので、これに問題があるとは考えられません。説明し切れなければ、政党支持率が落ち、自分の身が危なくなるというだけの話でしょう。

「族議員」とは一体なんでしょうか。官僚や業界団体との結びつきが深いだけで「族議員」と安易なレッテル貼りを行うのは、むしろ不見識だと言い切れます。専門知識のある良質の議員であり、大臣に適しているとも考えられますから。問題は特定団体などと結びついて個人の利益をはかり、国民のためにならない判断を下す場合です。これは悪い議員であり、「族議員」と言っていいでしょう。つまり、マスコミにも知識がなければ、「族議員」との実態があるとの判断をくだしようがありません。野党も同じで、「専門的判断抜きでの族議員判断は不可能」です。与党を牽制したいのであれば、野党・マスコミは勉強しようということであり、野党が法案を出す際に与党が批判するにもパターンにも同じことが言えます。

当ブログは殊更マスコミと対立しようと思っていませんので、リンク・引用は控えておきますが、社会保障費の抑制が撤回されたからといって、族議員が暗躍したということには成り得ません。社会保障費の抑制の撤回が悪いこととの判断があってはじめて、批判的に議員さんを扱うことが出来ると言えるのではないでしょうか。政府関係者に苛立つ人がいるのはある意味当然と言えますが、マスコミは政府の代弁者ではありませんので、マスコミが反発するには政策判断が必須です。

結論に入ります。社会保障費の抑制の撤回(骨太の方針2009)で、政策判断抜きの安易な「族議員」批判が踊りましたが、「記者クラブ制度の弊害がもたらす政府情報の垂れ流し」か、「自民党・麻生政権に対する感情的な反発などから来る悪質な政局プロパガンダ」か、「面白おかしくニュースを流して部数・アクセス数を稼ごうとする商業主義に毒された低質のマスコミ病」のいずれかだと思います。あるいは複数絡んでいるかもしれません。