国際式の高い要求を掲げて交渉し適当なところで妥結するスタイルとは異なるが、落としどころは事前にハッキリさせておいた方が、問題をどう解決すればいいか見えてくるし、高い要求を本気で信じこんで後でガッカリするよりは(日本人は真面目な民族だと思う)、いいと思う。何より、我々は交渉当事者ではないのだから。言ったことそのままであるのも、言葉の信頼性があっていいのでは。
というわけで、韓国との諸問題について、この辺が落としどころだろうということころを考察してみたい。
まず、靖国問題だが、戦犯を祀ることが問題といっても、敗者を祀る判官びいきの傾向にある日本人に、それを止めさせることは難しい。平将門を祀れば、北朝の天皇家を戴くにも関わらず、南朝を正統としてしまう国民性であることを忘れてはならない。死者に鞭打つ文化ではないのであって、日本が外国の慣習に従う理由は無いのだ。無論、先の大戦への反省はしなければならない。ただ、日本のために命を賭した犠牲になった戦没者の慰霊は、平等に行うのが当然だ。
これは宗教や慣習の問題であって、干渉する方がおかしいのだ。これは基本的に韓国が日本の宗教や慣習を尊重することでしか解決しない問題であって、中間をとればいいという問題ではないと思う。
ただし、靖国が旧日本を賛美するともとれる歴史観を表明しているとされている問題はあるだろう。政治的に「反省しない日本」の象徴ともなっており、要人が参拝すれば、議論になるのは避けられないということであり、靖国の歴史観に国が干渉できるものではないから、ハッキリ書いてしまえば、靖国(神社の歴史観)が日本に迷惑をかけるのも、仕方ないということだ。勿論、宗教上の理由(靖国で会おうと散っていったのだから)で、靖国の代替の施設はないことも言うまでもない。
次に教科書問題だが、必要があれば、別に教科書を修正するのは構わないが、韓国が日本にケチをつける問題だと思っていたら(思っているだろう)大間違いだ。日本が韓国の教科書にケチをつけたらどうなるだろう(日本の経済援助が書かれていないとか、二次大戦の勝者であるかのような記述は問題だとか)。他所の国の教科書にケチをつけるということは、そういうことなのであって、韓国が反省して謎の上から目線を止めるしか無い問題だ。教科書問題では、侵略を進出と改めたという誤報があったが、現実に客観的に日本が問題のある記述をした言えることはないと思う。
次に竹島問題だが、日本は客観的根拠をもって、日本の領土だとしているのであって、韓国がどう思おうと勝手だが、自分の主張に自信があるなら、裁判でもすれば?としか言いようが無い。日本の発言を封じにかかるような韓国の言論圧殺を目論むかのような動きは、それ自体問題なのであって、これも韓国が自分で諦めるしかない問題だ。韓国が竹島を勝手に歴史認識の問題に仕立てるのは勝手だが、我々は我々の主張をしていくだけであって、それを止めることは韓国にはできない。韓国が日本を侵略する国で反省しないと言ったところで、もはや誰も信頼しないと思う(日本の戦後平和国家の歩みは揺ぎ無い)。韓国が竹島のことで日本を警戒しようがしまいが、日本にとってどうでもいい問題に違いない。韓国の杞憂する権利は認めたいと思う。
次に在日韓国人の問題になるが、ヘイトスピーチの問題。日本人の在日韓国人への批判を防ぐのがヘイトスピーチの役割に成りかねないことを保守派は警戒しているが、懸念はもっともだと思う。韓国で日本へのヘイトはし放題なのだから、不公平感は否めないだろう。ただ、在日を全て追い出せとか殺せとかいう発言がいいとは思わない。この国際社会では、外国人と上手くつきあっていく必要があるし、無実の人を巻き込むような発言は人道上問題があるとされても仕方ないだろう。しかしながら、殺せとかいう発言は、そもそも法的に問題があるのであって、一々ヘイトスピーチで対応しなければならないかは疑問だろう。外国人を特別に保護しなければならない理由は何か疑問は残る。
次に慰安婦問題。慰安婦は売春婦の一種であることは間違いない。強制連行はなかったのであって、強制性はあったとか言うのは、結局強制連行説を唱える嘘吐きの方々を利する行為でしかない。日本は粘り強く日本の主張をしていきたい。
最後にスワップの問題。日韓スワップが日本の韓国への援助の性格が強いことは明白であって、日本にメリットはないから、スワップはするべきではない。スワップしたら、韓国の危機に巻き込まれるだけである。日本の危機があると仮定しても、韓国はどうすることも出来ないのであって、日本は欧米とのスワップで十分である。
結局、韓国の高い要求を真に受けて、日本が譲歩するのは、概ね意味が無いと言えると思う。
しかし、それでは、日韓関係がこのままになるから、
どうしたら良いかと言えば、韓国のクソみたいな人達のクソみたいな主張を攻撃すればどうだろうかという結論になる。そうすれば、比較的まともな人が動き易くなるだろうし、正気に戻る人も出てくるかもしれないと思うのだ。