札幌から洞爺湖方面に抜ける道路 国道230号線
(札幌~久遠郡せたな町 間)
その国道230号線の札幌市南区と虻田郡喜茂別町の(間)境界になっている
峠があります。
中山峠 (標高831m)
道の駅 望羊中山 があるので、トイレ休憩や名物の「あげいも」を買いに
多くの方が、立ち寄った事があるかもしれません。
そんな中山峠に、銅像があります。
(望羊中山の駐車場を喜茂別側へ下りてすぐ 左側にあります)
「現如上人銅像」
この中山峠、現在の国道230号線の元となる道を作ったお坊さんです。
明治2(1869)年に明治政府は、札幌に蝦夷地(北海道)の本府を置く事を
決定しました。それ伴い、函館と札幌を結ぶ新道が必要になりました。
ですが、新政府には財源がありませんでした。
そこで新政府は、東本願寺に懇願しました。
東本願寺は、世界の平和と仏法弘通のため新政府の懇願を了承して北海道
の開発事業に着手しました。
「本願寺道路」は、現在の伊達市から札幌市までに及びました。
明治3(1870)年2月、19歳の現如新門主が総責任者として京都を出発。
僧侶百数十名と亘理藩(宮城県)の武士約50名やアイヌの人達が工事に従事。
その人数は、延べ5万5千人。翌年の明治4年7月に完成しました。
その工事費用は、1万8057両 (現在の貨幣価値ですと 約2億円)
馬も通行できる当時としては、本格的な道路だったようです。
現在は、崩落したり、獣道化したり、あるいは田畑にされ、人家が建ったり
国道拡張工事などで99%道路の跡は残っていません。
一部、札幌市南区簾舞に道路跡が保存されています。
この銅像は、現如上人が来道100年にあたる、昭和44(1969)年に
東本願寺が当時の工事に携わった人達の労苦に感謝し、功績を顕彰する
為につくられたそうです。
先人の苦労のおかげで、今は快適に峠越えが
できるのですね・・・。
この日も、チャリダー(自転車での旅行者)を見ましたが、さすがに私は
中山峠を自転車で越えようという考えが思いつかないです。
行けても、定山渓が体力の限界の限界でしょうね・・・。