(六)
10時になって私はいつもの寝カフェに入った。かの路上ミュー
ジシャンは、私は彼を「バロック」と呼ぶことにしたが、彼は私を
ロビーで待っていた。
「メシ、食った?」
私は何時も通りそこのカップ麺で済ますつもりでいたので、
「いいや」
と言うと、バロックは私の腕をつかんで、
「奢るよ!」
と、私をまた外へ連れ出した。誘われるまますぐ近くの居酒屋へ入
ったが、十時過ぎの居酒屋はもうどの席にも客がいて、誰もが脳味
噌に凝り固まった社会の常識を酒で溶かすことに精を出していた。
「いらっしゃいませ、二名さま、どうぞ此方へ」
アルバイトらしき研修生と書かれた名札をした女性が出て来て我々
を案内してくれた。彼女は足早に満席の間を縫って奥へ入って右に
曲がり、さらに今度は左に曲がった奥の壁際に席が並んでいるその
ドンツキの、前の客の宴の後がそのままの席に座らせた。
「すみませんがこちらでお願いします」
研修生はいつの間にか大きな木の入れ物を用意していて、
「すぐに片付けますので、」
と言って、散らかったテーブルの器を片っ端から入れ物に投げ込ん
だ。しばらくその手際を観察していたバロックが、
「こんな奥の席やったらもし火事になったら逃げられへんね?」
と言った、すると研修生が毅然として、
「すぐ後ろに非常口があります!」
と、バロックの頭の上を指差して言った。確かに上には非常出口の
案内灯がぶら下がっていた。バロックは彼女に生ビールのジョッキ
2つを私に断りもせずに頼んでから、
「いい?」
と言った。そしてメニューを取って今度は私に一つ一つ確認しなが
ら料理の注文を済ました。そして、
「こんな処に非常口があったらこっから爆れるなっ!」
と小声で言った。私は奢られる身分上何も言えなかった。酒が進む
につれて互いに打ち解けて、やがて話は大阪のことになった。バロ
ックの大阪文化論とは次のようなことだった。
豊かさには「フロー」と「ストック」があって、「フロー」を共
有、「ストック」を所有とすると、例えば豊かな自然環境にはきれ
いな川が流れていて誰もがそれを共有することができる。きれいな
川には多くの魚が棲み誰もがそれを獲ることができた。やがてよそ
者がやって来て魚を一網打尽に捕まえて塩漬けなどにして蓄えよう
とする。蓄えを所有する者にとっては豊かさかもしれないが、蓄え
が増えればやがて川に棲む魚も減っていき、遂には魚が居なくなる
。かつては誰もが共有できた豊かさは一部の所有する者の豊かさへ
変貌して魚の棲む豊かな川は失われる。そして蓄えを所有する者は
魚のいなくなった川を諦め、今度は他所の川でまた魚を獲ろうとす
る。こうして彼等は世界中の魚を獲り尽くして蓄えを増やしていく
。これこそが今世界中で起きているグローバル資本主義で、世界の
資源を奪い合ってそれまで共有されていた環境や生活を破壊してい
く。やがて地球は我々のものだ!と言うカンパニーが現れるかもし
れない、否、もうアメリカのいくつかの会社はそう思っているかも
しれない。つまり一部の豊かさは、かつては誰もが共有できた豊か
さを独占することによって成り立っているのだ。
かつて大阪は商人文化「フロー」の町で、東京の武士文化「スト
ック」とは異っていた。武士は破産しても武士で居られるが、商人
はいくら蓄えが有っても商いを誤れば何もかも失うことを知ってい
た。つまり商いは客があっての商いで、いくら蓄えがあるからとい
っても商いは客に頭を下げねばならない。蓄えを見せびらかして自
慢するのは客に対して失礼だと慎んだ。そういう慎みは世間に対す
る慎みとなり、貧富に関わらずに、貧しい者でも店に行けば客にな
るので、貧富を超えた共生が生まれた。1970年の大阪万博は、
モノ作りの町大阪に大きな夢と技術の進歩をもたらした。大阪商人
の合理的な思考は様々な産業で新しい製品を生んだ。20年後の1
990年花と緑の博覧会はバブル期絶頂の中、濡れ手で「泡」の金
儲けに血道を上げて「花博」は「賭博」に様変わりした。そもそも
大阪は日本の電気産業の発祥の地であるにもかかわらず、モノ作り
を忘れて将来の産業を担うIT技術に乗り遅れ、日本のシリコンバ
レーに成れなかったことは返す返すも大きな失敗だった。やがて「
花(札)(賭)博」はバブルの崩壊で御開きになった。
その頃の大阪は、投資ジャーナルに始まって豊田商事の金商法、
老舗大手銀行のトップが「古傷は問わない」で画策した地価高騰、
尾上縫の「こんなん出ました」を有り難がった銀行の頭取やイトマ
ン事件など、これが大阪商人のやる事かと信じられない事の連続で
、巨額の損失を報じるニュースに地道な大阪商人は危惧を感じた筈
だ。その後の地価の下落、経済の崩壊、銀行の破綻、立て直そうと
しての莫大な借金、それに乗じてのグローバル化による東京資本「
ストック」主義の進出で、かつて貧富を超えて共有した大阪共生「
フロー」文化がブッ壊された。質素倹約を忘れ富者は慎みを失い、
かつては卑しいと思われた金持ち自慢を恥じらいもなくテレビが流
す。「共生」は「競争」に聞き間違われて、貧富の格差が壁を生み
共生の豊かさは破壊され、それぞれが金儲けの為には周りを省みな
くなった。それは当たり前のように思うかもしれないが、かつて大
阪人は金儲けと同じほど世間も大事にしていた。まだ鈍感力の優れ
た「おばちゃん」は元気に生き残ってはいるが。もし大阪が再生す
る方法があるとすれば、それは破産宣言して債権団体になることだ
。今や大阪は亡ぶことでしか再生の道は無いと思う、いやその時こ
そ自立した浪速の商人(なにわのあきんど)の共生力が蘇り、グロー
バル社会に抗する新しい社会のあり方が生まれてくるに違いない。
何事にも先駆けてきた大阪が亡ぶということは、やがて日本もその
後を追随するだろうと推測するに難くない。
資本家にとっては豊かさが共有されることは価値が無い。いくら
魚が多く棲む豊かな川でも捕獲されて始めて価値が生まれる。一部
の所有者による「ストック」された豊かさは共有の「フロー」を貧
しくし、格差社会は大阪に留まらずに中国で起き、アジアに広まっ
ている。我々アジアの人間はグローバルスタンダードを振りかざし
て進出して来るこの変貌してしまったプロテスタントの資本主義者
に「反抗」して、アジアの「フロー」の文化をいかに護るのかが今
まさに問われている。もはや日本もそのプロテスタントの手先だけ
どね。社会の豊かさって「フロー」の豊かさだと思うんだけどね。
だって砂漠の中の石油王より森の貧者の方が豊かだと思わない。
以上がバロックの大阪文化論だった。
(つづく)