「無題」
(十)―④
昼過ぎには海水浴場を後にして、実際、この夏初めての海水浴で、
あの日差しの下で半日でも居ようものなら干物になってしまう。早
々に車で宿に戻って少し休んでから、己然がどうしても行きたいと
言っていたワニ園に行った。あまり時間がなかったが、それでも歩
くことさえしんどい私たちにはそれで充分だった。ただ、己然だけ
が元気に走り回っていた。
宿に帰って来るとさっそく充電器(ベット)に身を預けた。夕飯を
済まして少しは回復して寛いでいると、木下さんの息子からデンワ
があった。
「ほら、今日から花火大会が始まるでしょ。庭からよく見えるんで
すよ。みんなでパーティーしますから、もしよかったら来ませんか
?」
すでに己然は疲れ果てて寝ていた。私は、妻にどうするか訊いた。
ただ、オーナーからはここからでも充分見えると聴いていたので出
かける気にはならなかった。それに、彼らは私たちよりも随分若い
人たちだった。ただ、美咲だけは「行きたい!」と言った。木下さ
んの息子は、
「それじゃあ、迎えに行きます」
それを美咲に伝えると、彼女はバスルームに駆け込んでは、何度も
出たり入ったりを繰り返し、何度も服を替えてはミラースタンドの前で
自分の姿を映した。
美咲が、何時ペンションに戻って来たのかさえ知らぬままに朝を
迎えた。花火は8時半に終わり、私らが寝たのは11時頃だったか。
少なくともそれまでは戻って来なかった。その美咲はまだ眠ったま
まだった。ただ、今朝はもう迎えの車は来なかったので自分たちの
好きな時間に出ることができた。すでに朝食の時間は始まっていた。
妻が彼女に声を掛けたが、とても起きそうになかったので、彼女だ
けを残して三人で食堂へ行った。
朝食を済まして部屋に戻って見ると、美咲が慌しく身なりを整え、
「ママ、昨日使ったタオルどこにあるの?」
すると妻は、
「あ、窓の外に干してある」
美咲は、それを取って自分のバッグに詰めながら、
「お父さん、悪いけど私だけ先に送ってくれない?」
「どうしたんだ?」
「私、体験ダイビングに参加することにしたの」
「何?それ」
「だからスクーバダイビングするのよ!」
「スクーバ?」
「そう、スキューバは間違いでスクーバが正しいんだって。もうそ
んなことどうでもいいから、早く!9時までに行かなきゃならない
のよ」
妻は、
「じゃ、朝ごはんはどうするの?」
と訊くと、
「時間がない」
と答えて部屋を出た。私は、彼女に急かされて、彼女だけ木下さん
のペンションへ送ることにした。因みに、木下さんのペンションの
名前は、恥ずかしくて言えなかったけど、「アンダーツリー]と言った。
せめて、定冠詞くらい付けて欲しかった。
(つづく)