「無題」
(十)―⑥
こうして、我が家の家族旅行は終わった。
すでに、もう今では夏の盛りも峠を過ぎ、朝晩もめっきり過ごし
易くなって、蝉も鳴き止むほど騒がしかった己然の夏休みも終わり、
蝉に替わって虫の音が聴こえ始めると再び学校へ通い始めた。更に、
妻までも「出ていくばかりだともたない」とか言って、早朝から近
くのコンビニで働き始めた。朝食を作ると宣言した私は今も実行し
ていて、妻が起きる時間を少しは遅らせることに貢献しているはず
だ。しかし、彼女らが出かけた後にひとり取り残された私は、静ま
り返った家の中で所在なくただ時間だけが過ぎていった。
美咲は、何とか編入試験に受かり再び学生生活に戻った。教師に
なる夢はどうやら諦めたようだ。「自分自身も思い通りにならない
のに、人に教えるなんて無理」、自分を見つめ直して、少なくとも
以前よりは衝動的な感情の暴露はしなくなった。木下さんの息子と
まだ続いていて、連絡は取り合っているがすぐには会えないことが、
自分自身を実験台にして理性によって感情をコントロールする訓練
をしているのだと、これまで私にそんなことを吐露したことなどな
かったのに、私の携帯に送ってきてくれた。私は、「辛くなったら
一人で悩まないで、いつでも家に帰って来なさい」と送り返した。
彼女は、今、奪われた父親との時間を取り戻そうとしていた。もち
ろん、彼氏との絆であるスキューバダイビング、じゃなかった「ス
クーバ」ダイビング、への想いを失ってはいなかった。Cカードの
習得はある程度までならプールのあるショップでもできたので、そ
れも、木下さんの息子が以前勤めていた都内のショップに通って、
後は現地での海洋実習を残すばかりで、当然、彼女は彼氏との再会
の日を楽しみにしていた。
(つづく)