「無題」 (十)―⑥

2012-07-12 00:42:22 | 小説「無題」 (六) ― (十)



             「無題」


              (十)―⑥


 こうして、我が家の家族旅行は終わった。

 すでに、もう今では夏の盛りも峠を過ぎ、朝晩もめっきり過ごし

易くなって、蝉も鳴き止むほど騒がしかった己然の夏休みも終わり、

蝉に替わって虫の音が聴こえ始めると再び学校へ通い始めた。更に、

妻までも「出ていくばかりだともたない」とか言って、早朝から近

くのコンビニで働き始めた。朝食を作ると宣言した私は今も実行し

ていて、妻が起きる時間を少しは遅らせることに貢献しているはず

だ。しかし、彼女らが出かけた後にひとり取り残された私は、静ま

り返った家の中で所在なくただ時間だけが過ぎていった。

 美咲は、何とか編入試験に受かり再び学生生活に戻った。教師に

なる夢はどうやら諦めたようだ。「自分自身も思い通りにならない

のに、人に教えるなんて無理」、自分を見つめ直して、少なくとも

以前よりは衝動的な感情の暴露はしなくなった。木下さんの息子と

まだ続いていて、連絡は取り合っているがすぐには会えないことが、

自分自身を実験台にして理性によって感情をコントロールする訓練

をしているのだと、これまで私にそんなことを吐露したことなどな

かったのに、私の携帯に送ってきてくれた。私は、「辛くなったら

一人で悩まないで、いつでも家に帰って来なさい」と送り返した。

彼女は、今、奪われた父親との時間を取り戻そうとしていた。もち

ろん、彼氏との絆であるスキューバダイビング、じゃなかった「ス

クーバ」ダイビング、への想いを失ってはいなかった。Cカードの

習得はある程度までならプールのあるショップでもできたので、そ

れも、木下さんの息子が以前勤めていた都内のショップに通って、

後は現地での海洋実習を残すばかりで、当然、彼女は彼氏との再会

の日を楽しみにしていた。


                         (つづく)