「人よ、寛(ゆるや)かなれ」
本は読むためのもので飾るためにあるのではないという信念
から読まなくなった本は大方処分したが、「そうだ!」、確か
ボードレールだったと思うが部屋には一冊の本も置かずに思索
に耽ったと何かで読んだことがあったからかもしれないが、そ
れでも、どうしても捨てられずにニコチンで燻製のように茶色
く変色した本棚を眺めていると、ふと、若い頃に読み耽った金
子光晴の本が眼に留まった。私は、どうしてか言葉から生まれ
る詩情に疎くって、たとえば、中原中也の詩を読んでも未だに
何が言いたいのかよく解らずにいるくらいで、もちろん金子光
晴も詩人として作品を遺した人だったので、読んだ記憶があっ
ても一編の詩も浮かび上がって来ないで、「確か、蛾だったよ
な」くらいで、そんなことだからおそらく彼の詩集は処分して
しまったに違いないが、ただ、一冊だけ残された「人よ、寛(
ゆるや)かなれ」と題された随筆が目に留まった。これも題名だ
けが気に入って辛うじて手元に残ったが、その内容については
まったく忘れてしまった。さっそく中を開いて読んでみたが、
その人と為りは甦ってきたが然したる想いはなかった。つまり、
私には、「人よ、寛(ゆるや)かなれ」という題名だけが彼のメ
ッセージとして残されていた。
今日は情報技術の飛躍的な発展によって、伝わってくるニュ
ースや社会の在り方について、過ちが許されない世知辛いモラ
ルが近代人を縛っている。何気ない呟きさえも全世界の人々に
まで知れ渡り非難される。何もかもが整ってないといけなくて、
油断して階段を踏み外した者は抹殺されるバトル社会である。
しかし、われわれとはそんな確立した存在だろうか?少なくと
も私は、ゴミの分別さえ出来ない分別のないだらしない人間で
ある。欠伸さえも気兼ねなくできない社会で「人よ、寛(ゆるや)
かなれ」という言葉ほど私の心を緩ませるメッセージはない。
それにしても、いったいわたし達は何処へ急いでいるのだろうか?
その随筆の中で彼は、「われわれは、すぐに極限に走る傾向
があって、余裕が少ない。」と言いながらも世界中を放浪して
きた経験から、「それも、日本人だけに限ったことではなく、
どこの民族でも、多少、ニュアンスのあらわれかたがちがうだ
けでぎりぎりのところで人間がそれぞれもっているもので、時
には、その熱っこさにびっくりすることがあった。」そして、
「中国人の二重底性格にも、一面拳から血を流すまで机をたた
いて、じぶんを通そうとして議論をしている若者たちがいて、
議論の主旨も寛大さを欠き、一方的な憎悪をかきたてていた。」
さらに、さまざまな民族に於いても、他人を排他することで自
分を正当化しようとする偏狭で利己的な論理の不条理に暗然と
した。当時(1974年)はまだ米ソ冷戦の最中で、ベトナム戦争、
中東紛争の悲劇が世界を不安に陥れていたが、その解決を探
るために繰り返し会議を重ねても、「その解決の埒があくのがお
そい」「そのわけは各国の政治人の、それらの国を代表した言い
分が、――もちろんその国々の全体の人々の意見が利我的で、
すこしの損もしまいとがんばれるだけがんばることで、解決が長
引く。」「その延び延びのあいだに、多くのいのちがなくなった悲劇
が、人間精神の今日の欠落を指摘しているにもかかわらず、だれ
にも、なにほどのこともできないようである。」「そして、これはどうや
ら逆に、個人の賦活、ひとりひとりの精神生活の反省がされなけれ
ば、悲劇はなくならないのではないかとおもうと、僕は、全身の血が
退いていくおもいがする。」 と語っている。
金子光晴『人よ、寛かなれ』より
果たして、われわれは、寛(ゆるや)かであるだろうか?
(おわり)