「めしべ」
ピカソの絵に、「赤い椅子に座る女」という作品があって、初め
て観た時に何故か「めしべ」とひらがなで書かれているのだと思っ
た。もちろん、ピカソが何故日本のひらがなを知っていたのかとか、
それでも「女」と「めしべ」は何となく繋がるからなどと勝手な想
像に納得してその場を後にして、その後それ以上の詮索の機会を失
ってしまっていた。
「赤い椅子に座る女」
「めしべ」じゃありません(注:筆者)
あれはいつ頃だったか、小さな会社の家族旅行に欠員が出たので無
理やり参加させらて、群馬県にある温泉旅館への一泊旅行に連れて
行かれた。旅館そのものは近代化されて面白くもなかったが、もっ
と言えば温泉施設もスーパー銭湯のような大浴場で殺風景で風情が
なく、すると間もなく慰安旅行と思しき別の団体の若者たちが大挙
押し寄せてきたので丸裸のまま逃げ出した。それにしても温泉に若
い男ほど相応しくないものはない。彼らの機敏な動作や早口の会話
が浴場に漂うゆったりした時の流れを乱すからだ。彼らはシャワー
室で身体を洗うことは知っていても温泉場での寛ぎ方などまったく
知らない。仕方なく退散して部屋に戻ろうとしてエレベーターホー
ルまで来ると、そこに一枚のピカソのリトグラフが掛けられていた。
建物そのものはつまらなかったが、その旅館は部屋といわず廊下に
までも館内の到る所に美術品が置かれていたりリトグラフが掛けら
れていて、たとえば、宿泊した和洋折衷の部屋には畳の床の間には
一幅の水墨の掛け軸が垂れ生け花が添えられ、ソファが置かれたフ
ローリングの壁には抽象的なリトグラフが掛かっているといった何
とも日本的な猥雑さだった。私は、エレベーターホールのピカソの
絵を観て思わず立ち竦んだ。その絵は、実は同じものが掲載されて
いないかPCの画像を検索してみたが見当たらなくてお見せできな
いのが残念だが、人物を描写などまったくド返ししてまるで石燈籠
のように描いてあって、私の頭の中では「?」が沸き上がっていた。
それでも、その絵が気になって離れることが出来ずにエレベーター
の扉が開いても載ろうとはしなかった。
そもそも絵画とは何かと言えば、「アナザーワールド」なのだ。
敢て言えば、写実的な描写にこだわって如何にこの世界を模写して
も、そこにアナザーワールドが描かれていなければ写真と何ら変わ
らない。否、写真にだってそこにアナザーワールドがなければ人は
魅了されないだろう。そして、画家であれ写真家であれ、凡そ作品
を創造しようとする芸術家本人にとって、そこに残そうとするのは
マイワールドなのだ。だから、ただ模倣するだけではマイワールド
は生まれて来ない。私はしばらく呆然として、ピカソが描いたアナ
ザーワールドに、落し穴に落ちるように吸い込まれてしまった。
(つづく)