「めしべ」③
社員旅行で欠員が出たので仕方なく代わりに連れて行かれた温泉
旅館で、わたしはたまたま目にしたピカソの絵に衝撃を受けた。その
絵にはもう「めしべ」とは書かれていなかった。おそらく人物を描いた
と思われたが「赤い椅子に座る女」と同じようにとても人物を描いてあ
るとは言えないほど抽象化されいて、何か変なものとしか言い表せな
かった。しかし、わたしはその変なものにハマッテしまった。それは感
動というより「なんだこりゃ?」という不可解さが勝っていた。その絵は
この世界を満たす空間を切り取って額縁を付けたような異次元の世
界を覗いているようで、言葉で表すのは難しいが「ドカン、ドカン」とい
う印象だった。そして、その不可解さが観る者の共感を阻んでいた。
かつて、小林秀雄は自らの著書の中で、ゴッホが描いた糸杉の絵を
観て美術館を出るとその印象から抜け出せずに現実の景色がまるで
ゴッホの描いた絵のように見えてきたと書いているが、わたしはその
奇妙な絵を観ていると、次第に現実の世界が意味を失ってそれまで
当たり前のように眺めていた存在が、たとえば、自分の手でさえも奇
妙なものに思えてきた。
(つづく)