「二元論」
(13)のつづき
ハイデガーは、〈現存在(人間)が存在を規定する〉と考えたとし
ても、また反対に〈存在が現存存(人間)を規定する〉と思索の転回
(ケ―レ)を余儀なくされたとしても、つまり、人間は世界を作り変
えることが許されるとしても、また反対に人間は〈存在〉に規定さ
れているとの考えに転換したとしても、その二つの存在概念の先に
想い描いていた世界はどちらも「おそらくは〈存在=生成〉という
存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るよう
な自然観を復権することによって、明らかに行きづまりにきている
近代ヨーロッパの人間中心主義文化をくつがえそうと企てていたの
である。」(木田元著『ハイデガーの思想』)
ハイデガーは、〈存在〉を「本質存在」と「事実存在」に二分す
る形而上学(Meta-physics)こそが自然(希 φύσις ピュシス)の驚異の姿
を見失わせて、自然を、世界を作り変えるための単なる〈材料・質
料〉へと零落させてしまったと考えた。「近代における物質的・機
械論的自然観と人間中心主義的文化形成の根源は、遠くギリシャ古
典時代に端を発する〈存在=現前性=被制作性〉という存在概念に
あるべきだ――とハイデガーはこう考えていたのである。」(同上)
私は、哲学者ハイデガーがそのような反科学主義者であることな
どまったく知らなかったので、おそらく多くの人もそうだと思うが
、さらに言えば、初期の時期には〈存在=生成〉という存在概念の
下に忘れられた始原への回帰を求めて人間中心主義(ヒュ―マ二ズム)
文化を覆そうとして民族主義者ヒットラー率いるナチス党の伝統文化
への回帰思想に共感を示した。そもそも回帰思想とは、どこの社会で
もそうだが、多様性を見直すことから始まるが、当然、ハイデガーが
復権させようと試みた形而上学的思惟以前の始原の単純さを保持して
いる自然(ピュシス)への回帰思想は、それに反して多くの科学者を輩
出している形而上学的能力に優れたユダヤ人へ向けられ反ユダヤ主義
を増長させた。
クレームが来ないようにビビりながら書いてます (つづく)