「二元論」 (15)のつづき

2021-08-14 16:53:51 | 「二元論」

    「二元論」


   (15)のつづき


 ハイデガーは、「存在と時間」の上巻の発刊後に思想転回(ケ―

レ)を余儀なくされて下巻の刊行を断念せざるを得なくなった。し

かし、ソクラテスを師と仰ぐプラトン・アリストテレスによって始

まった〈存在〉を「本質存在」と「事実存在」に二元化して思考す

る形而上学的思考から自然を制作のための単なる材料・質料と見る

存在概念によって構成された人間中心主義(ヒューマニズム)的文化

の限界をよみ取り、〈存在=生成〉という存在概念による自然観を

復権させようという企ては、折しも国民の支持を得た人種主義者ヒ

ットラー率いるナチス・ドイツに加担することによって文化革命を

具現化させようとしたが、間もなくしてナチス・ドイツは敗北のの

ち残虐なホロコースト政策が断罪されて、ハイデガーもまた批判の

矢面に立たされた。これら度重なる挫折を味わったのち、しかし、

〈現存在(人間)が存在を規定する〉という存在概念によって構成さ

れた人間中心主義(ヒューマニズム)的文化が限界に達することを確

信していたが、ハイデガー哲学の第一人者木田元は、「では、この

形而上学の時代、存在忘却の時代に、われわれに何がなしうるのか

。失われた存在を追想しつつ待つことだけと後期のハイデガーは

考えていたようである。」(木田元「ハイデガーの思想」)

 

実は大雨洪水警報の警戒レベル5相当が出ていてこんなことをしている     場合じゃないのですが、かと言っても何もすることがないので(つづく)

 


「私自身のためのテキスト」

2021-08-14 12:38:06 | 「二元論」

         「私自身のためのテキスト」

 

ハイデガーの「黒いノート」に記されていた、驚きの内容とは
ハイデガーは本当に「反ユダヤ」だったか      轟孝夫
 より

 

 ハイデガーであれば「環境保護」運動そのものが主体性の形而上学

に基づいた一種の「ヒューマニズム」(「エコ」意識の高い人間とい

う理想像の追及)にすぎず、今日の環境問題を真に引き起こしている

ものをまったく認識できていないという批判をするだろう。

 これだけ環境問題に強い関心がもたれるのであれば、その淵源を明

確に指し示すハイデガーの思索が今こそ再評価されるべきだとも思う

が、それとはまったく逆に、極右政党と同じようにいかがわしい存在

として誰も一顧だにしないのは何とも皮肉な事態としか言いようがな

い。

 ハイデガーによると、存在者を計算可能、作成可能なものと捉える

主体性は、古代ギリシア哲学と並んで、あらゆる存在者を神によって

作られたものと捉えるユダヤ‐キリスト教の創造説に由来する。このよ

うな意味で、主体性の形而上学は「ユダヤ的なもの」とも言いうるわ

けだ。それゆえ彼はナチスが主体性の形而上学によって無自覚に規定

されている状態を、ユダヤ人を迫害するナチスこそが「ユダヤ的なも

の」であるといった仕方で揶揄するのである。