「存在とは答えだ」

2011-11-20 00:08:00 | 「存在とは何だ?」

 


              「存在とは答えだ」


 真夜中を過ぎました。雨も降り飽きたようです。虫たちも息をひ

そめる静かな夜です。世界は先ほど営業を終えてひっそり閑として

います。宇宙の中に私だけが取り残されたようです。いや、実は、

私も存在しないのかもしれません。目を閉じると、感覚は私を離れ

て静かな宇宙に繋がります。宇宙も息をひそめて流れています。存

在のよりどころを求めて流れているのでしょうか。いや、何も求め

てはいないのでしょう。そこには問いなどないからです。すべてが

答えなのです。わたしの問いはいつも答えの後ばかり追いかけてき

たけれど、今、知りました。答えがないのではない、わたしが問い

掛けているだけだと。宇宙も大地も、そしてわたしが存在すること

のすべてが答えなんだと。

 

 「世界の中に神秘はない。世界が在ることが神秘だ」
                         
                    (ヴィトゲンシュタイン)


 中国地方のこんな山の中に、あすノーベル物理学賞を受賞された

益川敏英氏が講演に来られます。聴きに行ってみようと思っています。

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 「11月15日」

2011-11-15 21:10:46 | 赤裸の心

                 「11月15日」


 11月15日は私の誕生日です。この日は七五三の日でもあるの

で子どもの頃は千歳飴だけで随分誤魔化された思い出があります。

更に、大阪では年明けの「えべっ(戎)さん」の祭りにその売れ残っ

た千歳飴が細工を変えて福飴として売られます。商人の街大阪では

三ヶ日が明けると「商売繁盛で笹持って来い!」の掛け声に寄せら

れて戎神社に参ります。今宮戎神社にはよく連れて行かれましたが、

またその福飴を与えられて、子ども心に初めて「飽いた」という感

情を知りました。だから、誕生日といえば舐めても舐めてもなくな

らないあの金太郎飴を思い出さずには居られません。

 もう小学校に上がっていましたが、近所に露天商のタコ焼き屋を

営む夫婦がいて、子どもが無かったからだと思いますがそのおばち

ゃんによく可愛がられて、祭りや夜店に連れて行ってくれました。

おばちゃんが家に呼びに来てくれるのです。夜店の嫌いな子供はい

ませんしタコ焼きも食べれるから歓んで着いて行きました。戎神社

では一度迷子になって警察の世話になったことさえありました。あ

る年の瀬でした、そのおばちゃんがいつもの様に誘いに来た時、母

親がそれまでとは態度を変えて、涙ながらに「もう連れて行かない

でくれ」と訴えたんです。「私の子を返してくれ」とも言いました。

それほど私はおばちゃんといつも一緒に居るようになってました。

母の訴えを聞いておばちゃんは仕方なく諦めて帰り、そして、それ

からもう私を誘うことはありませんでした。しばらくして、寒さの厳

しい時期だったと覚えていますが、おばちゃん夫婦は「えべっさん」

のために車の中に泊まり込み、暖を取るための練炭による一酸化炭

素中毒で二人とも亡くなりました。それから母親は、一緒に行って

たらお前も死んでたと言い、事あるごとに「お前を助けてやった」

とおばちゃんから引き離したことを自慢しました。私も母はすごい

人だと思いました。

 社会に出てから11月15日はあの坂本竜馬の誕生日であること

を知りました。もちろん、彼が生きていた時代は旧暦ですので厳密

には同じ日とは言えませんが、彼の外連味(けれんみ)のない生き方

に惹かれました。野望があっても我欲に縛られない清々しい生き方

に憬れました。ちょうどその頃は京都にいて池田屋騒動の舞台とな

った、当時は土産物屋だった三条木屋町の店で、例の革靴を履いた

竜馬のポスターを買い求め部屋の壁に貼り、竜馬が眠る護国寺にも

足を運び、そこから見下ろせる洛中の家並は今も目を閉じると浮か

んできます。歴史に埋もれていた彼を見出したのは司馬遼太郎の「

竜馬が行く」でした。その頃の京都はまさに竜馬ブームで、否、京

都だけでなく日本中がドラマの影響で幕末ブームでした。彼と誕生

日が同じである私は心の中に生きる竜馬が汚されていくようでその

流行に素直に乗れませんでした。竜馬をまるで自分のために居るよ

うに語る武田鉄矢は大嫌いです。

 私の父は、私が15才の時に亡くなりました。父が脳卒中で倒れ

る前夜、私は夢の中で父が死ぬ夢を見ました。夢を見ても目覚めと

ともにまず記憶に残ることはなかったのですが、その夢だけははっ

きりと覚えていました。父の遺体を担いで病院の階段を下りていく

夢でした。それでも、おかしな夢だと思うだけですぐに忘れてしま

いました。昼過ぎになって近所の人が父が倒れてると駆けて来てく

れました。父は私の手を痛くなるほど握り返しました。すぐに救急

車を呼んでもらって集中治療室に運ばれましたが、すでに脳死状態

でした。しばらくして、私はどうしてあんな夢を見たのか気になり

ました。予知夢というにはあまりにもはっきり記憶していて怖ろし

くなりました。そして、もしかしてこの世とは別の世界が在るのか

も知れないと素直に感じました。しかし、この世に在ってこの世に

は亡き者に従って生きるのは自らの命を全うすることにはならない

のではないか。ただ、そういう不思議があってもかまわないが、そ

れらに操られて生きたくなかった。たとえ間違っていても自分自身

の意志に従って生きようと決意して不思議な夢を封印した。宮本武

蔵が残した「神仏は尊し、されど頼らず」です。すぐに父の葬式が

行われましたが、その日は私の誕生日の11月15日でした。

 坂本竜馬は、自らが起草した「船中八策」によって大政奉還を見

届け、新政府の構想まで考えていたが自らはその要職には加わらず、

大海へ出て世界を駆け回る夢を描いていた。しかし、恨みをもった

徒によって惜しくも暗殺されてしまった。奇しくも彼が殺された日

は彼が生まれた日、即ち11月15日だった。

 

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「あほリズム」(174)

2011-11-14 13:22:11 | アフォリズム(箴言)ではありません

                  「あほリズム」


                    (174)

 

 

 交易の原則は相互主義に尽きる。ところが、それぞれ得意分野が異

なりA国の安価な農作物はN国の農業を破たんさせ、N国の優れた

製品はA国の産業を崩壊させる。つまり、農業を守ろうとすれば産

業が衰退し、産業を特化させれば農業が打撃を受ける。交易の相互

主義は国内問題に形を変えて回帰してくる。ところで、我が国の農

業関係者は我が国の産業がA国の産業をどれほど衰退させたかにつ

いて認識しているだろうか?将又(はたまた)、産業界は農産物の自

由化がどれほど農業環境を荒廃させるかと考えたことがあるだろう

か?さらに言えば、農業の人々は消費の利益をどれ程考えているだ

ろうか?もはや、それぞれが蛸壺の利害だけを主張するだけでは問

題は解決しないのだ。いずれTPP参加の問題はこの国をどういう

国にするのかに帰還してくる。

 

 


「あほリズム」(171)~(173)

2011-11-14 10:10:49 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」


          (171)


 TPPとは自由貿易を謳いながら、実はその本質は参加国以外の

国を締め出す経済のブロック化に他ならない。

 

           (172)

 
 その主たる目的はアメリカが先導する中国包囲網であり、これは

もはや熾烈な国家間の経済戦争である。そして、我々はかつて太

平洋を挟んで何が起こったのかを歴史に学ぶべきである。

 

           (173)


 唐突ですが、天皇陛下のご病状が気に掛かって仕方ありません。

一日も早く健やかになられんことを願っています。

 

 


「広島の熊野神社」

2011-11-12 01:45:16 | 赤裸の心

                   「広島の熊野神社」


 私の母は広島県の山間部、あのヒバゴンで一躍名を馳せた(旧)比

婆群西城町(今は庄原市西城町)の出身です。大阪で和歌山出身の

父と巡り合って所帯を持ち私が生まれました。子どもの頃、よく夏

休みになると母に連れられて彼女の実家へ行きました。当時はまだ

藁ぶき屋根で土間には牛小屋のある大きな民家でした。始めのうち

はその寂しさに堪えられませんでしたが、終いには川遊びをしたり

蝉取りをして山道や畔を走り回りました。その時に母が話したこと

で気になっていることがあります。

 それは、比婆山には古くから熊野神社という伊邪那美命(イザナ

ギノミコト)を祀る神社があります。古事記によると「かれその神

避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比

婆の山に葬りき」とあり、比婆山は伊邪那美命の御陵と記されて

いる。ただ「現在イザナミの神陵地は本居宣長の『古事記伝』の

記述から出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山であると推

定される」(ウィキペディア「比婆山」)とあるように同じ名前の

山が隣県にもあってそっちが御陵だと言われている。もっとも、熊

野神社と称する神社でさえ勧請されて全国に三千社近くもあるとい

うのだから何れが本家かなど探るつもりなどない。

 伊邪那美(イザナミ)命は伊邪那岐(イザナギ)命と結婚して大八島

を産んだ神で、「古事記」にはその様子が記されています。

 現代語訳ですが、

伊邪那岐 「あなたの体はどのようにできていますか」

伊邪那美 「私の体には、成長して、成長していないところ(女陰

     のことを示す)が1ヶ所あります」

伊邪那岐 「私の体には、成長して、成長し過ぎたところ(男根の

     ことを示す)が1ヶ所あります。そこで、この私の成長

     し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺

     して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどう

     ですか」
                (ウィキペディア「国産み」)

こうして次々と国を産みその後神々を産んだが、最後に火の神を産

んだ時に火傷をして死ぬ。「イザナミの墓所の伝承地は、日本神話

に記される比婆山や熊野市有馬のほか、雲伯国境を中心として日本

各地にある」(ウィキペディア「イザナミ」)というように日本書紀

では紀伊国の有馬村(現・三重県熊野市有馬町の花窟神社)に葬ら

れていることになっています。比婆山の熊野神社の社伝によると

「創建不詳、和銅六年(七一三年)までは比婆大神社と称し、嘉祥

元年(八四八年)社号を熊野神社と改称す」とあるように随分古く

からあり、広大な神域には百株を越える巨杉郡叢が聳え立ち、森厳

な古社の風致を構成し、内十一本の老杉は広島県天然記念物に指定

(昭和27年)されている。古くから比婆山を伊邪那美命が葬られた

神陵として崇め、命(みこと)山と称し「美古登山」と表した。私の

母が生まれた里はかつては美古登村と呼ばれ、度重なる町村合併に

よってその地名は無くなってしまったがただ今も美古登小学校は存在

する。

 さて、母の話によると、何時の頃か知らないが、その熊野神社が

困窮を極めた時に、南紀に在る世界遺産にも登録され「蟻の熊野詣」

で知られた熊野大社に宝物や書物を売り払い、その名前までも譲っ

たと言うのだ。所謂「勧請」のようなことなのかもしれないが、確

かにそう言った。それから、しばらくそんなことは忘れていたが、

去年の今頃、その地で暮らす人に偶然出会って偶々その話を思い出

して問うと、その人は、「ほんとのことよ、じゃけえ神社にゃ何も

残っとらんのよ」と言い、そのことは比婆山で暮らす人々にとって

は周知の事実として伝えられているのかもしれない。ただ、何も残

ってないから譲った証拠というのは無理があって情けなくもあるが、

それでも、何と!その熊野神社には「那智の滝」まである。

 http://www.mikumano.net/zhirosima/hiba1.html 


 

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