「最悪のシナリオ」

2011-11-09 04:43:41 | 従って、本来の「ブログ」

 


          「最悪のシナリオ」


 ギリシャに端を発するEUの経済不安は、ギリシャ一国に押し止

めることが出来ずに、ついに、EUの中で第三位の経済大国イタリ

アにまで波及した。小国ギリシャの経済破綻さえ食い止めることが

出来なかったEUがイタリアの経済まで立て直すことはまず不可能

に違いない。だとすれば、経済不安の連鎖は止むことなく、懸念さ

れていた国々にも大きな影響を与えるに違いない。それはもうEU

経済の破綻である。IMFによると、2010年のEUのGDPは

16兆1068億ドル(約1300兆円)で、アメリカのGDPをや

や上回っており、世界全体の約26%を占めている。つまり、EU

の経済破綻はアメリカや日本が巨額の債務に苦しんでいる中で、間

違いなく世界恐慌をもたらすだろう。多分そんな先の話ではないと

思う。グローバル経済は南北間の壁を取っ払うことによって先進国

の経済成長が新興国に流れ込んで水準化し、先進国の経済が落ち込

んでしまった。新興国の経済成長とは先進国が既得していた経済成

長に過ぎない。経済のグローバル化は繁栄だけでなく衰退ももたら

す。連動する世界経済の中で連鎖的に世界恐慌へと波及するのにそ

れほど時間は掛からないだろう。金融の自由化によって一夜にして

金融不安が世界を駆け巡り銀行が相次いで破綻する。それは政府が

支える規模を遥かに超えているだろう。それぞれの国は自国経済を

守る為に資金を回収しグローバル経済から撤退する。

 さて、わが国はすでに1000兆円を超える負債を抱えて身動き

出来ない状態であるが、金融界が国債への投資資金を引き揚げただ

けでその金利が上昇して財政が破綻するのは火を見るよりも明らか

で、最早その危険水域を超えている。つまり、経済不安の影響を最

も受けるのは間違いない。恐らく来年の今頃は財政不安が顕在化し

て経済危機が再燃しギリシャの二の舞を演じることになるのではな

いだろうか。ちょうどその頃、アメリカは大統領選挙の終盤を迎え

て内政に目が向き日本どころではないだろうし、アメリカ自身も財

政不安を抱えている。否、それよりも早く世界恐慌の波が襲うかも

しれない。つまり、世界恐慌の導火線は張り巡らされているのだ。

 われわれは何度も財政再建が叫ばれながら「経済成長なくして財

政再建なし」と聴かされて、その度に借りた金を負債の返済ではな

く経済成長に賭けて更に負債を膨らませ、遂に、われわれは今、目

の前の危機を認識しながら身動き出来ずにどうすることも出来なく

なってしまった。それはまるで、借金を博打で返済しようとして負

債を重ね、遂には財産を失い借金が返せなくなり破産宣告を受ける

成金の哀れな成れの果てを見ているようだ。


 にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村


 「後退した自由」

2011-11-08 02:10:35 | 従って、本来の「ブログ」

 
                 「後退した自由」


 「自由」という言葉によって連想されるあらゆる特殊な自由の中

で、歴史的に最も古くまた基本的なものは運動の自由です。望む所

に向けて出発できるということは自由であることの原型であり、そ

れゆえに有史以来運動の自由を制限することは奴隷化のための前提

条件となってきています。運動の自由はまた行動のための不可欠の

条件であり、人々が世界のなかで自由を経験することは何よりも行

動においてです。人々が公的な空間――共同の行動によって構成さ

れ、歴史へと発展すべき出来事と物語とでおのずから満ちあふれて

いる――を奪われるとき、人々は思考の自由へと後退します。

             ハンナ・アレント「暗い時代の人々」


 思考とは行動の自由の制限がもたらした後退した自由だと彼女は

言う。ならば、機械文明によって運動の自由を放棄した近代人は文

明の奴隷であると言えなくもない。斯くも思考が持て囃されること

は運動の自由を失ったからに違いない。何れわれわれの思考までも

コンピューターに取って替わられるとすれば、われわれには無為の自

由しか残されてはいないだろう。否、すでにわれわれは自由とは無為

のことだと後退してはしてはいないだろうか?彼女はこう言います、

「人々が世界のなかで自由を経験することは何よりも行動において

です」と。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 


「絶対賛成と絶対反対」 ②

2011-11-04 22:57:08 | 従って、本来の「ブログ」

 

 


              「絶対賛成と絶対反対」


                     ②


 絶対賛成と絶対反対の対立は結局は事態を進展させることなく感

情的な対立を生んで膠着する。それは、原発問題だけに留まらず、

TPP参加問題や公共事業の問題、さらに世界に目を転じれば、尖

閣諸島の領有権問題やイスラエル・パレスチナ問題などの領土問題

さえその対立の構図を同じくする。そこに利害が絡み、一方を伸ば

せば他方が縮むのは誰もが知る「ことの道理」である。問題はその

利害を調整しようとするが、それが思うように行かずに理性が投げ

てしまい感情だけが残る。しかし、感情的な対立を解くには理性に

よる他ない。ところが、権利を主張する者は互に感情に固執して相

手の話しに耳を貸そうとはしない。絶対賛成と絶対反対の立場は互

いを遠ざけ合って亀裂が深まり、問題が発生する前よりも意見が硬

直して話し合いが失われる。絶対賛成と絶対反対の間隙には無数

の糸が絡み合い、従って無数の解決の糸口が残されているにも拘ら

ず、絡み合った糸の一つ一つを解いていこうとはせずに、絡んだ責

任を相手に負わせていがみ合う。絡み合った糸を一つ一つ解いてい

くしかないのに手前を多く残して断ち切ろうとする。それは問題の

破棄であって問題の解決ではない。

 たとえば、原発推進派の人々は反対派の「いつか」の不安に対し

て正しく応じてきただろうか?また、反対派の人々は賛成派の「い

ま」起こる社会不安に対してどう説得するのだろうか?同じ土俵で

睨み合っているように見えて、実は「いつか」と「いま」でその争

点がずれていないだろうか。絶対対立はそんなことさえ確かめるこ

とさえできない。争点の噛み合わない議論は二つの相反する意見

を存続させ、その間隙を一つしかない現実がすり抜ける。たとえば、

「いま」は仕方なくとも「いつか」無くすというドイツ政府が決めたよう

な合意をわれわれは何故話し合えないのか?その為には賛成・反

対を措いてまず問題の認識を何故共有しようとしないのか。それぞ

れがそれぞれの硬直した意見を主張するばかりでなく、相手の意

見を尊重して互に歩み寄り、張り詰めた糸を緩めなければ絡み合

った糸を解くことは出来ない。原発を稼働するにしても全廃するに

しても、その責任は国民が等しく負わされるのだ。私が言っている

のは議論の在り方をいっているのだ。幸いにもわれわれは、それ

ぞれの蛸壺から這い出して互いが歩み寄るための共通した言葉

を未だ失わずに交わすことができるのだから。


                                     (おわり) 

 

 

 

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村