「ハイパーインフレ」

2012-05-07 07:01:38 | 「パラダイムシフト」
   

                    「ハイパーインフレ」


 借金を簡単に返済するにはどうすればいいかといえば、借金を少な

くするか、或いは稼ぎを増せばいい。そんなことは解っていてもどち

らも簡単たんじゃないと言うかもしれないが、しかし、金融を握って

いる政府ならそんなことは簡単に行えるようだ。例えば、お金の価値

を暴落させて百円のモノが千円になれば、たとえ一千兆円を超える借

金も実質百兆円になる。ハイパーインフレにすれば、借金の元本その

ものはそれほど増えなくても税収が桁違いに増えて簡単に返せると言

う訳だ。ただ、当然国民貯蓄も相対的に価値を減らすので、つまり、

国民の資産で国の負債を返済することになる。私は大分以前から、政

府が国の債務を指摘される度に、国民総資産を持ち出して言い訳して

いたので、いざとなればそれで埋める魂胆に違いないと思っていたが、

いいよ現実味を帯びてきたので以下の記事を載せます。少し古い記事

で読んだ方も多くいらっしゃるとは思いますが、金融に詳しい藤巻健

史氏の提言です。


Reuters JP(4月18日 ロイター)



        「提言:急激なインフレは不可避、
       ハードランディングに備えよ=藤巻健史氏」


 日本の財政問題を解決するには、もはや「インフレ税」という大
増税しかないとフジマキ・ジャパン代表取締役の藤巻健史氏(元
モルガン銀行東京支店長)は語る。

ロイターの「日本再生への提言」特集に寄せられた同氏の提言は以
下の通り。

<消費増税は時すでに遅し>

政治家の責務は、たとえ不可能だとわかっていても、問題解決に向
けて最後の最後まで努力すること。その意味で、消費増税の実現に
政治生命を賭けて臨むと宣言した野田佳彦首相の姿勢を、私は素直
に評価したい。

しかし、その努力が報われるかは別の話だ。残念ながら、政府が掲
げる5─10%程度の消費増税で、日本の財政問題は解決しない。

確かに、国の借金が今の3分の1程度だった14─15年前ならば、
なんとかできたかもしれない。財政構造改革を掲げた橋本政権の頃
には、歳出入改革による財政再建路線にはまだ説得力があった。し
かし、時すでに遅し。小泉政権の一時期を除き、放漫財政に身を任
せた日本の借金の累積残高は1000兆円超に膨れ上がり、単年度
の財政赤字は44兆円に達している。

消費増税1%分の税収はざっと2兆円程度。単年度の赤字を消費税
だけで穴埋めしようとしたら、ラフに計算しても、22%以上の税
率にする必要がある。試算の詳細は省くが、1000兆円もの大借
金を100年で返そうとすれば、さらに10%前後の引き上げが必
要となるだろう。30%以上の消費税率など、10%で大騒ぎして
いる日本国民が今すぐ受け入れるとは到底思えない。

では、どうなるのか。非常に厳しい現実だが、私は、日本に残され
た道はもはやインフレというかたちの実質大増税しかないと考えて
いる。

経済学では、財政赤字を解消するインフレを「インフレ税」と呼ぶ。
インフレで貨幣価値は下がり国家債務は実質目減りするが、同時に
汗水垂らして稼いだ国民の財産も失われる。実際には課税されない
ものの、言い方は悪いが、お上に召し上げられる(行儀よく言えば、
国民から国家への富の移転)という意味では、税と同じだ。

誤解してほしくないが、私は何も経済弱者を直撃するハイパーイン
フレを政策として掲げろと言っているわけではない。結果としてそ
こに追い込まれると申し上げている。

例えば、日本銀行の国債引き受けが政策として掲げるべきでない文
字通りの「禁じ手」であることに、私も全く異論はない。しかし、
福島第1原発事故で、高濃度の放射性物質を含む汚染水の流出を防
ぐために低濃度汚染水を放出せざるをえなかったように、その禁じ
手を使わざるをえない状況に陥るのではないかと心配している。

これほどの借金は、もはや200年をかけても返せない。いまだ歳
出カットで財政を再建できるかのように言い続けることは、はっき
り言って、無責任極まりない。

国の一般歳出の4割は社会保障関係費であり、世界に類を見ないペ
ースで高齢化が進んでいるこの国で、本当にその聖域に大きくメス
を入れられるというのか(本当にできるならば、私もハードランデ
ィングのシナリオを取り下げよう)。また、経済成長でなんとかな
るような議論も聞かれるが、景気が回復すれば金利が上がり、金利
負担増で税収増など吹き飛んでしまう。景気がどちらに転ぼうが、
財政は火の車。ハードランディングはもはや不可避なのだ。

<郵貯問題と財政赤字問題の深いつながり>

その厳しい認識の上で私の提言を申し上げれば、日本は、経済破綻
という第二の敗戦を経て「真の資本主義」に目覚めるしかないと考
えている。

海外の企業で要職を務めた経験から言わせてもらえば、日本という
国は、外から見れば見るほど、海外の人たちと話せば話すほど、中
国をしのぐ最大の社会主義国家だ。歴史が証明しているように、社
会主義国家は儲からない。この体質を修正することが一番の課題だ。

日本が社会主義国家だという理由はいくつもあるが、代表的な例を
挙げれば、ゆうちょ銀行だ。最大の銀行が「国営」とは、社会主義
そのものだ。

郵貯問題は財政赤字問題とも直結している。普通の資本主義国家な
らば、バラマキ政策を続ければ、長期金利が上がり、政治家に警告
する。ところが日本では、国民のお金を集めた国営銀行が日本国債
をどんどん買うので(投資の80%が日本国債)、まったく警戒警
報が鳴らない。政治家はいくらバラまいても痛みを感じないから、
放漫財政にどんどん拍車がかかってしまう。しかし、社会主義国家
がやがてグシャッとつぶれる運命にあることは歴史が示しているこ
とだ。

過去10年あまりを振り返って、社会主義国家から真の資本主義国
家への変革を目指した政権は、郵政改革を進めた小泉政権ぐらいだ
ろう。その郵政改革も、先日の郵政民営化改正法案の衆院通過で事
実上白紙に戻された。もはや、政治が自発的に資本主義国家への脱
皮を図れるとはとても思えない有様だ。

<国債未達が起こる可能性>

率直に言って、国債未達が起こる可能性は日増しに高まっていると
思う。

国債未達ともなれば、それは財政破綻と同義だから、円は暴落する
だろう。そして取り付け騒ぎが起きようものならば、日銀による国
債引き受けが行われるだろう。そうなれば、ハイパーインフレが結
果として引き起こされることになる(政策として掲げずとも)。

だが、絶望する必要はない。韓国の例を見てほしい。1997年に
事実上の経済破綻を経てIMFの緊急支援を受けた際に「あの国は
終わった」とも言われたが、その後の復活には目を見張るものがあ
る。理由は、ひとえにウォン安による国際競争力の向上だ。

同じことは、日本でも可能である。痛みを伴う非常に辛いプロセス
となろうが、やがて円安による国際競争力の回復で日本経済も息を
吹き返すはずだ。

そもそも今の日本の問題点は、通信簿にたとえれば、経済の実力は
「1」にすぎないのに、通貨では「5」の最高点がついていること
だ。円高とはそもそも円で売るモノ・サービス・労働力の値上げで
あり、円安とはその逆の値下げだ。不景気で値上げを継続して、儲
かるはずがない。

日本企業が米国企業の十分の1も百分の1も儲からない最大の理由
はずばり円高なのである。諸悪の根源である円高さえ修正されれば、
多くの企業の収益は改善される。日本の法人税収はざっと7.8兆
円。企業業績が10倍になれば、ラフに考えても、78兆円に跳ね
上がる。それだけで単年度の財政赤字は穴埋めできる。製造業が日
本に戻ってくれば、地方経済や若年層の雇用の問題も今よりずっと
解決しやすくなる。

むろん、政府は極端な円安政策を積極的に取ることはできない。そ
んなことをすれば、資本の海外流出を加速させ、国債未達を自らの
手で招くことになるからだ。だから、結果としてのクラッシュとな
る。クラッシュを政策というわけにはいかない。

最後に補足すれば、われわれ日本人一人ひとりにできることは、日
本経済のハードランディングを覚悟し、国際分散投資などを通じ、
来るべき嵐に備えることである。自分の身は自分で守る。くれぐれ
も運を天に任せてはいけない。

(4月18日 ロイター)

*藤巻健史氏は、フジマキ・ジャパン代表取締役。米モルガン銀行
在籍時、世界トップクラスのディーラーとして名をはせ、1995年に
当時外銀では日本人唯一となる東京支店長に抜擢された。2000年
に退社。ジョージ・ソロス氏のアドバイザーを務めた経験もある。

*本稿は、個人的見解に基づいています。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの「日本再生への提言」
特集に掲載されたものです。(here)

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他
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「ドストエフスキーの生活」

2012-05-04 15:16:18 | 従って、本来の「ブログ」




         「ドストエフスキーの生活」


 小林秀雄の「ドストエフスキーの生活」を読んだ。ドストエフスキ

ーは若い頃に「罪と罰」を読んだきりだが、若過ぎたからか殺人の動

機を生んだ心理背景がまったく理解できず、主人公ラスコーリ二コフ

が殺人を犯して捕まるまでのサスペンスストーリーだけしか記憶に残

らなかったが、今ではそれすら忘れてしまい、ただ、読んだことがあ

ると覚えているだけだ。その後に「白痴」も読んだが、主人公ムィシ

キンが多額の遺産を手にした件(くだり)で、その頃、自分は食うや食

わずのその日暮らしで、どうしてそこの生活から抜け出そうかと煩悶

していたので、思いも寄らない財産が転がり込んでくるなどという凡

そわが身には起こり得ない夢物語に付き合えなくなって先へ進めなか

った。そしてそれ以来、ドストエフスキーの本を開くことは無かった。

 かつて、ロシア文学が日本の近代文学に大きな影響を与えたことは

誰もが知るところで、それはどちらも西欧近代文化の波に圧倒された

焦燥感を共有していたからだろう。ロシアは新しい国家で文字通り西

欧文化の後塵を拝してきた。ドストエフスキーが生きた頃のロシアは、

西欧近代化の波が押し寄せ、皇帝による専制支配が揺らぎ社会変革の

激動の渦中にあった。それはちょうどわが国の徳川幕藩体制が揺らぎ

始めた幕末から明治維新の頃に重なる。明治新体制になると、近代文

学は、まずロシア語を修学した二葉亭四迷によって言文一致の文体が

世に認められ、続いてツルゲーネフやトルストイといったインテリゲ

ンチャの小説が翻訳され、人間とは、或いは社会とは如何にあるべき

かを模索していた人々は光明に集まる虫のようにそれに群がった。と

ころがその後、ロシアは二度の革命を経て社会主義国家への道を選ん

で、それは日本社会にも大きな影響を与えた。社会主義思想が持て囃

され日本文学にも影響を与え、白樺派が生まれた。私自身のことを言

えば、有島武郎は寝る間を忘れて貪り読んだ作家の一人だった。そん

な時代に生まれた小林秀雄はさすがにロシアの社会や文壇の事情をよ

く知っていた。当時、トルストイの死を巡って正宗白鳥の文に噛み付

いて反論したことは有名である。小林秀雄がドストエフスキーの「思想」

ではなく「生活」としたところに論争への拘りが垣間見れる。作家という

のは、或いは芸術家というのは理想という目的を手に入れる為なら、

現実をその手段として惜しみなく投げ捨ててしまうのだ。

 ドストエフスキーの波乱の生涯は政治犯として捕えられたことから

始まる。(ペトラシェフスキイ事件) 彼と一緒に捕まった二十三人の

うち二十一人に死刑の宣告が言い渡された。そして、今まさに銃殺に

よって刑の執行が行われようとする直前になって、皇帝による特赦に

よって執行が免れた。そのうちの一人は気が狂れたという。ところが、

それらのことは皇帝によって予め仕組まれていたことだったというの

だ。その体験はもちろん彼の作家としての人生に大きな影響を与えた。

その様子は、彼と共に死刑を言い渡されたスペシュネフの回想によると、

「十二月二十二日の未明、被告一同は何の為に何処に行くかも知らず

馬車に乗せられていた。窓には厚い氷が張りつめて、往く道の様子さ

えわからなかった。『とうとう着いた。七時半であった。愕然とした

僕達の眼前には、断頭台と柱が二十本並んでいた。断頭台の上に連れ

られると、片側に九人、片側に十一人、二列に立たされた。やがて監

視の者が死刑の宣告文を読み上げた。読んでいる時太陽が出た。僕と

ドゥロフの傍らにいたドストエフスキーが「僕にはまだ死ぬんだとは

信じられない」とささやいた。ドゥロフは、折から大きな菰につつん

だ荷を幾つも乗せた荷馬車が着いたのを指し、「僕等の棺桶さ」と言

った。もう疑うものはなかった。死はそばまで来ていた、・・・・!』」、

ドストエフスキーが書いた「白痴」の主人公「ムィシュキンの言

葉を借りれば、『死刑というのは人殺しよりよっぽど残酷なものです

よ。森の中で夜強盗に惨殺される人だって、いよいよという最後の瞬

間まで逃れる希望を捨てやしない。そういう例しはよくあるんですよ。

咽喉を断ち切られていながら、希望はすてない、転げまわって救けを

呼ぶんです。それを、その逃れられない終末を確実に知らせて了う、

希望さえあれば十層倍も楽に死ねるところを、死刑囚からは、その希

望を取り上げて了う。宣告を読み上げるでせう、どうしたって遁れっ

こはないと合点するところに恐ろしい苦痛がある、世界中にこれ以上

の苦痛はありません。』」

 そんな体験をした者が命拾いをしたからと言って退屈な日常生活へ

戻っていけるはずもない。更に、彼には持病の癲癇があってしばしば

卒倒した。激しい感情に駆り立てられて、人妻に一目惚れして奪い取

り、賭博にのめり込んでは借金を作り、兄や知り合いに無心する手紙

を多数残している。ここまで書いて太宰治を思い出した。彼もまた一

説によると境界性人格障害者(ボーダー)だったらしい。収まらない感

情を酒で紛らわせて情事に溺れ、厭世感に苛まれて自死行為を繰り返

し、遂に心中して果てた。彼が如何に破滅的で不倫理であったにして

も、彼が残した作品の純粋さは穢れることはない。

 ドストエフスキーの賭博とはルーレットで、絶対に勝つ『システム』を

見つけたと言うから、ハテどんな『システム』かと思えば、「勝負のど

んな局面にぶつかっても、決してのぼせない、たったそれだけのこと

です。この方法でやれば、断じて負けない。必ず儲かります」(1863

年、パリより、義姉宛)、というバカらしいものだったが、それでも作家

だった彼は負けた腹いせからか「賭博者」という小説を書いて負けを

取り返すことができたのかもしれない。バルザックのように。

 小林秀雄は「ドストエフスキーの生活」の中で、いかに生活や行い

が堕落していても、生み出される思想は穢されないことを言いたかっ

たに違いない。それは、正宗白鳥がトルストイの本に書かれた理想と

実際の生活がかけ離れていたことを嘲笑ったことへの反駁のように思

える。彼は、この本の巻頭の題句にニーチェの言葉を引用している。

「病者の光学(見地)から、一段と健全な概念や価値を見て、又再び逆

に、豊富な生命の充溢と自信とからデカダンス本能のひそやかな働き

を見下すということ――これは私の最も長い練習、私に特有の経験で

あって、若し私が、何事かに於いて大家になったとすれば、それはそ

の点に於いてであった。」(ニーチェ「この人を見よ」)  ドストエフスキー

の眼はまさにそれであったと小林秀雄は文中にも引用して書いている。

そしてそれは、評論家小林秀雄が鍛えた眼でもあった。彼は、「美し

い花がある、花の美しさというものはない」(當麻)と言った。ゾレン「理

想」はザイン「現実」を越えて存在し得ない。「花の美しさ」とは現実を

見失った理想である。正宗白鳥はトルストイの理想とはかけ離れた現

実を嗤った。しかし、理想を求めない現実とは「ただのもの」でしかない。

芸術家や思想家とは理想を追い求める者、或いは理想から現実を見

て正す者である。彼らは如何に堕落した現実に甘んじていようと理想

を追い求めているのだ。たとえ、玉川上水で愛人と情死しようが、山の

神と諍い出奔して野良で横死しようがそこに自分自身はないのだ。

 ドストエフスキーは、何度目かのトルコとの戦争になった時、こんな

ことを言っている。

「戦争というものは、最少の流血と、苦痛と、損害とを以って国民間

の平和を獲得し、幾分でも国民間の健全な関係を定める行動であ

ることを信じ給え。勿論これは悲しいことだ。が、そうだからと言って、

ではどうしたらいいのか。無期限に苦しむより、いっそ剣を抜いて了

った方がいいのである。文明国民間の現代の平和が戦争より何処

がいいと言うのか。それ許りではない。人間を獣にし残酷にするの

は、戦争ではなく寧ろ平和、長い平和だ。長い平和は常に残酷と卑

怯、飽くことを知らぬ利己主義を生む。就中、知識の停滞を齎す事

甚だしい。長い平和が肥やすものは投機師だけである。」(「作家の

日記」一八七七年、四月)

 堕落した平和より国内秩序を健全にする戦争の方がましだと言う

のだ。まるで、生きているのはつまらんから死んだ方がマシだ、と

言っているようなものだ。もちろん、その時代背景を配慮して読まな

くてはいけないが、社会構造が転換することは人々にとって大きな

ストレスであることは間違いない。ただ、「人間を獣にし残酷にする

のは、戦争ではなく寧ろ平和、長い平和だ。長い平和は常に残酷と

卑怯、飽くことを知らない利己主義を生む」と言い、そして、「長い平

和が肥やすものは投機師だけである」。  それはまるで今のこの国

そのものではないか。が、そうだからと言って、ではどうしたらいいの

だろうか?いっそ世界の閉塞状況をぶっ壊すために砲弾をぶっ放

せというのは恐らく何の解決も齎さない。すぐに元の木阿弥に戻るだ

けのことだろう。アメリカが軍事介入したイラクやアフガニスタンのよ

うに。これを引用した小林秀雄は戦中の「近代の超克」と題された対

談で日本の参戦を容認する発言をしていたことを思い出さずには居

られない。ドストエフスキーは人と社会が織り成して生まれてくる心理

や観念を様々な視点から注意深く観察することに経験を積んだ。「若

し私が、何事かに於いて大家になったとすれば、それはその点に於

いてであった。」と彼も言えたに違いない。小林秀雄はその本の中で、

彼が「真理」というものはどういうものであるかを、彼の言葉を引用し

ている。

「僕は、公の仕事で、僕の最も深い確信をぎりぎりの結論まで持って

行った事がない。つまり自分の『最後の言葉』というものを書いたこ

とはない。(中略)  若し君が最後の言葉を発し、全く素直に(風刺的

な方法は全く避けて)『これこそメシアだ』と言えば、誰も信じようとは

しないだろう。何故かというと、君は君の思想の最後の結論を口に

するくらい馬鹿者だということになるからだ。多くの有名な機智に富

んだ人、例えば、ヴォルテェルのような人が、若し暗示や風刺や曖

昧さを一切捨てて、一と度己れの真の信条を吐露し、真の自己を語

ろうと決心したなら、恐らく十分の一の成功も覚束なかっただろう。

嘲笑されたかも解らない。最後の言葉というものを人々は聞き度が

らない。『一度口に出したら、その思想は嘘になる』というその『口に

出した思想』に対して、人々は偏見を抱いているのです。」(一八七六

年、七月、ソロヴィヨフ宛) 

 晩年の彼は、友人が口述筆記のために紹介してくれた若い女性

(21歳)と結婚をして、その時彼はすでに46歳だった、二女二男を

儲けたが、長女はすぐに病死し次男も若くして先立った、彼女に支

えられて安定した生活を得て、ライフワークの「カラマーゾフの兄弟」

を執筆したが、「完」を記すことが出来ずに急逝した。六十歳だった。

 これを機会に彼の本をもう一度開いてみようかと思っている。

 「でも、長いからな」

 ロシア文学とは、一年の半分以上を氷雪で覆われた時間さえも

凍った土地で、部屋に籠って本を読むしか他ない人々のために、

読み終えるとヴォッカを飲むことしかなくなる読者のために、3行も

あれば語れる顛末を3ページ費やしても結末させない。



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「原発事故と経済成長」

2012-05-01 04:01:32 | 「パラダイムシフト」



           「原発事故と経済成長」



 時が経って忘れかけた頃に、ものごとの真相が見えくることはよく

ある。例えば、前の敗戦にしても勝てるわけがない戦争だったと、平

和を取り戻した暮らしの中で冷静に思い知る。過ぎ去ったことは、た

とえ自らのことであっても既に自らではどうすることも出来ないこと

なので他人事のように見ることができる。今や世間は、原発再稼働の

是非を巡って侃々諤々の議論が喧しいが、無責任なことを承知の上で

他人事のように言えば、例えば、原発の再稼働を止めれば日本の経済

成長が失速するというが、福島原発事故の後であれば、そんなことは

当たり前のことで、寧ろ、斯くも深刻な事故が起こったにも拘らず、

見直されることもなく、まるで何事もなかったかのように原発が再稼

働されて、以前と変わらぬ経済活動を望むことの方が異常ではないだ

ろうか。地震大国の日本にあって、その専門家が散々巨大地震の危険

性を指摘していたにも拘らず、それでも、原発関係者は耳を貸さずに

安全であると言い張った。しかも、その地震によって深刻な原発事故

が起こっても、今度は大津波による被害を想定外だったと弁解するが、

しかし、過去を振り返れば到る所で大津波による爪痕が記録されてい

るではないか。かつて、真実を隠蔽して国民を欺き続けた大本営発表

さながらに、またしても我々は国家繁栄のエネルギー政策のために生

存を犠牲にしてまで(経済)戦争を戦わなければならないのだろうか。

原発推進派の人々は他国の例を引き合いに出すが、地震大国である

我が国は他国と同列に考えてはならないはずだ。更に言えば、我が国

は世界で唯一の被爆国ではなかったか。そんな地震大国でありながら

経済を優先させるためだけに原発を再稼働させてもいいのだろうか?

福島原発の事故は、生命の存在そのものを脅かし、社会の在り方を根

底から覆すほどの大きな出来事であり、未だ終わっておらず、それどこ

ろか放射能の恐怖は未来に亘って影響し続ける。「9・11」は如何に悲

惨であったとしてもその時限りの出来事だが、「3・11」は未だ続

いているのだ。不謹慎な事を言えば、たとえ大津波で何万人の人々が

亡くなろうとも、これから生まれてくる人々には被害は及ばないが、

放射能汚染は時を越え地域を超えて拡散し続けるのだ。この国が今後

どういう社会になっていくのか知る由もないが、否、その選択こそが

現在の我々に問われているのだが、経済発展の為とか技術開発の為と

か、その被害の深刻さを矮小化して、まるで自動車事故や飛行機事故

などと同列に論じるのは誤りである。私ははっきり言って「フクシマ」

には住みたくない。豊かさの代償に生命を犠牲にしなければならない

なら豊かさなど要らない。未来の不安を払拭できないまま、現在を拙

速に取り繕ってはいけないと思う。「フクシマ」以後、我々が考える

べきは現在をどうするかではなくこの国の未来をどうするかでなけれ

ばならない。我々は、未来の可能性を狭めても現在の豊かさを手放す

べきでないのか、それとも、現在は豊かさを失うことに耐え忍んでも、

未来の可能性を潰さずに新しい人々へ夢を託すべきなのかが問われて

いるのだと思う。ただ、高々0. 何%かの経済成長を稼ぐために、再

び原発事故の不安に苛まれながら開かれた未来に夢を描くことなどで

きるのだろうか?未来を生きるこの国の人々は、果たして、現在を生

きる我々の判断をどう評価するだろうか。彼らの冷静な目に、我々は

どう決断すれば英断であったと映るのだろうか。ただ、生命の原点を

失って進化も繁栄もないではないか。現在の我々は「安楽で便利な」

生活を営むだけの為に、未来の人々の生存権を奪う権利までも有して

いない。