「無題」 (十)―④

2012-07-14 05:47:10 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                  「無題」


                   (十)―④


 昼過ぎには海水浴場を後にして、実際、この夏初めての海水浴で、

あの日差しの下で半日でも居ようものなら干物になってしまう。早

々に車で宿に戻って少し休んでから、己然がどうしても行きたいと

言っていたワニ園に行った。あまり時間がなかったが、それでも歩

くことさえしんどい私たちにはそれで充分だった。ただ、己然だけ

が元気に走り回っていた。

 宿に帰って来るとさっそく充電器(ベット)に身を預けた。夕飯を

済まして少しは回復して寛いでいると、木下さんの息子からデンワ

があった。

「ほら、今日から花火大会が始まるでしょ。庭からよく見えるんで

すよ。みんなでパーティーしますから、もしよかったら来ませんか

?」

すでに己然は疲れ果てて寝ていた。私は、妻にどうするか訊いた。

ただ、オーナーからはここからでも充分見えると聴いていたので出

かける気にはならなかった。それに、彼らは私たちよりも随分若い

人たちだった。ただ、美咲だけは「行きたい!」と言った。木下さ

んの息子は、

「それじゃあ、迎えに行きます」

それを美咲に伝えると、彼女はバスルームに駆け込んでは、何度も

出たり入ったりを繰り返し、何度も服を替えてはミラースタンドの前で

自分の姿を映した。

 美咲が、何時ペンションに戻って来たのかさえ知らぬままに朝を

迎えた。花火は8時半に終わり、私らが寝たのは11時頃だったか。

少なくともそれまでは戻って来なかった。その美咲はまだ眠ったま

まだった。ただ、今朝はもう迎えの車は来なかったので自分たちの

好きな時間に出ることができた。すでに朝食の時間は始まっていた。

妻が彼女に声を掛けたが、とても起きそうになかったので、彼女だ

けを残して三人で食堂へ行った。

 朝食を済まして部屋に戻って見ると、美咲が慌しく身なりを整え、

「ママ、昨日使ったタオルどこにあるの?」

すると妻は、

「あ、窓の外に干してある」

美咲は、それを取って自分のバッグに詰めながら、

「お父さん、悪いけど私だけ先に送ってくれない?」

「どうしたんだ?」

「私、体験ダイビングに参加することにしたの」

「何?それ」

「だからスクーバダイビングするのよ!」

「スクーバ?」

「そう、スキューバは間違いでスクーバが正しいんだって。もうそ

んなことどうでもいいから、早く!9時までに行かなきゃならない

のよ」

妻は、

「じゃ、朝ごはんはどうするの?」

と訊くと、

「時間がない」

と答えて部屋を出た。私は、彼女に急かされて、彼女だけ木下さん

のペンションへ送ることにした。因みに、木下さんのペンションの

名前は、恥ずかしくて言えなかったけど、「アンダーツリー]と言った。

せめて、定冠詞くらい付けて欲しかった。
                                 (つづく)


「無題」 (十)―⑤

2012-07-13 09:10:52 | 小説「無題」 (六) ― (十)



           「無題」

             
            (十)―⑤


 帰る日になって、美咲が「帰らない」と言い出した。

「なっ、何で?」

「Cカードを取りたいから」

Cカードとは、スキューバダイビングの団体が発行する認定証のこ

とで、それがないと自由に潜ることが許可されないらしい。それを

得るには、多少の講習と実技の習得のために何度か通わなければな

らなかった。もともと美咲は、子どもの頃からスイミングスクール

に通っていたので泳ぐことは得意だっが、両親の離婚があって止め

ざるを得なかった。そして、きのうの体験ダイビングで「絵にも描

ぬ美しさ」に魅了されてしまった。宿に戻って来るや、「もう絶対

スクーバダイビングやる」と、夕飯の時にもその感動を熱く語って

いた。そこで、どうしてもCカードを取って、カメに連れられて海

底にあるという「竜宮城」を見てみたいと思うようになったのだろ

う。私は、

「そんなこと言っても、泊まるとこがないだろ?」

実際、すでにシーズンに入っていて「アンダーツリー」にしたって

ずーっと予約で詰まっていた。

「だから、お父さん、何とかして、お願い!」

「ええーっ!」

それを聞いていた妻が、

「美咲!もういい加減にしなさい」

「ちょっと、ママは黙ってて!」

すると妻は、

「バカッ!自傷歴のある女が独りで泊めてくれるとこがあるとでも

思ってんの?」

私は、

「弘子、それはちょっと言いすぎだよ」

「いいのよ、これくらい。何も知らないくせに、一度言い出したら

ほんとに言うことを聞かないんだから」

すると、美咲はワンワン泣き出した。

「ごめん、美咲、お父さんも今日の宿泊をこれから探しても見つけ

られないかもしれん」

さらに、弘子は、

「もうすぐ編入試験があるんでしょ、それどころじゃないじゃない。

いったいどうするつもり?」

美咲は母には食ってかかり、

「もう、学校はやめたっていい」

すると、

「何を言ってるの!自分で決めたんじゃなかったの?何でいつもそ

うやって途中で投げ出すの?」

「・・・」

美咲は話せないほど泣いていた。私は彼女の肩を抱いて、

「美咲、何も今すぐ取らなくても、学校が決まってからでもいいじ

ゃないか」「その時はお父さんも協力するからさ」

美咲は二度ほど肯いて感情を落ち着かせた。妻が言うには、彼女は

一度言い出したら絶対に自分の主張を曲げないが、相手が引き下が

ると途端に同じ人間とは思えないほど穏やかになる。本人はまった

く気付いていないが、そこに彼女の人格障害が見て取れると、これ

まで間近で見てきた母親の、それは母親としてはほんとに辛いわが

子に対する診断だった。そして、きっと、また好きな男ができたん

だ、と言った。もちろん、好きな男とは木下さんの息子のことだ。

こうして、何かに依存していないと自分が虚しくなって、好きな男

を替える度に自分が新しく生まれ変わったような気になっている。

しかし、それは男に依存した自己でしかなく、自分自身を失ってい

るからだ。だから、その自分勝手な執着が疎まれたと思った時の感

情の激しさは異常で、相手は散々振り回された揚句に疲れ果てて離

れていくのが目に見えている、と妻は振り返った。だからと言って、

その相手に、「娘にはすこし精神障害があります」と忠告するわけ

にも、彼女のためにもできなかった。私と妻は、美咲の恋愛が再び

彼女はもちろん、相手の男までも苦しませることにならないか気が

気でならなかった。そして、また・・・。

 それまで、退屈そうにベットの上で転がって遊んでいた己然は、

「もうすんだ?」

と訊いた。

                                 (つづく)


「無題」 (十)―⑥

2012-07-12 00:42:22 | 小説「無題」 (六) ― (十)



             「無題」


              (十)―⑥


 こうして、我が家の家族旅行は終わった。

 すでに、もう今では夏の盛りも峠を過ぎ、朝晩もめっきり過ごし

易くなって、蝉も鳴き止むほど騒がしかった己然の夏休みも終わり、

蝉に替わって虫の音が聴こえ始めると再び学校へ通い始めた。更に、

妻までも「出ていくばかりだともたない」とか言って、早朝から近

くのコンビニで働き始めた。朝食を作ると宣言した私は今も実行し

ていて、妻が起きる時間を少しは遅らせることに貢献しているはず

だ。しかし、彼女らが出かけた後にひとり取り残された私は、静ま

り返った家の中で所在なくただ時間だけが過ぎていった。

 美咲は、何とか編入試験に受かり再び学生生活に戻った。教師に

なる夢はどうやら諦めたようだ。「自分自身も思い通りにならない

のに、人に教えるなんて無理」、自分を見つめ直して、少なくとも

以前よりは衝動的な感情の暴露はしなくなった。木下さんの息子と

まだ続いていて、連絡は取り合っているがすぐには会えないことが、

自分自身を実験台にして理性によって感情をコントロールする訓練

をしているのだと、これまで私にそんなことを吐露したことなどな

かったのに、私の携帯に送ってきてくれた。私は、「辛くなったら

一人で悩まないで、いつでも家に帰って来なさい」と送り返した。

彼女は、今、奪われた父親との時間を取り戻そうとしていた。もち

ろん、彼氏との絆であるスキューバダイビング、じゃなかった「ス

クーバ」ダイビング、への想いを失ってはいなかった。Cカードの

習得はある程度までならプールのあるショップでもできたので、そ

れも、木下さんの息子が以前勤めていた都内のショップに通って、

後は現地での海洋実習を残すばかりで、当然、彼女は彼氏との再会

の日を楽しみにしていた。


                         (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)

2012-07-11 19:55:03 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

        「パソコンを持って街を棄てろ!」

 

               (一)

                     
 シーシュフォスが課された刑罰の様な仕事を終えて、駅東口のネ

ットカフェに入った時は、まだ10時前だった。無駄な出費を抑え

る為に、公園のベンチで新聞を読んで時間を潰していたが、疲れが

背骨あたりから全身に及び、その倦怠から一刻も早く逃れたかった

ので、思っていたより早くいつものねぐらへ入った。馴染みの店員

が手早く個室をくれて、私はそこへ入るなり何も為ずに横になった

 全身の緊張していた細胞が緩んでいく音が耳の奥で「ごおおっ」

と聴こえた。疲れていたが、でも眠れなかった。それはわが身に迫

る将来への不安からだった。一体、何故こんなことになったのだろ

う。私が東京へ来るきっかけは、実家から投稿した漫画が最終選考

まで残り、出版社から専用の原稿用紙をもらい、それまでの貧しい

暮らしに差し込んだ、一条の光に夢を託したことから始まった。勤

めていた会社を辞めて上京し、生活は日々アルバイトに暮れる酷い

ものだったが、漫画家として成功する夢がその辛さも耐えさせた。

仕事をやりながら漫画を描くのは絶望的に困難なことで、アルバイ

トで残した僅かの金で一ヶ月の生活を費やし、仕事をせずに集中し

てマンガに取り掛り作品を仕上げると云う生活を繰り返した。ただ

、いつも最終選考まではいくが、入選の栄光に浴すことは無かった

。つまり一円にもならなかった。ある日、天からの啓示のように突

然アイデアが閃き、その可能性に自分の中で勝手に期待が高まり、

寝る時間も忘れ、仕事のことも忘れ、渾身の想いで作品の下書き(

ネーム)を作り、出版社へ持ち込んだ。担当者に「いい、これで行

こう」と言われて喜んではみたが、さて、すぐに仕事を捜さないと

暮らしていけない。そんなマンガ以外のことに時間を費やしている

と、担当者から信じられない言葉を聞かされた。

「君が描いてこないから、アレ、他の人にやって貰うことにした」

その男は他誌で連載を終えたばかりの新人マンガ家だった。ご丁寧

にその男が描いた下書きまで見せてくれた。そして私が考えた決め

台詞まで一緒だった。私のアイデアは、担当者によってパクられた

のだ。帰りの地下鉄の駅で、かつて経験したことの無い怒りで身体

の震え止まら無かった。しばらく自分の身に起こった事が納得でき

ず、仕事に行く気にもならず部屋の中でボーッとしていた。やがて

大家がアパート代の催促に何度も訪ねて来た。私は、部屋を出て行

くしか無かった。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(二)

2012-07-11 19:54:09 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

        「パソコンを持って街を棄てろ!」

              (二)

                     
 眠りが遅れて襲ってきた為朝寝坊した。目が覚めた時は、すでに

仕事が始まる時間だった。日雇い派遣はこっちの都合で休むと次の

仕事も溢れるようになる。寝坊したことわりを連絡して散々謝って

許してもらい、シャワーを済ませて日用品の入ったバックを背負っ

てネットカフェをでた。それでも今日一日は自由を得た「奴隷解放

の日」だった。いつの間にか、この国には奴隷制度が復活していた

のだ。

 早春の朝日がまぶしかった。棲家の無い者にとって季節天候は決

定的である。冬の深夜を何処で過ごすかは命に関わる。この冬は温

暖化が言われていたので油断をしてしまった。凍える街の隅っこで

眠ろうとしたが、寒さで眠る事も出来ず散々歩き回った末、肉体的

にも精神的にも限界を超えた。限界を超えると脳が警告を発した後

に「運命に任せろ!」と告げて自ら判断のスイッチを切断してしま

った。そして私の命を支えていた多くの分子たちが私を棄てそれぞ

れ元の物質へ還元し始めた。もはや私は風であり雪であり闇であり

世界そのものだった。世間や社会が消滅して私自身も消滅しようと

していたが、まだ生き延びようとする生命の本能だけが、残された

神経を研ぎ澄ませていた。気がつけば見知らぬ廃墟ビルのレストラ

ンのソファに眠っていた。ホームレスにとって地球の温暖化は有難

い限りだ。このまま熱帯気候になってくれないかとさえ思う。そう

なると外で寝ても苦にならないし寒さに備える必要もない。ホーム

レスが苦にならないときっと皆んな無理して働こうとしなくなって

、その時から先進国のCO2排出量が減り始めるのかもしれない。

熱帯地方の若者に日本人が、

「何故、働かない?」と尋ねたら、熱帯に住む若者が、

「何故、働く?」と聞き返してきて、日本人が、

「楽な暮らしができるだろう」と云うと、熱帯に住む青年が、

「働かなくたって楽に暮らしてる」って言ったという笑い話があっ

たが、日本も熱帯化すればそうなるかもしれない。

 冬の間は廃墟ビルのレストランのソファで運良く寝泊まりするこ

とが出来た。私を棄てた分子たちも人肌を恋しがって又戻って来て

くれた。さらにその厨房の棚には廃業前の缶詰やパスタなどがその

まま放置されていた。さすがにコンロは点かなかったが、さっそく

缶に閉じ込められたトマトやアスパラガスを解放して私の胃の中に

閉じ込めた。それでも何時誰か来ないかが気になって落ち着けない

レストランだった。東京に在るものは全てに所有者がいることを改

めて知った。空き地の雑草一つもその土地の所有者のモノなんだ。

ここで行われているのは所有権の奪い合いなんだ、まだ空気の所有

者までは現れていないが。

 私はすこし歩いて近くの国家が所有する河川敷へ行った。

 

                        (つづく)