「あほリズム」
(612)
天皇とは、文化的にはより「神」に近いが、
生物学的にはより「猿」に近い。
「神」だと信じる者と「猿」だと認識する者が
共感し合えるわけがない。
「あほリズム」
(612)
天皇とは、文化的にはより「神」に近いが、
生物学的にはより「猿」に近い。
「神」だと信じる者と「猿」だと認識する者が
共感し合えるわけがない。
「あほリズム」
(610)
例年4月中旬頃に新宿御苑で開催される「サクラを見る会」は、
総理大臣が主催する公的行事で、1952年から「各界において功
績、功労のあった方々を招き、日頃の御苦労を慰労するとともに、
親しく懇談する内閣の公的行事として開催するもの」(Wiki)だった
が、ところが安倍総理は自分の政治活動に対して功績、功労のあっ
た支持者たち、つまりサクラ(偽客)を招いて「サクラをもてなす会」
にした。
「あほリズム」
(608)
香港民主化デモは過激化してすでに内乱状態だが、実は中国は有
史以来内乱に悩まされなかった時がなかったほど権力闘争に明け暮
れる国だった。これまで中国は様々な近代化を成し遂げて来たが、
唯一民主主義だけは未だ一度も実現していない。つまり、人民が一
度も政治を手にしたことがない、そのことが彼国が政治的安定を築
けない元凶ではないか?つまり、権力闘争に拠ってでしか政権が代
わらない。
(609)
儒教社会は厳格な身分社会であり、身分を弁えない言動はかつては
肉刑(肉体の一部を傷つける刑罰)によって制裁され、庶民はなるたけ
政治権力を避けるようにして処世してきたと、確か司馬遼太郎の小説
に書かれていたが、たとえばかつてのわが国のヤクザ社会のような厳
罰主義(指を詰めて落とし前を着ける)に対する警戒心のような意識が
今も連綿と残っているのかもしれない。民主主義国家を国是とするわ
が国でさえも未だ主権者が代議士を「先生」と呼んでいるくらいだ。
とにかく彼ら儒民は人民主権などまったく思いも寄らないことなのだ
。ただ、香港人は民主主義社会の下で平等意識を目覚めさせ、政治を
権力者に委ねることを潔しとしないので、つまり香港の紛争は儒教道
徳 対 民主主義の対立で、もちろん私は民主主義の味方である。香港
の民主化デモが中国全土を席巻することを願って已まない。
「あほリズム」
(607)
「流水は腐らず」、言い換えれば「滞る水は腐る」。
いまや世界は滞っている。
「じゃあ、どうすればいいのか?」
どうすれば流れることができるか考えよう。