「あほリズム」(813)(814)

2021-03-23 02:45:55 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

           (813)

 

 香港、タイ、ミャンマーの民主化運動を見ていると、第三世界

での民主化への勢いが急速に衰えているように感じる。そもそも

のきっかけは「アラブの春」だったが、民主主義Vs独裁主義が

決着しないまま内戦が長期化する「シリア化」が起こっている。

たぶん民主化によって失うものが多いと思う既得権益者が多くな

っているからに違いない。つまり、分け合いたくなければ奪い合

いするしかない。こうして縮小する世界経済の下で、それは正当

権利なのか、或いは正当な利権なのか、が国内闘争に発展する。

そして、たぶんそれはよその国の話だとばかりは言えなくなる。

何故なら、それらの国で起こっている対立は、ついこの前までわ

が国でも起こっていたからだ。

 

            (814)

 

 増えすぎた人間をどうした減らすか?いまや科学技術の進歩の前

ではもはや自然淘汰は無力である。だとすれば、残されているのは

「人為淘汰」しかない。

「人為淘汰って何ですか?」

「きまってるじゃないか、戦争だ!」

「戦争?」「それじゃあ戦争の原因は何ですか?」

「原因なんて何だっていい、ただ結果のためにやるのさ」

「結果、どんな?」

「人を減らすために決まってるじゃないか」「中国なんか14億人

を半分くらいにしたいと思ってんじゃないの、人口を」「それで領

土までも手に入れば一石二鳥じゃないか」

 

 


「二元論」 (5)

2021-03-21 19:38:46 | 「二元論」

          「二元論」


           (5)


 ところで、「世界=内=存在」であるわれわれは、世界全体を

世界の外の視点から認識することはできない。世界とはこうであ

るというわれわれの認識は、「内=存在」としての視点からの認

識にならざるを得ない。つまり、われわれの理性とは世界の中か

ら生れた、否、中からしか生れなかった。だとすれば、われわれ

が理性によって世界を作り変えることは、われわれの理性を生み

育んだ世界を作り変えることになる。ニーチェ=ハイデガーはそ

れを始原の存在が忘れ去られる「存在忘却」「故郷喪失」と言っ

た。それは、われわれの理性を生み育んだ世界に対する反逆にほ

かならない。

 木田元は、「前期のハイデガーは〈現存在が存在を規定する〉

と考えていた」(木田元『ハイデガーの思想』)と言い、それは、

《人間が世界を思い通りに作り変えることができる》と言い換え

ることができる。そこで、「ハイデガーは人間を本来性に立ちか

えらせ、本来的時間性にもとづく新たな存在概念、おそらくは〈

存在=生成〉という存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生

成するものと見るような自然観を復権することによって、明らか

にゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化を

くつがえそうと企てていた。」(同書) しかし、どうしても納得で

きないのだが、その企ては挫折したのだが、その理由とは、「人

間中心主義的文化の転覆を人間が主導権をとっておこなうという

のは、明らかに自己撞着であろう。」と言うのだ。そして、「一

方では彼も、すでにこの時代から、存在からの視点の設定が現存

在に先立つとも考えていた。」(同書)とあり、《存在からの視点》

とはわかりやすく言えば「神の視点」だと思えばいいが、つまり、

かつて神が世界を規定したように、神がいなくても、そもそも実

存主義者は神の存在など信じていないのだから、〈存在〉自体が

人間を規定すると考えた。それは、まず世界が存在して、そのあ

とに人間が現われたのであり、つまり《世界が人間に先立つ》の

であって、世界に規定された人間の理性がのちに世界を規定する

ことはあり得ない。そもそも人間は世界を失っては存在し得ない

ので、われわれが存在しないのであれば、当然「世界とは何であ

るか?」を問うわれわれの理性も存在し得ない。

                     (つづく)


「二元論」(4)のつづきの続き

2021-03-21 07:35:43 | 「二元論」

         「二元論」


          (4)のつづきの続き


 人間は動物には違いないが、ほかの動物と決定的に違うのは理

性を進化させたことである。人間以外の動物は本能のままに「い

まここで」のこと以外は関心を寄せないが、人間の理性は「いま

ここで」を超越して過去や将来の世界までも認識しようとする。

そして、過去の経験からすべての動物は限られた命であることを

認識する。理性によって自らが限られた存在でしかないことを認

識した人間は将来を本能のままに死ぬことをためらう。こうして

「死」の認識はわれわれ人間にある覚悟を芽生えさせる。それは

われわれに理性によって規定された生き方へと向かわせる。理性

に規定された生き方とは本能に規定された生き方からの「転回(ケ

―レ)」にほかならない。改めて言うことではないが、それは本能

と理性の二元論的転回である。そして、理性によって規定された生

き方とは、理性を進化させた人間こそが主体である世界であり、世

界(自然)とは人間が思うように作り変えることができる〈材料・資

料〉でしかない人間中心の科学技術文明をもたらした。

 

               (つづく)が決定稿ではない


「あほリズム」(812)

2021-03-19 23:35:25 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (812)

 

 東京オリンピックを目前に控えて多くの聖火ランナーや大会運営

を任されたリーダーがなしくずしに辞めて行くが、そもそも開催延

期が決まって一等最初に投げ出したのは安倍前総理であることを忘

れてはならない。かつて、総理在任中に命を落とした総理は数多い

るが、自身の病のために任期途中で総理の職を投げ出した政治家は

 (たぶん) 彼だけだ。 彼は思いどおりにならなければすぐに病気に

なる。にもかかわらず国会議員は辞めない。それは、彼の政治家

としての本懐が軍隊を認めるための憲法改正にあるからだ。しか

し大方の政治家は自らの本懐とはかけ離れた時流に躓くものだ。

つまり、憲法改正の時勢はまだ訪れていない。


「あほリズム」(811)

2021-03-18 04:09:53 | アフォリズム(箴言)ではありません

        「あほリズム」

 

          (811)

 

 菅政権が新型コロナウイルスの猛威に対して国民に自粛を強いる

緊急事態宣言を延長したが期待したほどの成果を残すことがなく、

ただ、菅総理は大きな成果を残したと言うが、ここにきて宣言を解

除しようとしている。しかし、そんなものは規制を緩めればすぐに

拡大することは明白で、道半ばでの転換は目前に控える東京オリパ

ラの聖火リレーの日程が迫ることから、しかたなく宣言解除に踏み

切らざるを得なかったことは明白で、いよいよ政権が剣が峰に追い

やられた観は否めない。自らが所信表明した政策によってではなく、

いや、それさえもまるで韓国政界で繰り返されるような身内による

不正疑惑が明るみに出て思い通りにいかず、しかし、予期せぬ事態

からどれだけの総理が自らの本懐を為すことなく去って行ったこと

か。名を挙げれば、大地震から想定外の原発事故に奔走した菅内閣、

おっとこれは「すが」ではなく「かん」だったが。その一方で、何

一つ自らの公約を実現させることなく、にもかかわらず長期に亘っ

て「忖度」官僚に守られた前政権を、いや、むしろ何も決められな

かったことが結果的に長期政権をもたらしたのかもしれないが、そ

の後を選挙を経ずに引き継いだ現政権の命運がいよいよ尽きようと

している。何故なら、変異して感染力を増したコロナウイルスが自

然消滅することなどありえないからだ。またしても科学的根拠のな

い楽観論が語られているが、それはオリンピックの開催を第一義に

掲げているからほかならない。さて、果たしてオリンピアで点され

た聖火は人々の手に繋げられて東京の競技場の聖火台に無事に燈す

ことができるのだろうか?すでに多くのランナーが辞退して聖火が

消えかかろうとしているが。そこで一句、

「かくすれば かくなるものと知りながら 止むに止まれぬ五輪ピック」