「あほリズム」(809)(810)

2021-03-17 04:27:23 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

          (809)

 

 菅内閣が決定した「低所得世帯の子ども1人当たり5万円の特別給

付金」って、官僚が利害関係者から饗応されたたった一度の飲み食い

の会食費よりも安いんだよね。つまり、いまの為政者たちは低所得者

を「朝三暮四」を喜ぶサルくらいにしか思っていない。

7万円接待は「和食レストランのカテゴリー」山田広報官:朝日新聞デジタル

孔子曰く、(為政者が心掛けることは)「寡なきを患えずして、均しから
 
ずを患う」べし。
 
 
           (810)
 
 
 近代科学技術文明が限界に達した今日では、もはや政治の社会
 
主義化は必然である。問題は如何なる社会主義国家を目指すかで
 
ある。

「二元論」(4)のつづき

2021-03-14 13:02:00 | 「二元論」

          「二元論」


           (4)のつづき


 難解な哲学用語は使わないと言っておきながら、「世界=内=

存在」というハイデガーが造った言葉を引用してしまったが、こ

れは実に私の思いに的中したからで、凡そのことがこの一言で納

得できるのではないかと思ったからです。つまり、われわれは自

然の中から萌え出て、そして自然へと還っていく生き物で、世界

の外で存在することはできないということです。もちろん、現在

では宇宙飛行士のように地球を飛び出して宇宙に滞在する人も現

われていますが、しかしそれは金魚鉢の中の金魚のようなもので

、彼らとても予め用意された人工の地球環境の中でしか生存する

ことができません。つまりいくら世界を飛び出したとしても「世

界=依存=存在」であることに変わりはありません。また。われ

われの存在は世界内で完結するのであれば、もちろん肉体を離れ

た霊魂のようなものは別にして、たとえば神のような存在が世界

の外から人間を創ったというようなことは決してあり得ないとい

うことです。もっと分かりやすく言えば、「われわれとは何であ

るか?」の答えはこの世界の内にしか無いということです。さて

、ではわれわれとは何者かと言えば、「世界=内=存在」であり

、自然の中から発生して自然の中へ消滅する時限的存在である。

そしてなによりも重要なことは、われわれはそのことを認識して

いるということである。

                        (つづく)


「うらこころ」

2021-03-09 07:58:20 | アフォリズム(箴言)ではありません

      「うらこころ」

 

 政府が推し進める「観光立国」は、観光客優先の他者依存を増

長させるのではないかと懸念する。今では観光客の絶えない古刹

も、かつてはこの世のものと思えぬその異様な建造物が、たとえ

ば清水寺であったり、それらは異様であるが故に信者たちの切実

な願いを受け止めてきた。つまりその異様さが人々の暮らしの中

で一体化していた。ところが、今では観光客が目当ての観光地は

、もはや日々のくらしよりも観光客優先で、その地に根を持たな

い観光客のために祖先が築き上げてきた生活文化を売り物にして

その一体化は損われようとしている。地元の者は慣れ親しんだ地

に殺到する観光客に違和感を覚える。やむを得ないとは思うが、

「生活のために」これまでの穏やかな日常が壊されていく。そも

そも「観光立国」とは日本人が得意にする細やかで行き届いた「

おもてなしのこころ」によって支えられる。そして「おもてなし

のこころ」とは相手の思いを「忖度」することから生れる。しか

し、「おもてなしのこころ」に隠された経済優先の「うらこころ」

は、その地に根付いた自立した生活文化を台無しにして、われわれ

から自立意識を失わせる。そして一方で「おもてなしのこころ」を

掲げる「観光立国」は、官吏たちによる政治家への依存から自立性

を欠いた「うらこころ」、つまり「忖度」政治をもたらした、と言

えばすこし穿ち過ぎだろうか。何れにしても、観光客が殺到する喧

騒の中で、「わび」「さび」を美として愛しむ日本の伝統文化が再

現されるとは思えない。


「『なゐ』ことを願う」

2021-03-05 07:09:35 | 従って、本来の「ブログ」

        「『なゐ』ことを願う」

 『なゐ』とは古語辞典によると地震のことらしい。むかしの人

が地震が「ない」ことを願ってそう呼んだのかは定かではないが、

間もなく東日本大震災(2011年3月11日)の発生から10年目

の節目を迎えようとしている。ところで、それに先立つ2011年

2月22日にはニュージーランド、カンタベリー地方でマグニチュ

ード6・1の地震が起こり、都市クライストチャーチでは185人

の死者が出た。そして、その後一カ月もしないうちに三陸沖の太平

洋を震源とするマグニチュード9・0の超巨大地震が起こった。一

部の専門家は、それら二つの巨大地震は無関係ではないと語るが、

もしそうだとすれば、南半球での巨大地震の発生を余所ごととばか

り言ってられなくなる。ところで、今朝ニュージーランド領ケルマ

ディック諸島で5日午前8時28分ごろ(日本時間同午前4時28分)ご

ろ、マグニチュード8・1の地震があったようだ。

NZ北東部の諸島でM8の地震 太平洋広域で津波の恐れ:朝日新聞デジタル

シドニー=小暮哲夫

 再び連動して日本列島を揺るがす大地震が起き「なゐ」こと願う

ばかりだ。


「あほリズム」(805)~(808)

2021-03-01 05:45:38 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (805)

 

 いまや世界は環境破壊と人口爆発、そして行き詰った経済と格差

がもたらした分断化社会に脅かされている。近代科学文明社会が限

界に近づいているのだ。たぶん世界は内乱化時代を迎えるのだろう。

それはヒューマニズムが蔑ろにされる混乱の時代だ。ただ、それら

を一気に吹き飛ばす方法がひとつだけある、それは戦争だ。

 

            (806)

 

 おそらく自らの権利に聡い現代人は既得権益を失う時代転換の波を、

争わずに受け入れることなど到底できないだろう。

 

             (807)

 

 平和とは次の戦争までのモラトリアルにすぎない。

 

              (808)

 

 核戦争、みんなで死ねば怖くない。