「あほリズム」
(852)
もはや新型コロナウイルスのパンデミックを終息させるためにワ
クチンによる集団免疫を目指すよりも、いっそのこと全国民が感染
してしまった方が手っ取り早くないか。
コロナウイルス みんなで感染すれば 怖くない ケケロ
「あほリズム」
(852)
もはや新型コロナウイルスのパンデミックを終息させるためにワ
クチンによる集団免疫を目指すよりも、いっそのこと全国民が感染
してしまった方が手っ取り早くないか。
コロナウイルス みんなで感染すれば 怖くない ケケロ
「あほリズム」
(851)
香港が中国共産党によって民主的な自治を奪われて以来、ミャン
マー、ベラルーシ、アフガニスタンと世界の政治体制は立て続けに
非民主化へと傾いている。もはや民主主義は人々に夢と希望を与え
る政治体制ではなくなってしまったのだろうか?すでに世界の人口
は80億人に達せんとして、しかしそれを養う大地は太古より限ら
れている。にもかかわらず全世界の人々が挙って近代生活の豊かさ
を求めれば地球を増やすか人間を減らすしか方法はない。もちろん
地球は増やせないとなれば人間を減らすしかない。そして人間を減
らすには戦争が最も合理的である。ところで、「民主的平和論」と
いうのがあって、それは「民主主義国同士は戦争はしない」という
命題で、18世紀末のドイツの哲学者イマニュエル・カントが論じ
たのだが、もしそれが正しければ、非民主化の流れは人間を減らす
ための戦争の準備なのかもしれない。
「あほリズム」
(850)
「世界とは〈生成〉である」(ニーチェ)とすれば、〈生成〉とは
「変動」する世界であり、そして人間とは〈生成〉にほかならない
とすれば、〈生成〉としての人間の性別(gender) が「変動」(trans-)
することに、つまりトランスージェンダー(trans-gender)に何の不思
議もない。ジェンダーギャップは〈固定化〉した性観念から生れる。
「あほリズム」再掲載 2020-08-15 11:16:45投稿
(717)
そもそも閣僚が靖国神社を参拝しようが、それを他国からとやか
く言われる筋合いはないというのはもっともなことだが、ただ、決
して忘れてはいけないのは、かつて日中国交正常化交渉(1972年
9月)において、故 周恩来首相が日本に対して戦争の「賠償請求の放
棄」を認めたのは、『「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主
義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分
断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共
同声明を実現させた。』(ウィキペディア『日中国交正常化交渉』)
からであって、ところが、喉元の短い我ら大和民族は過ぎ去った熱
さをすぐに忘れて、1978年にいわゆる東京裁判において処刑さ
れたA級戦犯、つまり「日本軍国主義」の指導者たちが、「日本人
民」である英霊が眠る靖国神社に合祀されたことによって「周恩来
の遺訓」(保阪正康)は踏み躙られ、
https://home.hiroshima-.ac.jp/utiyama/ISIS-12.3.W.html
「未来志向」のロジックは忘れ去られた。つまり中国からすれば、
その経緯を蔑ろにしているのは日本側であって、以来、彼らは日本
軍国主義者(A級戦犯)が合祀されている靖国神社への閣僚の参拝を
非難しているが、我々は何故彼らがそんなことにまで干渉するのか
さえ解らない。私から見れば、中国の反発は尤もように思えるが、
さらに言えば、「台湾は中国の一部」であることも二国間で合意さ
れている。
果たして、我々はこの約束を守れるのだろうか?
追稿 2021年8月15日
戦後わが国の主権者は「日本人民」に変わり、その代表である代
議士が「日本軍国主義」者が祀られている靖国神社への参拝を行な
うということは、「日本人民」がそれを支持したということにほか
ならない。中国政府からすれば、日本人民は国同士の約束を守らな
い「嘘つき」の人民ということになる。いずれその不信感は思わぬ
ところで報復されるが、我々は何故彼らが日本人民に敵対するのか
さえ解らず、ただひどい国だとしか思わない。
「二元論」
(16)のつづき
ハイデガーが〈現存在(人間)は存在を規定する〉という存在概念
によって、つまり「人間が世界の主体である」という了解の下で、
もう一度〈世界=生成〉という自然観を取り戻そうとして文化革命
を掲げるナチス・ドイツに積極的に加担したが、しかし、転回(ケ
―レ)後も消極的ではあれ、また存在概念はどうであれその目指す
世界観は一貫して変わらなかった。ただ、時代は「世界は人間のた
めにある」と言わんばかりの科学革命が全盛で、始原の復権を訴え
るハイデガーは「何がなしうるのか」と自問して、「失われた存在
を追想しつつ待つことだけだ」(木田元)と自答するしかなかった。
あれからおよそ百年を経て、グローバル化した世界の下で八十億も
の現存在(人間)が近代生活を求めて蠢き合い、その結果、生存環境
が破壊され「成長の限界」に達して、もはや人間中心主義(ヒューマ
ニズム)的文化の終焉に怯えて立ち尽しているところに、待ち続けて
いたハイデガーの姿が現われた。
(つづく)