先週まで、「3か月でマスターする江戸時代」をやっていやけど、
これの12回分のまとめをシェア
3か月でマスターする江戸時代
1回目は前にまとめた
3か月でマスターする江戸時代、第一回をいちおうまとめてみる - ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき
NHKの「3か月でマスターする」シリーズ、世界史、数学、ピアノときて、今度は「江戸時代」!やっぱ、大河ドラマ「べらぼう」が江戸時代だからでしょうか?一応、やっていた...
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ので、2回目から
第二回 幕府は百姓・町人とどう向き合ったのか?
戦国時代:武士百姓の区別が明確でない(身分が未分化)
秀吉:身分をはっきりさせた
なぜ武士は百姓から年貢が取れたのか
兵農分離→為政者にと言って有効
→リモート管理大変?
庄屋、村請制→自治に任せる(年貢が取れている間)
→生産性が向上
百姓を虐げる統治はあったか
2公1民→5公5民、4公6民
百姓の手元に残さないとききんの時
余剰を残さないと、子孫に残さない
年貢ってどんな風に集めたの
検見法→コストかかる
定免法→平均値に従い一定額とるだ
定免法は階層を広げる
百姓はなぜきちんと年貢を納めたのか
百姓も自分の役割を果たすという意識があった
→村の連帯責任になっている(村役人)
村としてのまとまりが強い
格差は広がっているが、文化は向上
町人は年貢を払っていない
武士:生産活動をしていない(消費だけ)
→町人、職人を呼び寄せる:年貢ないのが魅力
屋敷を持つのが正規の町人:人足役を納めた
1件当たり年間15日
町人のお金に関する仕事
お米を換金する
お米:札差がうけとる:金融業
幕府は町人の力を読めていなかった
古町:日本橋とか
その外は村だった→町人がすむようになる 100万人
なぜ武士はそんなにお金に困っていたの?
米価安・物価高→借金漬け
相対すまし例:幕府は介入しない
幕藩体制:分権的→統合と交流が進む
江戸時代の体制:たてまえしっかりあった
原則から逸脱した部分をダイナミックに捉える
想像以上の自由度
第三回 本当は鎖国していなかったってホント?
家康:イギリス人を家臣にするほど
じょじょに制限
ホルトがる船来航禁止
長崎出島のオランダ商館:
ヒクイドリ 第四代が好き
ラケットを持っている:バトミントンの原型
なぜ「鎖国」がさいきん「」で書かれるようになったの?
徳川家光は鎖国という言葉を使ってなかったし、おもってもいなかった
1801年に翻訳の中ででてきた(ケンペルの文章)
江戸幕府に閉鎖的なイメージをつけるために「鎖国」という言葉が便利だった
1970から80年代、鎖国は適切ではないのでは→「」の鎖国になった
1970年代 海外に自由にいくようになる
キーワードはキリスト教
家康:貿易推進:糸割符制度など
ポルトガルスペインオランダイギリス
→スペインポルトガルは日本を植民地にするつもりと進言
家光:幕府は日本に切る記すると教信者が結集することを恐れた
Cf:三河一向一揆(仏教勢力VS家康)
→島原の乱
ポルトガルが日本にいる限り、こういうことが起こると幕府は思った
天草四郎陣中旗
一揆ぜい強い→全国のキリシタンを弾圧
ポルトガル来航禁止
4つの口
長崎口 オランダ中国:出島に居住唐人屋敷(幕府直轄)
対馬口 朝鮮(従来通り)
薩摩口 琉球王国(従来通り)
松前口 アイヌの人(従来通り)
→江戸幕府の力をバックに(お墨付き)
抜け荷:密貿易 幕府はうすうす気づいていたが、本気で調べない
直接摩擦を避けるためのクッション
対馬藩
朝鮮王朝との仲介→酷暑偽造で国交回復へ(ばれます)
鎖国下の貿易
オランダ:中国の半分(西洋の商品は微々たるもの)
→オランダとしてはおいしい。(警備を日本が担当)
幕末まで継続
この時代は東アジアは同じ政策(海外から来る人は制限してた)をとっていた
ぱっくすとくがわーな(徳川の平和)
秀吉朝鮮半島への出兵で失敗→海外に出ていくという選択肢はない
100年くらい紛争がない:安定したシステム:賢いシステム
→西洋が押し掛けてくる
さつまあげ(琉球経由)
第4回“文治政治”は何を生んだ?
5代将軍徳川綱吉
生類憐みの令
元禄赤穂事件→民衆の熱狂:綱吉の政治の影響
・文治政治って
法律や制度で支配する
武断政治:武力で支配→文治政治
4代 家綱から?
はじめから両方あって、4代家綱からだんだんとシフト
文治政治:教科書から消えつつある(文治主義)
武断政治→武威
・綱吉:犬公方
様々な動物を愛護せよ:100以上の令→生類憐みの令
5代になって5年後くらいなら
→野良犬がうろつく:中野に犬の保護施設
■なぜ、綱吉は「お犬様」を大事にしたの?
はじめは捨て子、病人
→生きとし生けるものすべてを大切にする社会を作ろうとした
仏教的世界観
綱吉は仏教学び、儒学を取り入れようとした
仏教と儒学は両輪
政策に落とし込むのは老中たち
→死刑になるのは武士のほうに命を大切にしない気持ちがあったらら
忖度の政治
綱吉:理念としては進んでいたが、生態系は考えていなかった
犬:野犬
→鷹狩をやめたことで野犬が飛躍的に増大し、都市に野犬が
生類憐みの令の例外:鶏と魚→タンパク質:必要な殺生はOK
プラスアルファがある:「穢れ」を恐れていた
江戸城の中で殺すのはダメ
貴族は「穢れ」を気にしていた(武士は気にしない)
→綱吉の奥さん、鷹司信子さんの影響?
■なぜ浅野内匠頭は切腹、吉良はおとがめなし?
→喧嘩ではない
勅使に対してちょくとうする
→穢れをを気にする。
清め規定血が3滴で登城できない
→浅野内匠頭はそんなときに…
当時の武士は、売られた喧嘩は買うべきと思った
→なぜ刀を抜かない
:綱吉と当時の武士の認識の大きなずれ
■「忠臣蔵」民衆の熱狂の理由とは
「忠孝札によって、民衆が忠と孝
■財政悪化を招いた綱吉の政治
マイナス財政の中、寺社修繕:東大寺再建
思い邪無し(思無邪)
富士山噴火した:天変地異
→天が為政者を反省させるため?
・綱吉が死んだら生類憐みの令はすべてなくなった?
捨て子の保護や、牛馬の息の禁止など、
綱吉の死後、継続した法令もある
→理念がゼロになったわけではない。
第五回 華やかな「元禄文化」はどのように生まれた?
・燕子花図屏風 尾形光琳
・井原西鶴
・読書を楽しむ人たち、ハウツー本
周辺の農村や地方にも視野を広げて
■元禄文化が生まれた背景について
元禄文化:上方で生まれる
大阪が要所になったから:天下の台所
新興商人の登場
■爆発的に世の中が豊かになったのはなぜ
農業の生産性向上
大規模干拓治水:100年で倍くらい耕地増えた
安定した時代
豊かにしていきたいという欲求
設けることに一心不乱になれる
→高度成長に似ている
■なぜ上方?
畿内が先進地域だった
京都が地域ブランド→ここでしか売れないものを
例:マクワウリ
日本酒:
→いい商品を作って儲けていく:
農村の有力百姓、流通を担う商人
富が蓄積され、文化を享受
江戸時代初め:特権的商人
その後:京都、大阪の普通の商人
歌舞伎、人形浄瑠璃 曾根崎心中:近松門左衛門
俳句:句会 松尾芭蕉 奥の細道
■農村で書かれた本とは
17世紀後半 一斉に農書が出る
→栽培法
基準、技術、常識をまとめる
→農業全書 元禄10年 宮崎安貞
体系化するんだという強い意志
標準化、地方から出てくる
文字を使って技術を学ぶ
日本の科学の始まり
日本永大蔵 井原西鶴が描く百姓の出世物語
→成功物語?そのあともある息子の代で使い果たす
家を続かせるのは容易ではない
好色一代男
■近年の研究で新たな元禄
新たな読者の登場
→文化の受け手の研究
百姓、地方の商人に読み書き:知的りてれしーを持つ層がうまれる
農書、軍書、道徳、哲学、自然科学
→養生訓:貝原益軒 ハウツー本ベストセラー、ロングセラー
儒学者:漢文 貝原:和文で書く→だれでも読めるものを書く
内容の例:食後は必ず数百歩あるく
胃弱な人は冷えて硬くなったものは食べるの禁止
一日を十日とし、むだにするな
塵劫記:算数の本
■元禄時代の女性の知的なゆたかさとか
和俗童子訓
女重宝記
■地方の人はどうやって本を手に入れた?
近くの城下町まで出て、本屋さん、貸本、頼んで買う
依田長安 蔵書470冊
どう生きていくかを本や物語で学ぶ
学んだことを後世に伝える
書くことで深められていく
文化の水準の底上げ
・民衆自身が文化にコミットして享受し作り出す
松尾芭蕉「奥の細道」
俳句の一つも読めないと商売にならない
→一般教養になる
第六回 なぜ立て続けに改革した?①徳川吉宗〜田沼意次
天下泰平の世の陰りが→8代将軍吉宗と田沼意次の改革
吉宗:暴れん坊将軍、米将軍
ベトナムから象→徳川吉宗のため
享保の改革
この時代から将軍の系統が変わった
徳川宗家→紀州系
■なぜ改革が必要だった
・貨幣経済の浸透→武士困る:コメは安いが物価は高い
農村で貧富の差:豪農、没落する農民→農村の荒廃
・幕府も財政難
①江戸幕府は大きな経済基盤があった
→経済基盤の中心が年貢、農作物だった
②貨幣経済との相性が良くない
→米がとれるほど。安くなる
財政破綻に陥らせた犯人→5代将軍綱吉
→ここで赤字になる
→明暦の大火の復興事業
→綱吉は浪費家
→寺社関係の寄進
■徳川吉宗:紀州藩主から将軍へ
宗家以外から
藩主にすらなるはずない人
22歳から33歳
藩主になった
享保の改革→年貢を増やす:新田開発
●上げ米の令:1万石につき100石、参勤交代短縮
→大名目線
→経済合理性:参勤交代の結びつき
9年でやめる
→武士の主従関係:参勤交代をいじることは問題とわかっている
●足高の制:在職期間だけ→無駄なお金を使わなくていい
→物価高は収まらない、打ちこわしなど起こる
海外からの有益な情報を取り込もうとした→象
→次の時代にも続く
■老中:田沼意次の登場
9代、10代将軍に使える
はじめ小姓だった
ふた昔前まではわいろ政治
→今は経済感覚に優れた政治家:「べらぼう」では渡辺謙がやってる
■田沼政治の革新的な部分とは
享保の改革:一揆の多発→米に頼るのは難しい
→商工業に目をつける
株仲間に運上・冥加
南鐐二朱銀:関東は金、関西は銀→簡略化
→貨幣経済発達、町人文化
なぜ商業に目を付けた
→田沼の出自が高くなかった
田沼:はつめい→発想が豊か
→山師:利益第一
意次は本当にわいろをもらっていたか?
権力を持っている:当然集まる率は多いが
田沼以外も:システムとしてわいろが組み込まれていた
→付け届けが当たり前
武士ではない人が家臣団にいる→家臣がわいろをとるのを制御できない
■老中 田沼意次の失脚
新田開発に失敗
鉱山開発失敗
天明の飢饉
→打ちこわし多発
10代将軍がなくなると、後ろ盾がなくなり、失脚
→寛政の改革へ
最後は運が悪かった?浅間山の噴火とききん
2人に共通
将軍の権威、武士の権威 これまでとは違う視点
権威は大切かもしれないが実をとらなくてはならない
→武士の世界の権威とは何か
■第7回 「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?
蘭学:平賀源内 エレキテル
前野良沢、杉田玄白 解体新書
→特定の人物だけが重視されるが、幕府が力を入れた8代将軍吉宗
江戸時代の蘭学・科学ブームの先駆け 新井白石
宣教師シドッチの取り調べ(武士を装ってすぐ捕まった)
西洋の聞き取り→科学技術はすごい
シドッチが安全に船で来れる、どうゆうこと??宗教??
尋問で両面が見えてきた
家康:海外積極 様々な都合で鎖国になったが、幕府の中では家康の考え継承
西洋きぶん、さいらんいげん:シドッチの尋問内容
山村才助、こせき
切支丹屋敷から人骨西洋人の男性→シドッチの可能性高い
8代将軍吉宗
享保の改革:新田開発、足高の制、漢訳洋書の輸入制限緩和(漢文で書かれたヨーロッパの本認める)
前野良沢、杉田玄白:解体新書
平賀源内 植物の本、発明、エレキテル(静電気発生器)
→町人の間にも蘭学広まる
政策一つで変わる?
5代将軍綱吉 生類憐みの令→将軍一言いえばみんな従う世の中に
吉宗が海外知りたいといえば、動く
吉宗:朝鮮人参→膨大な銀流出→日本で作れば?→国産化成功
隅田川の水位観察→実学を好む
享保の改革の最大成果は人参開発?
天文学を取り入れ暦を作ろうとした。
民衆の側の要因
高い知的レベル明暦4年 目黒山形模型 5900分の1の立体模型
→西欧の測量術ぐらいのことはできていた
国学
本居宣長:係り結びの法則発見
吉宗を動かしたモチベーション
西洋の蘭学導入により生産性を上げる
→いろんなところに手を出した
民衆に近い
→幕府の支配を盤石にするため、それに反するものは統制(出版統制令)
出る杭は打つ
幕末・明治の先取り→明治の近代化のソフトランディングへ
■第8回 なぜ立て続けに改革した?②松平定信~水野忠邦
江戸後半(間50年)
寛政の改革 松平定信 商業中心→農業 カタブツ定信
天保の改革 水野忠邦 内憂外患→頓挫 コワモテ忠邦
江戸3大改革 享保 寛政 天保
→12代将軍の言葉からキャッチコピー化
寛政の改革ごろの社会情勢
・天明の飢饉
→白川藩主 定信 貧困者に配るコメを確保、米を与えた人に感札をあたえ飢饉最小化
→天明7年 老中首座
困窮者の救済、児童手当、幕府支出減らそうと倹約
それなりの成果、やり方に批判(嫌われている)
→娯楽禁止(岡場所、ぜいたく品、出版物):経済振興(農村に帰るから)
→6年で罷免
田沼意次:商業重視→嫌いだった?
定信は将軍になる可能性を田沼につぶされたと思っていた
農村荒廃になっていたので、農村重視
しかし貨幣経済になっていたので、限界ある
締め付けられていたので評判悪い
→自分の信念に従った
尊号一件:こうごう天皇 徳川家斉 罷免されるきっかけ
七分積金
学問吟味
人足役場:鬼平犯科帳長谷川恵三
・大御所政治
11代将軍 徳川家斉
金の割合下げる
子だくさん→幕府財政、大名社会の秩序の乱れ
・天保の飢饉
コメ買い占め
→大塩平八郎の乱:決起呼びかけ
何がショッキング:大坂町奉行の与力:幕府側の人が半期
→全国的に広がる:幕府の陰り
天保の改革
・水野忠邦
・あらゆる人に倹約令
株仲間解散
人返しの法:強制力あり
上知令
なぜこんなに強気
→インフレだった:物価高対策
外国船からのアプローチ
内憂外患:海防にお金かかる
→問題山づみ
水野忠邦:九州唐津藩主→長崎の警護:本来老中にはならない→苦心の末のぼりつめる
天保14年 2年で罷免→上知令に反発収集つかず
うまくいかなかった
幕府の利益と民衆の利益が乖離→庶民まで目がいかない
危機が深まる
松平定信:美術プロデューサー 集古十種(国宝も)
■第9回 どのように「日本的文化」が生まれ、発展した?
・化政文化を中心
江戸を中心とした文化
化政文化は以下に生まれたか
・各地で洪水天災、飢饉
→寛政の改革
黄表紙洒落本、蔦十処罰
松平定信失脚
→化政文化のはじまり
階級が大きく分かれる
→成功者は土地を買い占める:三井
1割が土地持ち、
9割は借家:必要な労働を提供
その日暮らしの町人たち 裏店に住む→江戸っ子
江戸っ子っていつから言われた
18C半ば、江戸者、東男
べらぼう→べらんめい べらんめいな奴らが増えた
仮想庶民、どうでもいいことに
町火消
下層の町人庶民、上に浸透していく
世事見聞録
上に伝わる理由は
圧倒的に多くの人
その人たちの気持ちをつかまないと、やっていけない
→町奉行 遠山金四郎の町ぶれ
・町人の変化:寺子屋→識字率の上昇→出版文化
読み書きに男女差ない→読書文化
・外食ブーム
江戸の花見:この時代から
屋台:ファストフォード
和食が気軽に手に入る
江戸には単身、かまどや鍋が持てない人いっぱい→外食
醤油やみりんが大量にできるように→調味料の普及
経済の仕組みとおいしいものをたべたい気持ち
床店(とこみせ):屋台が定着した
江戸橋広小路、浅草鞍馬w、柳原土手通り
古着、古道具を安く手に入れられる
奉公人紹介業「口入れ」
吉原遊郭:人形町から移転
5000人の遊女
トップを花魁という
なぜ遊郭を幕府公認?
男性が多い:秩序をもたせるため
業者に特権
吉原細見:1年に2度改定 吉原の歩き方
→遊女のランキング→序列の可視化
遊女をばらばらにする有効な手段
・遊女の放火事件
サインの順番が序列と一緒
・江戸後期の文化:今とつながる
最大限にエネルギー能力を発揮した時代
■第10回 ペリー来航まで「ボーッ」としていたのか?
嘉永6年6月3日 浦賀沖 4隻の船 ペリー開国迫る
ペリー来航は青天の霹靂?
→1年前から知っていた。その情報をリークしたのはオランダ
→幕府完全無視
・鎖国の復習
キリスト教の禁止目的
貿易は一部で活発:長崎、薩摩、津島、松前
ロシア南下政策;
ラクスマン 寛政4年 通称求めるも拒否
文化元年 レザノフ長崎 拒否
文化3年 薪水給与令
●なぜ急に外国船が来るようになった?
18世紀後半 産業革命
自由貿易 まず、ロシアはかってにくる
享保 ベーリング 庶民と交易はじめる→まずい!
警備はりめぐらす
オランダ風説書:ヨーロッパの情報伝える
オランダは自発的にやっていた(善意)
フランス革命も伝えられた(5年後)
ナポレオンは伝えない
→伝えていい情報といけない情報を取捨選択
幕府:オランダ一国で十分
文化5年 イギリスフェートン号不法侵入
その後も文政7年、水戸、薩摩
文政8年 異国船うち払い令
方向変わる
天保11年 アヘン戦争 清敗北→大きな衝撃
天保13年 薪水給与令
オランダ国王 開国したほうがいい
→拒絶:変えたくなかった
鎖国祖法観:鎖国政策は幕藩体制確立以来のものでなくてはならない
●アヘン戦争は町の人に広まってた?
海外新話:アヘン戦争の軍記物→発禁
海外の情報広まっていた
●捕鯨船員の不平不満がペリー来航のきっかけ?
クジラの油:しばしば難破、日本に漂着→虐待に近い?
1849年:遣日使節を送る
●オランダはアメリカをウォッチ
→自分たちの権益がアメリカに侵される?
アメリカはオランダに協力してほしかった
日蘭通商条約を先に結びたい
別段風説書
海兵隊くる
江戸湾に
通称要求
ペリーが来る
→日本に情報リーク
●幕府は信用しなかった
かいぼうがくり:判断できない→長崎奉行:貿易を増やしたい
→情報自体が信用できないとなってしまった!
●阿部正弘は危機感を持ち、内密に知らせる
佐賀藩、福岡藩、薩摩藩、江戸湾防備
→福岡藩 黒田なりひろ:建白書→完全無視
●日本で唯一準備したのは薩摩藩
中渋谷の屋敷
●嘉永6年 ペリー来航
アメリカとの通商
石炭食糧補給
遭難者を手厚く
多くの人が黒船見物、瓦版で広まる
日米和親条約結ぶ
→オランダ一国に頼ってたのが問題。クロスチェック出来たら違った展開?
江戸幕府の弱体化
情報収集の大切さ、情報をどう公開するか
■第11回 「開国か攘夷か」で大騒ぎしたのはなぜ?
ぺりー2回目のおみやげ:蒸気機関車の模型
1853 黒船来航(マシュー・ペリー)
1854 日米和親条約締結
●これで開国?
アメリカにとっては開国
→貿易の条項がない:日本から見ると薪水給与令の延長
幕府は決められた国以外と貿易するのは粗法に反すると思った
阿部正弘は鎖国の減速が緩んだことは認めた
→日本の防備がゆるんでいたから
1857年 通商条約(貿易する)を結ぼうとする
→タウンゼント・ハリス
開国に傾く
→水戸藩徳川斉昭:攘夷派(貿易は認めない)
天皇の権威を利用する:天皇が貿易に賛成すれば…
●いつの間に天皇の存在が高まった?
禁中並公家諸法度:天皇政治から当座けられた
↓
国学:天皇がいたから素晴らしい。幕府は委任された
→幕府も利用し始めた
↓
勅許で利用しようとした
孝明天皇に許可を得ようとした
→NO:諸大名の意見をまとめてからこい!
(孝明天皇は外国人嫌い。
京都の近く兵庫の開港を嫌がった)
↓
開国難しくなる
孝明天皇:攘夷という意思を示した
攘夷の方法論の対立が起こる
尊王と攘夷は空気
井伊直弼:安政5年 日米修好通商条約結ぶ
→無勅許調印
孝明天皇:怒り→徳川斉昭に手紙
●徳川斉昭に手紙:重大な問題?
勅書を経ずに水戸藩へ→慣習を無視
天皇が幕府を信頼しない:ヒエラルキー揺るぐ
征夷大将軍は攘夷を実行する人では?
孝明天皇:人間らしさ爆発
水戸藩:幕府には任せられない→武装決起
孝明天皇の写しが全国へ→攘夷
後継ぎ問題も
井伊直弼:反対者を処罰
→安政の大獄:吉田松陰なども
安政7年3月3日 桜田門外の変
井伊直弼暗殺される
→幕府の権威失墜
貿易さかん→品不足、物価上がる
→民衆も不信感
まなべあきかつ:無勅許調印の言い訳する
朝廷側も政治できないので、委任は前提
心中氷解→鎖国に戻してね!
公表できない
日米修好通商条約
当時、不平等ととらえていた人はほとんどいなかった
→関税を知らなかった。
公武合体
孝明天皇:和宮降嫁の条件として10年以内の攘夷
→幕府:そのうちなんとか・・・
→幕府批判
坂下門外の変
幕府が攘夷できないなら、だれが攘夷するんだ
→京都に志士、大名が上洛
●大騒ぎになったのはなぜ?
幕府が判断を見誤った
朝廷の権威上昇、孝明天皇の強い意志→大きな動乱のきっかっけ
尊王攘夷という上位概念
その実現案として
将来は攘夷、今すぐ攘夷、佐幕、開国
→いろんな人が大騒ぎ
孝明天皇;趣味が印籠集め
■第12回 なぜ「薩長」は江戸幕府を倒したのか?
●そもそもなぜ「薩長」なの
ほかにも藩があったのに…
薩摩藩、長州藩が力があり、中心のようには見える
ただし、他にも有力諸藩あり→薩長だけ見ると、勝ち組
存在感を示せたのは?
薩摩、長州は財政再建に成功
外国に対して:薩摩→琉球、長州→外国船
「関ヶ原の戦いの恨み?」
一部にはいたかもしれないが、200年たってて、
天璋院篤姫の結婚のようなことにはない
そもそも、最初から討幕を目指していたわけではない
航海延略策
→薩長ももともとは幕府の味方だった
生麦事件
大名行列を遮れば、そうなる
島津久光:開国しょうがない現実路線
長州はスタンスころころ変わる
航海延略策:幕府サポート
禁門の変→幕府と戦う
たたかわず従う?
高杉晋作が討幕
→主導権を握った藩士で方針変わる
●ペリー:アメリカはどこ行った?
1861 南北戦争
日本にかまってられない
→残ったのはフランス・イギリス
慶応2年1月 薩長同盟
キーパーソンは坂本龍馬ではなく、徳川慶喜
徳川慶喜
1858年 日米修好条約 無勅許→批判おこる
1865年9月 兵庫開港要求→勅許とる:幕府批判封じ込め
薩摩が幕府から離れるきっかけ
参与会議
孝明天皇 攘夷
徳川慶喜:議論をブチこわす 鎖国
島津久光:怒り心頭
→参与会議、空中分解
薩摩藩:島津久光が孝明天皇の信頼を得て、政局の中心
→徳川慶喜:参与会議解体へ(幕府を中心にしたかった)
→徳川慶喜がいると幕府政治つづいてしまう
→薩摩、長州と結ぶ
●徳川慶喜:フランスの支援を得て改革してたのに
慶応3年10月 政権返上:大政奉還
どうして政権返上?
薩長の討幕進んでた
→討幕の名目をくじくため
朝廷に政権運用の力ない
→連合政権できると考えていた
薩摩藩の中にも徳川慶喜支持がいる→西郷隆盛危機意識
西郷、大久保、木戸:岩倉具視を通じ調停工作
明治天皇勅令:王政復古の大号令
→慶喜は知っていた
慶応4年1月 鳥羽伏見の戦い
→徳川慶喜 江戸にもどり、朝廷に恭順
●徳川氏を中心にした近代国家が生まれた可能性?
討幕起きない可能性
→身分制改革進まなかった
明治以降の近代化も含め考えないと・・
★自分の中に残っている江戸時代を発見してもらいたい
江戸時代をマスターした??