コンピューターにあんまり関係ないけど、
慶応SDMの話なので、まあ、いっか(^^;)
4月24日、慶応大学の日吉にいって、
慶応SDM スポーツデザイン・マネジメントラボ 第一回公開講座
「晩成力のシステムデザイン・マネジメント ~回り道がチカラになる~」
を見てきた。フィギュアの鈴木明子さんがゲスト。表題の件は、最後のほうの質問コーナーででてくる。以下メモメモ。
世界選手権からおうちにかえってない
活動のビジョンとプラン
すずきさん
坂井先生
ディスカッション
■SDM
・デザイン思考、マネジメント
・2025年の「スポーツと社会のあるべき姿」
・ラボのミッション
垂直型:競技力、価値増大
水平型:非スポーツ分野
・目指すゴール
システマチック:ビッグデータ
協創型
「する・みる・ささえる」
・ラボの全体像:Webみて
・連携体制
・来月の活動
5月17日 UNI FES 2014
5月30日 田中ベルヴェさん(小谷さんと一緒に)
■世界選手権(さいたま)の様子
■すずきさんとうじょう
・プロ1年生として、あらたに
4月で一番緊張する仕事
・坂井先生登場・あいさつ
・鈴木さんが最近出版された本
ひとつひとつ。少しずつ。
・タイトルについて
選手生活:不器用なタイプ
→人の倍練習
つづけて、2大会連続
人に伝えていければ→ほんの執筆
・スケートを始めたきっかけ
習い事の1つ:スケート教室で上手なスケーターではなかった
自分からやりたいといったことから
母親は、スケーターにしようと思ったわけではなかった
→いつやめてもいいよといいつづけて、23年
・かわったところ
スケートを嫌いになったことはない
選手:小学校1年からはじめ、2、3年で選手とおもったが、
小さい頃オリンピックみたいなことはいわなかった
好きなスケートをやっていた
・いろいろなご苦労
ジュニアのとき:順調に、2番3番(優勝はなかったが)
→トリノだいひょうになりたいなあと思った
ジャンプ:シニアに上がるには
ながくぼこーち:東北福祉大学へ
太りやすい時期→食事を節制→体重落ちる(32キロ)
→スケート続けられなくなる
・スケートがあきらめきれず・・・
32キロ→入院→スケートが滑りたかった
→入院拒否→ひとつひとつ、食事がとれるように
→母があきらめなかった
→復帰したとき、半回転もできなくなっていた
→まわりみちじゃかなったことを証明したかった
→負けん気があったこそ
・お母様の存在が大きいのでは?
母親→病気克服で変わった
それまで:怒られることも、母の理想
病気後:生きていてくれるだけで、それでも好きなら応援
・プロスケーターになられて
母:卒業させるような気持ち
→いまはほっとしていると思うけど、まだあってない
・坂井先生から
入院を拒む勇気
負けん気だけでは・・・
そのときは、スケートしたいだけ。
ただ単純に・・好きな気持ちがなければ、
スケートに育ててもらったと思っている
→やめる勇気もなかった。
・子供にとって、なにがベストか分からない
→サポートする親の気持ち
母の弱いところを見たことなかった。
→なんでもできるひと
母も弱いところを見せてくれるようになった
→対等に人として向き合えた。
何でも話す関係
それまでは理想/人生を応援
・競技をつづけてこれた:周りのサポート
→目標を言わない。
目標を言ったら、サポートしてくれることが分かるからこそ、いえない
→言った瞬間に開ける/バンクーバー・ソチ同じ
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・道が開ける人とどこが違うか
どんなトップアスリートも一人では上に行けない
→周りをひきつけるチカラ
そこが鈴木さんの魅力:トップアスリートの条件
→人に好かれるのもトップアスリートの条件
・女性のフィギュアスケート:大学4年でやめる人多く
大学卒業されること:どう思った?
→きっかけ:母のひところ
大学:ユニバーシアードで
1年おやすみしたから、1年サポートしてもいいよ
→フリーターになってしまう・・・
→ほうわスポーツランドで契約社員:環境と時間
→大手はスポンサーが多かった
働いては不可能
今後も・・あきらめなくてもいい道がひらけた?
・後に続く選手は?
ほうわスケートクラブ:若手の有望な選手
いまはアドバイザリー契約:練習+環境、時間のアドバイス
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・坂井先生のお話<<テニスの話>>
・晩成型、早熟型
10台で頭角
20台で頭角
→10台で頭角を表す選手が有利
日本人がはじめてメダルを取った:テニス(慶応テニス部出身)
88年ぶりにベスト8
→1920から2020 100年
男子世界ツアーの構造
ナダル選手:Nishikoriは10位、5位に入ってくると発言
盛田ファンド、修造チャレンジ
17歳でフェデラーと練習
18歳でツアー初優勝
22歳で20位
10台で100位:早熟型→30位台に
20台で100位:晩成型→60位台になってしまう
早熟型:トップツアー
晩成型:チャレンジャー主体
→賞金、ポイント
何歳のときに、何位ランキング?
19歳、22歳、25歳のときが区切り
22歳までに世界300位→2人に1人は100位
西岡選手、382位→100位まちがいなし、50位も、30位も
→早熟型
だにえる太郎 育成おくれ→100位ははいる→・・・晩成型
16歳の段階で到達ランキングが見抜ける
→エージェントにも、こういうデータがあると
トップ100:平均年齢が上がってきている
→晩成型選手の可能性
将来性を伝える人の存在
大学でやっていること
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パネル
鈴木選手は晩成型?
→早熟型だった
→理想とずれた時期:普通は立ち止まる
→そこから上にいく晩成型
すずきさんはどう思う
・ジュニア:少々
・戻ってきたとき:ポイント0、ランキングに名前なし
→まさにどさまわり:
B大会ヨーロッパ各地回って
会社、コーチがたのむ
どれが出ないと、グランプリシリーズに出れない
→スケートも似ている
・才能があっても、挫折せざるを得ない
→きっかけがあれば
パスウェイは1つだけではない
前例がないと・・・
・日本:若い選手に注目多い
→あのときのように戻れたら・・
→戻りたいと思っているうちは、
戻せるものではない
先に向かって進んでいくと思ったとき、前に向けた
・いちどスタンディングオベーション
→あの演技をしたいと思う→そこから成長はない
→いまの自分と成長:前に進める
・成功体験:おおきい
そこを気持ちを切り替える
できるようになったのは、らんきんぐがなくなったのがつよみ?
いいときの演技:失敗→気づく
どうしていくかを考える:失敗をしてみて気づく
石橋をたたいて壊す(わたれないタイプ)
ソチ→調子悪い中から持ってこれた
全日本選手権の一週間前:ぜっ不調→キケンしようかというくらい
どういっても、なにもできなくなっていた→どつぼ
何が不安かを聞いて言ってくれた→最後まで戦う→最後の挑戦
→素直に最後までやると決めた
試合だけみるとすばらしいが・・・
→先生の後押しがなければ、まずあきらめていた
・表現力のあるかた・・
テニス:自分でコントロールできることとできないこと
整理するチカラ
→フィギュア:
え、回転したのに・・・回転不足
レベルがとれてない
→人が採点:そういう競技と理解したうえでやっている
あまり順位、メダルをいわない
→選手たちが、それを理解しているから
それが理解できなければ、ほかの競技をえらんでいる
・スケートをしていてうれしいこと
演技を終えた瞬間の観客の立ち上がる姿、拍手、歓声
そこに点数は必ずついてくるわけではないことは分かっている
では、なにを・・・どんなスケートがしたいのか?
・晩成力:テニス30週間コントロールできる
フィギュアでは
10台:寝ておきたら元気
24、5・・やりすぎると、ピークに持っていけない
→やめどき:甘えなのかを判断:日々向き合っていないと
→客観的に:長久保先生のほか4人の先生
どのタイミングでどの引き出しを開けるか
どういうギャップがあって、どうデザイン、
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<<質問>>
・文学部のひと
質と量:
練習の質と量:若いうちは量で補っていた
20代後半:がむしゃらにやればできるものではない
コーチ:量→コントロールしていく(抑えるほうがおおい)
→甘えとのバランス:毎日が学び
ノートに書きとめておく
・ただのファンです
鈴木選手:がんばってる鈴木選手をおしあげてる
→受け入れることができている
人に恵まれて、ささえてもらって:病気の後から気づいた
10台:自分ががんばってやっている→パキンと折れる強さ
→芯がありながらも、必要なことを取り入れる強さ
→見極めるチカラ
・千葉から、子供をつれて・・・
お子さん:1年間じん帯損傷→リンクに立てられない
お母さんが優しくなった
滑りたいといってくれる日
スケート靴を履く気になったのか?
アドバイス
実際氷の上に載ってみると・・・
頭と体でちがう・・・
受け入れることすらできなかった・・
母:「すれべるだけでもしあわせ」
あせらずに見守ってほしい
スケートを好きな子、ファンをふやす
もう一回やってみようかなと思う日を楽しみに・・・
→選手としてどうということではなく
スケートを楽しもうと思うのを待っていてほしい。
・(どっかの大学)
早熟型:燃え尽きてしまう(バーンアウト)→別の人生のポイント
16歳でプロ→早くも引退という選手いる
防止する:あせりすぎない
これでなくてはいけないというのはない
本人の強い意志
アスリート:自分に目が・・・社会人:周りに気配り
鈴木さん:壁にむきあわれたとき受容
(すずきさん)バンクーバーおわって、どこでやめるか、自分でも分からなかった
やめた後が想像つかないのでこわかった
やめたら・・金メダルならはなばなしく・・・
そうではなかったら・・どういったことができるかビジョンが見えなかった
やめると決めてから、まわりが、やめたあと提案
→そこと連携:次の人生が見えてきた/引退後が楽しみ
この1年でキャリアが変わる:就活みたい?
みなさんが、道を切り開いてくれた:レールを作ってくれた
・商学部→ソニー
生涯ベスト3の演技
自分の現役生活で3つ
1つバンクバーを決めた全日本フリー
→ジャンプ以外でつまずいてこけ、笑って立ち上がる
ゾーンに入っていた演技
昨年全日本オリンピックを決めたフリーのプログラム
世界選手権ショート自己ベスト
自分の人生を滑りたい→最高の作品・評価としてもついてきた
大体後半(小さい頃は覚えてない)
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■最後にひとこと
(坂井先生)
スポーツに限らない
アスリートのひきだし→オンリーワンの人生
研究の連携
(鈴木さん)
23年スケートしてきて、
学んできて、社会人のスケーターとして、
今後、大学卒業しても続けたい人に
モデルとなって、このラボで情報共有
(せんでん)
6月14日 読売新聞公開講座
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■おわりに・・・
(鈴木さん)
じん帯損傷だった子に(フロアに下りてきて)
サイン:結構長く書いていた。内容不明
(拍手の中で返り際に)
ターン(演技が終わったときに観客にするポーズ)