今(3月7日)、新宿ピカデリーで「さんかく窓の外側は夜」を見てきた。
なんでこの映画を見たかというと、
「ずっと真夜中でいいのに」の「暗く黒く」の曲の意味を知るため。
YouTubeはこちら(音量注意)
ずっと真夜中でいいのに。『暗く黒く』MV(ZUTOMAYO - DARKEN)
https://www.youtube.com/watch?v=dcOwj-QE_ZE
この曲、「さんかく窓の外側は夜」という映画の主題歌で,
この映画を見ないで、YouTubeだけ見てたときは
・シングルマザーの応援歌
・仏教界の否定?
と思ったんだけど、ど~も解釈できない点が何点かあって・・・
(つまり、「
「秒針を噛む」って、こういう意味?ってか、心象風景でOK?」
の時みたいにすっきり解釈できなくて)
そんなとき
【ずっと真夜中でいいのに。/暗く黒く】歌詞の意味を徹底解釈!人生を肯定するずとまよ初の映画主題歌
https://saluteproject.com/2020/11/05/kuraku-kuroku/
を見て、どうも映画見ないと、意味わかんないんじゃないかと思って、
ただ、「暗く黒く」の意味を知りたいだけで(見る前は映画に興味「まったく」なし)、
見に行きました。
見た結果の感想
ACAねさん、すげ~
102分の映画の場面設定から展開、いいたいことまでをすべて1曲にまとめているよ!!
あの「暗く黒く」は、この映画のまとめのようです。世界観を写し取ってるだけでなく
展開も写し取っていて、さらにYouTubeのアニメとも一致しています。
以下、どう対応しているのかを書きますね
以下、河川から完全に映画の内容がネタばれするので注意
「暗く黒く」の歌詞をベースに映画と合わせていきます
(映画を見ていない人には全くわからないと思うけど、ごめん)
【三角の子供のころ】
触れたくて震えていく声→霊のこと
勘違いしてはじぶんになっていく→霊が見えることは勘違いとして自分になっている
成りたくて鳴らせない(成らせない)が息絶えても→霊のこと(成仏できない)
(映画ふぁんでずとまよファンでない人に
ずとまよの歌は、音が同じだったり、意味が似ている言葉をわざと使います
人口知能とか、解いといてよ→問い説いてよとか。ここもそれだと思います
確かめるまでおわらせないで→霊がいることを確かめるまで、見えたことを終わらせないで
【三角でもあり冷川のきもちでもあり】
ただ黙っていた
(三角にとっては霊がみえること、冷川にとっては自分の過去)
思っているほど耐えられた→たえてましたよね
冷え切った視界で→現実
今日を燃やしていく→生きている
【冷川(三角):本屋さんのところ】
未読にした
→過去を診ないこと(未読)にした→これ、SNSだと思ってたけど、本なのかね?
美学でよかった
→ここ不明。美しい過去でよかったってこと?
だいじょばないって言えたほど
→自分の過去。「大丈夫ではない」とことばにできるほどに
些細な痛み割り切ったけど
→過去の苦しい出来事は割り切ったけど
君→冷川にとって三角(参画にとって冷川とも解釈できるけど)
に出会って赦されていく→っていう物語です、「さんかく窓の外側は夜」は
【呪いについて】
全然とれやしない→呪いが
奴が暗く黒く塗りつぶしたとしても→呪いで暗く黒く塗りつぶしたとしても
(映画見てない人はわかんないと思うけど、呪いが黒いんです)
決して奪われない
インスタントな存在でも
見えなくてもここにある
→このインスタントだけど存在するのを霊とも解釈できるんだけど
冷川(の過去)のリアルともとらえられる。どっちなんだろ?
【三角の気持ち】
守っていないなんて→参画が考える守っていたいもの(人としての気持ち)
一切合切自我の煩悩で→それは自分の人としての欲望かもしれないけれど
控えめになって心をポイ捨てしても→冷川のように人として心を捨てたり、呪いビジネス言ったりは
きっと違うけど→と思って、やめたけど
学んでしまった気づいてしまった
備えられた孤独が→霊が見えるという孤独
こんなに尊いならば→映画の中で、そのことが、どういうことなのかが明かされてくる
疑う必要ない→信じていい?
信じてる必要もない→人を信じる、信じないとかはもう関係なく
連鎖よ続け→これがキーワードなので、これ、最後に書く
【貯金箱の家に三角とヒウラエリカが入るところ】
(ここ曲調が変わるけど、映画でも雰囲気変わってノリノリのところ)
ありきたりな儀式もお上手に→映画ではなかったけど、たぶん入るときに儀式とかあるんだよねよねえ・・・
切磋琢磨に踊れ秒読み→はやくしないとえりかさんしんじゃう。三角やばし!
トライアングルな縁にひたっても→2つ考えられる
1.結界のこと:いろいろなところででてくるさんかく
2.三角、冷川、ヒウラエリカ3人の縁
どこにいても場所うたがうけど→映画で、ほんと「どこいるんだ」って感じでしたよね(^^;)
鍛えられた細胞→呪いのつぶつぶ
くずしてよ
この人生があることを許してよ→3人の人生があること(とくに冷川の)を許してよ
いままで見てきたもの全部背負って
→生涯生きてきたものだけど
「見てきたもの」→冷川と三角との出会いの場面「見てきたものを否定するんですか」(だっけ?)
にかけているかも)
生きてくケガさせて→っていうようなことを、三角はヒウラエリカに門のところで言っているよね
それで、ヒウラエリカは入口へつれていく
あとはくりかえしなので、違うところだけ
かなっていたい勝っていたいも
→これ、冷川の宗教の様子ともとれるんだけど、
当てはまりが悪い。原作よみとわかるのかな?続編で解決されるとか・・・
時間のほんろうで→冷川の宗教とすると、それrて時間の放浪で
目指していた果てに行き着いた先→それがどこかわかんないのが、この映画の特徴。映画の最後の1つ前で冷川と三角が交差点で会うところ?
満たす孤独もあるのかな→孤独は霊が見える孤独でした。
選び変える勇気がこんなに尊いならば→冷川にとって自分の過去から、三角の示す人間らしい「信じる」結城に選び変えることがこんなに尊いならば
疑う必要はない→半澤さんみたいに(^^;)
だましあう必要はない→なので、最後に冷川は三角との誓約書を破った
連鎖よ続け→さっきも言ったけど、これがキーポイントなので、最後に書く
YouTubeのMVとの対応(これもネタバレ)
(MVの内容)→映画の対応箇所
メイドさん→冷川(一部ヒウラエリカ)
子供→三角(霊的にみると、そういう関係)
はじめのほう、上に三角形があるけど、これが「さんかく窓」
子供が危険なことをする→冷川のセリフで「きみはオープンなところがあるから」
シカを殺す→呪いをかけて殺してもうける(冷川がやろうとして、ヒウラのバックがやっていたビジネス)
遊園地→貯金箱(ここでメイドはヒウラエリカ)
電源を入れて蹴飛ばして中に入る→ヒウラエリカが三角を案内して貯金箱の中に入る様子
メリーゴーランド→貯金箱の中(呪いビジネスの人から見ると、おぞましい呪い→たのしいメリーゴーランド)
ロケット→(氷川の)万華鏡
最後、にくくっている→映画のはじめでも冷川と三角が肉くってる。この肉食ってる意味は、映画の最後のほうでわかる。
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で「連鎖よ続け」の意味。
あきらかに一つ連鎖しているものがある。それは呪いの連鎖。
冷川の呪い→その冷川の万華鏡をベースとして貯金箱→ヒウラエリカの呪い
だけど、これをACAねさんが「つづけ」というのは不自然だし、そもそも貯金箱なくなっちゃったし。最後。
とすると、もう一つ
いままでは冷川が三角を助けていた
今度は三角に除霊能力が移ってだれかを(たぶんヒウラエリカを)助ける?
という続編がある?というのに期待できる。
ちなみに、冷川に最後に徐冷能力があるのか、三角に映ったのかはわからない。
(物語がそこまで触れないから)
最後の最後の1カットは、その続編のためかもしれませんね。
これ、除霊系の宗教ビジネスの物語としてみると面白い。
とくに、冷川さんやヒウラエリカさんが、アーチャリーさんに対応させてみるとわかりやすい。
宗教ビジネス的にみると、実はこの物語、一番の悪である「呪いビジネスを進めたメガネの男の人」は
生き残ってる(死んでもいない)ということは、呪いビジネスの裏側を書く続編がでてもおかしくはない
・・・が、続編が出るようにという意味で「連鎖よ続け」と言っているのではないと思う。
なお、この映画によって、「暗く黒く」は仏教批判ではなく、仏教を利用した新興宗教批判だとわかる
映画中(はじめのほう)三角が「こわくないですか」というのに対して冷川が「人は死にますから」というけど、
あの態度が仏教で、仏教は死や苦を克服しようとするけど、
この映画で出てくる呪いビジネスは、死や苦を利用しようとしている仏教徒は真逆のもの。
それに対し「備えられた孤独」(死を超えた唯我独尊)こそ「尊い」
その「連鎖よ続け」というACAねさん、すごすぎます。天才すぎます。
ひたすら、ACAねさんの天才さに関心する映画なのでした・・・・