【 2012年1月21日 】 京都シネマ
『ヴェル・ディブ事件』のことを知ったのは、前回観た映画『黄色い星の子どもたち』でだった。
この事件がショッキングなことは、『ホロコースト』がナチス・ドイツの手で直接行われたのでなく、占領下という特殊な事態下であったとしても、フランス政府・警察が手を下したということである。
昨日までともに平穏に暮らしていた《自国の国民の生命と生活を悪魔に売り渡した》という罪は計り知れない。
1992年に、時のシラク大統領が、事件に関し政府の責任を初めて認めて、その事件の存在が世間に明らかにされたというから、自分も含め多くの人々が知らないのは当然だったといえる。
この映画の中で、『黄色い星の子どもたち』でもそうだったが、ユダヤ人が検挙される現場で悪罵を投げつける人もいる事が描かれているが、そうでない人々も、数字にあらわれる以上に沢山いたことが想像できる。
この映画のテーマの1つに《過去を知ってどうなるのか》というのがある。自分と直接関係ない《過去》や、《知らされたくない過去》など。『それを知ったからといって現実がどう変わるのだ』と。
でもやっぱり、知らなければならないし、過去と向き合わねばならない。
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一昨日の1月27日は『ホロコースト記念日』だった。
今朝の新聞を見たら、『ノルウェーの首相が「ノルウェー政府がホロコーストに直接関わったこと」を正式に謝罪した。』とあった。この映画のフランスと同じように、ドイツ占領下の自国で、ユダヤ人を検挙しアウシュビッツに輸送する手伝いをしたというのだ。戦後65年たった今でも歴史を風化させない《明確な意志》があるのだ。
また、今でも『ナチス戦犯』の追及の手をゆるめないドイツでは、若者の20%が『ホロコースト』の実態を知らないという現実に危機感を抱いて、新たな取り組みをするという。
侵略戦争に対する総括や反省もなく、天皇制や戦犯に対する責任追及も曖昧のまま、その一方で、「君が代」を強制しようとする輩が後を絶たないこの国の風潮とは偉い違いである。
『サラの鍵』-公式サイト
関連ブログ:『黄色い星の子どもたち』