【著者:中野京子】 朝日出版社刊
一見して、恐ろしい怖い絵だけを取り上げているのではない。それらを《理解》するにもそれなりの知識が必要かもしれないが、この本の興味ふかいのは、一見なんでもないような絵の背後に潜む、ある事情や背景である。
著者は西洋史に関する豊富な知識に基づいて、解説してくれる。
全部で3巻まであるのだが、この本を読んで「カストラート」とか「ガヴァネス」という存在を初めて知った。
なるほど、絵の見方が違ってくるというものだ。
日本の人が西洋の絵画を理解する上で必要な知識というか常識が大まかに、3つあると思う。
【我が子を喰らうサトゥルヌス】(怖い絵1)
1つ目は、「ギリシャ神話」の知識。
日本人なら大黒様やら天照大御神、かたや一寸法師や天狗というように神話や童話・昔話に出てくる《有名人》やそのエピソードを知っているように、我々にはなじみの無い神々のことを知っていて、同じ題材が何度も取り上げられている。
【フォロフェルネスの首を切るユーディット】
上の絵は「怖い絵」の1巻にあるものだが、「怖い絵・2」にはボッティチェリの『フォロフェルネスの遺体発見』という絵が紹介されている。
余談であるが、下のクリムトの有名な絵が、上の絵と同じ題材の続きとは、つい先日まで知らなかった。確かに絵の右下にフォロフェルネスの首が描かれている。
【クリムト:ユーディット】
2つ目は、「キリスト教」に関する知識。日本おける仏教以上に、生活にも深くかかわっていて、絵の題材にしても『受胎告知』やら『キリストの降誕』、『聖母子像』などお決まりのテーマが同じパターンで何度も登場する。
『聖書』にまつわる話を題材にしたものが多い。
【サロメ:ビアズリーの挿絵】
(怖い絵・2)
3つ目は、西洋の歴史と文化そのものである。フランス革命前後の歴史や、イギリスの絶対王政を確立していく過程の歴史や出来事は絵の題材として扱われることが多い。
また、日本で「唐人お吉」を知っている人は多いが(一定の年齢以上の人かな?)、下の絵は「ベアトリーチェ・チェンチ」のことを知らないと絵の意味が理解できない。だから、伝統・文化というかその国の常識を知っていないと分かりにくい部分がある。
【ベアトリーチェ・チェンチ】
(怖い絵・3)
次の絵は、「怖い絵」(1巻)の冒頭に出てくる絵である。
一般には、バレリーナの華麗な舞いの瞬間を巧みな筆致で描いたドガの名作という風になっている。名作には違いないが、歴史的事情を考慮すると絵の見方が変わってくる好例である。
【ドガ:エトワール】(怖い絵1)
「エトワール」というパリ・オペラ座を舞台にした映画があったが、エトワールとはパリ・オペラ座におけるバレリーナの最高位である。映画では名誉あるその座を巡っての熾烈な競争や猛練習の模様を追っていたが、絵の方の世界は現在とまるで違っていた。
働く女性は軽蔑され(ガヴァネスも同じ背景)、まともな女性は長いスカートをはくのが常識の時代、チュチュを身につけオペラの添え物に過ぎなかったバレエを踊る女性がどんな扱いを受けていたか考えてみればわかる。
写真が無かった時代の『絵』は「肖像写真」や「報道写真」といった記録の意味合いも強かった。もちろん文字情報だけでは得られない創造性豊かな視覚的情報を付加する役割もあった。
現代の絵画は、記録や報道といった役割が他の映像手段、写真や映画に受け渡され、認識対象や役割が限定されてきている。
絵画は視覚感性による認識を伝える(味わう)ものであって、作品ができあがった後は、作者の意図や時代背景とは別に、作品独自に鑑賞者に迫る。
そういう点でいくつかの解説の中で、筆者とは違った評価を持つ作品もあった。
ピカソがかりに“女たらし”であっても作品はすばらしいし、エゴン・シーレが自堕落な生活をしていたとしても、その絵が発する感性には感動する。
この本を読んでいろいろな知識を得て、観賞する際の幅が広くなったと思うが、『怖い絵』を飾りたいとは、決して思わないのは当然のことである。
家に飾るのなら、美しく(何を『美しい」かと感じるのはそれぞれの個性だが)『怖くない』、いやされる絵がいい。
【レカミエ夫人の肖像】(怖い絵・2)
*** 参照 ***(2016/08/14追記)
【 絵画を巡る旅行のマイブログ 】
『 2010年南イタリア旅行(その9) 』-「バルベニーニ宮」と「コロンナ宮殿」を訪ねる
『ウィーンへー2年ぶりの旅』-「エゴン・シーレとの再会」
『ビュッフェ美術館』を訪れる』-「ベルナール・ビュフェ」
一見して、恐ろしい怖い絵だけを取り上げているのではない。それらを《理解》するにもそれなりの知識が必要かもしれないが、この本の興味ふかいのは、一見なんでもないような絵の背後に潜む、ある事情や背景である。
著者は西洋史に関する豊富な知識に基づいて、解説してくれる。
全部で3巻まであるのだが、この本を読んで「カストラート」とか「ガヴァネス」という存在を初めて知った。
なるほど、絵の見方が違ってくるというものだ。
日本の人が西洋の絵画を理解する上で必要な知識というか常識が大まかに、3つあると思う。
【我が子を喰らうサトゥルヌス】(怖い絵1)
1つ目は、「ギリシャ神話」の知識。
日本人なら大黒様やら天照大御神、かたや一寸法師や天狗というように神話や童話・昔話に出てくる《有名人》やそのエピソードを知っているように、我々にはなじみの無い神々のことを知っていて、同じ題材が何度も取り上げられている。
【フォロフェルネスの首を切るユーディット】
上の絵は「怖い絵」の1巻にあるものだが、「怖い絵・2」にはボッティチェリの『フォロフェルネスの遺体発見』という絵が紹介されている。
余談であるが、下のクリムトの有名な絵が、上の絵と同じ題材の続きとは、つい先日まで知らなかった。確かに絵の右下にフォロフェルネスの首が描かれている。
【クリムト:ユーディット】
2つ目は、「キリスト教」に関する知識。日本おける仏教以上に、生活にも深くかかわっていて、絵の題材にしても『受胎告知』やら『キリストの降誕』、『聖母子像』などお決まりのテーマが同じパターンで何度も登場する。
『聖書』にまつわる話を題材にしたものが多い。
【サロメ:ビアズリーの挿絵】
(怖い絵・2)
3つ目は、西洋の歴史と文化そのものである。フランス革命前後の歴史や、イギリスの絶対王政を確立していく過程の歴史や出来事は絵の題材として扱われることが多い。
また、日本で「唐人お吉」を知っている人は多いが(一定の年齢以上の人かな?)、下の絵は「ベアトリーチェ・チェンチ」のことを知らないと絵の意味が理解できない。だから、伝統・文化というかその国の常識を知っていないと分かりにくい部分がある。
【ベアトリーチェ・チェンチ】
(怖い絵・3)
次の絵は、「怖い絵」(1巻)の冒頭に出てくる絵である。
一般には、バレリーナの華麗な舞いの瞬間を巧みな筆致で描いたドガの名作という風になっている。名作には違いないが、歴史的事情を考慮すると絵の見方が変わってくる好例である。
【ドガ:エトワール】(怖い絵1)
「エトワール」というパリ・オペラ座を舞台にした映画があったが、エトワールとはパリ・オペラ座におけるバレリーナの最高位である。映画では名誉あるその座を巡っての熾烈な競争や猛練習の模様を追っていたが、絵の方の世界は現在とまるで違っていた。
働く女性は軽蔑され(ガヴァネスも同じ背景)、まともな女性は長いスカートをはくのが常識の時代、チュチュを身につけオペラの添え物に過ぎなかったバレエを踊る女性がどんな扱いを受けていたか考えてみればわかる。
写真が無かった時代の『絵』は「肖像写真」や「報道写真」といった記録の意味合いも強かった。もちろん文字情報だけでは得られない創造性豊かな視覚的情報を付加する役割もあった。
現代の絵画は、記録や報道といった役割が他の映像手段、写真や映画に受け渡され、認識対象や役割が限定されてきている。
絵画は視覚感性による認識を伝える(味わう)ものであって、作品ができあがった後は、作者の意図や時代背景とは別に、作品独自に鑑賞者に迫る。
そういう点でいくつかの解説の中で、筆者とは違った評価を持つ作品もあった。
ピカソがかりに“女たらし”であっても作品はすばらしいし、エゴン・シーレが自堕落な生活をしていたとしても、その絵が発する感性には感動する。
この本を読んでいろいろな知識を得て、観賞する際の幅が広くなったと思うが、『怖い絵』を飾りたいとは、決して思わないのは当然のことである。
家に飾るのなら、美しく(何を『美しい」かと感じるのはそれぞれの個性だが)『怖くない』、いやされる絵がいい。
【レカミエ夫人の肖像】(怖い絵・2)
*** 参照 ***(2016/08/14追記)
【 絵画を巡る旅行のマイブログ 】
『 2010年南イタリア旅行(その9) 』-「バルベニーニ宮」と「コロンナ宮殿」を訪ねる
『ウィーンへー2年ぶりの旅』-「エゴン・シーレとの再会」
『ビュッフェ美術館』を訪れる』-「ベルナール・ビュフェ」