【2010年1月7日】 京都シネマ
これも年末に見ようと思って見逃してしまっていた。
「バシールとワルツを」という原題で日本の「おくりびと」と昨年のアカデミー賞の「外国映画賞」を競い合っていたから、この映画のことを記憶にとどめている人は多いと思うが、一般の商業ベースの映画館では上映されることはないから、見た人は少ないのではないか。
『バシール』というのは1982年から83年当時のレバノンの『ファランヘ党』 *註1 というイスラエル寄りの政策を掲げる政党の指導者であり、そのバシールが大統領に当選した直後、何者かに暗殺されたことで、それをパレスティナ側の仕業と決めつけたファランヘ党の民兵組織が、ベイルートにあるパレスティナ難民キャンプを襲撃し、組織的に多数の難民を虐殺した事件を起こした。これがこの映画に出てくるサブラ・シャティーラ事件である。
「ファランヘ党」・・・スペインのフランコ独裁へと続くファシスト主義の「ファランヘ党」とは別のレバノンの政党・民兵組織
この事件の前年、レバノンに侵攻し同国を事実上支配下においていたイスラエル軍は虐殺が行われるであろうという情報を察知していながら、民兵組織がなすがままの虐殺を許したと言われている。(後日、当時のシャロン外相は世界からその責任を問われ辞任している。)
「バシールとワルツを」の原題名は、バシールの大きな顔写真のポスターが張り巡らされた、今は廃墟と化したビルの谷間で、ひとりの兵士がショパンの曲にのり夢遊病者のように舞いながら機関銃を乱射する光景からつけられたそうだ。
物語は、この映画の監督であるアリ・フォルマン自身の回想という形で展開する。自身が1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻に際し、歩兵として従軍していて、その後遭遇したはずの「サブラ・シャティーラ事件」の記憶が全くないことに気づく。その記憶を、当時のさまざまな関係者にあって話を聞くことにより、取り戻していく過程を描いたものだ。
イスラエルと周辺のアラブ諸国・パレスティナ難民の武装組織とは、第二次世界大戦後から今日に至るまで、傍から見ると「うんざり」するほど果てしない報復合戦が続いている。
また、古今東西を限らず世界中で-ルアンダでも、コソボでも、スーダンでも、インドネシアでも南京でも民間人の大量虐殺はいたるところで行なわれていた。
《アウシュビッツ》-でもだ。
だから、虐殺を告発するという内容では特に新しいということではない。
注目すべき点は、イスラエルの元兵士がこういう映画を作ったということだ。
イスラエルという国は、よく知られているようにナチスのホロコーストで犠牲となったユダヤ人に独立国家としてその固有の領土を与えるため、それまでその地に住んでいたパレスティナ人を追い出し建国された国だ。そういう経緯ををもった国が、圧倒的な軍事力をもって無抵抗の人民を殺戮する戦争を何度も仕掛けるということが不思議でならなかった。
親兄弟を無差別爆撃で殺された側の弱小民族はテロを仕掛けロケット弾をイスラエルに打ち込む。それに対する報復爆撃が繰り返される。テロ組織をかくまっているという理屈で隣国に侵攻する。
終わりのない戦争。
イスラエルの兵士や国民の間でも、この虐殺事件を契機に厭戦気分が高まってきたという。
アニメといっても実写映像をトレースしたような写実に近い表現手法をとっている。夜間の戦闘シーンや殺戮のシーンはアニメでないと表現できない点やより効果的と思われる点もあるが、人間の表情はやはり生の役者・人間の方がやはり深い表現ができると感じた。
映画の最後に、「サブラ・シャティーラ事件」を報じる実写フィルムが映るが、それが非常に印象に残る。
「戦場でワルツを」-公式サイト
レバノンの国内事情およびイスラエルによるレバノン侵攻に関する記述のあるサイト
これも年末に見ようと思って見逃してしまっていた。
「バシールとワルツを」という原題で日本の「おくりびと」と昨年のアカデミー賞の「外国映画賞」を競い合っていたから、この映画のことを記憶にとどめている人は多いと思うが、一般の商業ベースの映画館では上映されることはないから、見た人は少ないのではないか。
『バシール』というのは1982年から83年当時のレバノンの『ファランヘ党』 *註1 というイスラエル寄りの政策を掲げる政党の指導者であり、そのバシールが大統領に当選した直後、何者かに暗殺されたことで、それをパレスティナ側の仕業と決めつけたファランヘ党の民兵組織が、ベイルートにあるパレスティナ難民キャンプを襲撃し、組織的に多数の難民を虐殺した事件を起こした。これがこの映画に出てくるサブラ・シャティーラ事件である。
「ファランヘ党」・・・スペインのフランコ独裁へと続くファシスト主義の「ファランヘ党」とは別のレバノンの政党・民兵組織
この事件の前年、レバノンに侵攻し同国を事実上支配下においていたイスラエル軍は虐殺が行われるであろうという情報を察知していながら、民兵組織がなすがままの虐殺を許したと言われている。(後日、当時のシャロン外相は世界からその責任を問われ辞任している。)
「バシールとワルツを」の原題名は、バシールの大きな顔写真のポスターが張り巡らされた、今は廃墟と化したビルの谷間で、ひとりの兵士がショパンの曲にのり夢遊病者のように舞いながら機関銃を乱射する光景からつけられたそうだ。
物語は、この映画の監督であるアリ・フォルマン自身の回想という形で展開する。自身が1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻に際し、歩兵として従軍していて、その後遭遇したはずの「サブラ・シャティーラ事件」の記憶が全くないことに気づく。その記憶を、当時のさまざまな関係者にあって話を聞くことにより、取り戻していく過程を描いたものだ。
イスラエルと周辺のアラブ諸国・パレスティナ難民の武装組織とは、第二次世界大戦後から今日に至るまで、傍から見ると「うんざり」するほど果てしない報復合戦が続いている。
また、古今東西を限らず世界中で-ルアンダでも、コソボでも、スーダンでも、インドネシアでも南京でも民間人の大量虐殺はいたるところで行なわれていた。
《アウシュビッツ》-でもだ。
だから、虐殺を告発するという内容では特に新しいということではない。
注目すべき点は、イスラエルの元兵士がこういう映画を作ったということだ。
イスラエルという国は、よく知られているようにナチスのホロコーストで犠牲となったユダヤ人に独立国家としてその固有の領土を与えるため、それまでその地に住んでいたパレスティナ人を追い出し建国された国だ。そういう経緯ををもった国が、圧倒的な軍事力をもって無抵抗の人民を殺戮する戦争を何度も仕掛けるということが不思議でならなかった。
親兄弟を無差別爆撃で殺された側の弱小民族はテロを仕掛けロケット弾をイスラエルに打ち込む。それに対する報復爆撃が繰り返される。テロ組織をかくまっているという理屈で隣国に侵攻する。
終わりのない戦争。
イスラエルの兵士や国民の間でも、この虐殺事件を契機に厭戦気分が高まってきたという。
アニメといっても実写映像をトレースしたような写実に近い表現手法をとっている。夜間の戦闘シーンや殺戮のシーンはアニメでないと表現できない点やより効果的と思われる点もあるが、人間の表情はやはり生の役者・人間の方がやはり深い表現ができると感じた。
映画の最後に、「サブラ・シャティーラ事件」を報じる実写フィルムが映るが、それが非常に印象に残る。
「戦場でワルツを」-公式サイト
レバノンの国内事情およびイスラエルによるレバノン侵攻に関する記述のあるサイト