2006年6月29日(木)大津、「滋賀シネマホール」
ストーリーはごく単純、若いふたりが恋に落ちいって娘の母親に反対される中、男は徴兵で「アルジェの戦い」の戦線に行く。その間、経済的に追いつめられた家庭に救世主が現れ、娘はその男と結婚する。そして悲しい結末。
話はごくありふれた単純なものなのだが、なぜか心を打つ。ミッシェル・ルグランの曲のいいのはわかる。でもそれだけではない。やはりこの映画に人生と恋・愛の普遍的なテーマが含まれていてそれが端的に表現され、現代的な状況にマッチしているから感動するのだと思う。
せりふにはメロディーが着いている。だが、ミュージカルとはちょっと違う。
シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)は自動社工場で働く青年ギー(ニーノ・カステルヌォーヴォ)と愛し合っていたが母親にまだ若すぎると反対される中、ギーには召集令状が届く。2年間の兵役につくためにふたりの中は引きちぎられるが、一方傘屋の経営が行き詰まる。そこに現れた宝石商がジュヌヴィエーヴに好意を抱き、救済を申し出でる。当初は戦場に行ったギーを思い母を通したその申し出を拒絶するが、ギーからは手紙も途絶えがちになる。
「その場にいない」ということは、心細さを生じ、不安をかき立て、不信感と誤解を生み、常に側にいる者に負けてしまう。
この種の悲劇は、戦争の有るところ、何度も描かれてきた。となりの韓国と今の日本の状況との決定的な違いはここにある。韓国の映画の中の青年は常に徴兵制という問題と隣り合わせの状況におかれている。その分、愛の表現も真剣で単刀直入に思える。
今の日本には幸い徴兵制がない。一方で海外派兵をしようという内外の圧力がかかる。青年を兵士として海外に送り込む「国家」の必要性の中、憲法第9条が変えられたら徴兵制も不可分のように思われる。しかし財界は、もっと巧妙なことを考えている。
みんなが反対するような徴兵制を敢えて引かなくても、お上に従順な思想を植え付け、学校では一部のエリートを除き物事をあまり深く考えないような教育をして、毎日を忙しさに追いかけられるようにし向け、経済的に搾れば、生計を維持していくためには、軍隊に入隊するしか選択肢が無いように青年を追い込めると。
昔の恋愛映画をみても、ついついそんなことを考えてしまう。
ストーリーはごく単純、若いふたりが恋に落ちいって娘の母親に反対される中、男は徴兵で「アルジェの戦い」の戦線に行く。その間、経済的に追いつめられた家庭に救世主が現れ、娘はその男と結婚する。そして悲しい結末。
話はごくありふれた単純なものなのだが、なぜか心を打つ。ミッシェル・ルグランの曲のいいのはわかる。でもそれだけではない。やはりこの映画に人生と恋・愛の普遍的なテーマが含まれていてそれが端的に表現され、現代的な状況にマッチしているから感動するのだと思う。
せりふにはメロディーが着いている。だが、ミュージカルとはちょっと違う。
シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)は自動社工場で働く青年ギー(ニーノ・カステルヌォーヴォ)と愛し合っていたが母親にまだ若すぎると反対される中、ギーには召集令状が届く。2年間の兵役につくためにふたりの中は引きちぎられるが、一方傘屋の経営が行き詰まる。そこに現れた宝石商がジュヌヴィエーヴに好意を抱き、救済を申し出でる。当初は戦場に行ったギーを思い母を通したその申し出を拒絶するが、ギーからは手紙も途絶えがちになる。
「その場にいない」ということは、心細さを生じ、不安をかき立て、不信感と誤解を生み、常に側にいる者に負けてしまう。
この種の悲劇は、戦争の有るところ、何度も描かれてきた。となりの韓国と今の日本の状況との決定的な違いはここにある。韓国の映画の中の青年は常に徴兵制という問題と隣り合わせの状況におかれている。その分、愛の表現も真剣で単刀直入に思える。
今の日本には幸い徴兵制がない。一方で海外派兵をしようという内外の圧力がかかる。青年を兵士として海外に送り込む「国家」の必要性の中、憲法第9条が変えられたら徴兵制も不可分のように思われる。しかし財界は、もっと巧妙なことを考えている。
みんなが反対するような徴兵制を敢えて引かなくても、お上に従順な思想を植え付け、学校では一部のエリートを除き物事をあまり深く考えないような教育をして、毎日を忙しさに追いかけられるようにし向け、経済的に搾れば、生計を維持していくためには、軍隊に入隊するしか選択肢が無いように青年を追い込めると。
昔の恋愛映画をみても、ついついそんなことを考えてしまう。
この映画は、大好きな人に連れていってもらった、思い出深い映画です。私にとっては、その時の自分の背景が映画と重なり合って、音楽を聴くたびによみがえってくるのです。男の人の「待っていて」という言葉は時に残酷で身勝手です。なぜなら待つ側は時間を止めなければならないから。周りの状況は刻々と変わっていくのに。
戦争花嫁は不幸かもしれません。けれども生涯に残る思い出に生きられる人はかえって幸せではないかとも思える現代です。この映画ではそれぞれの子にフランソワと名付け、最後の場面の雪の日の再会が印象的でした。離れ離れになっても、生きていたらいつか会える日も来る。過去と現在と、そこに続く未来と・・そんなことを思いながら、プラトンの「饗宴」の中の、愛における生産性についての一説を思い浮かべます。肉体の子供よりも、はるかに強い連帯感、はるかにゆるぎない愛情を分かち合う魂の子を共有することができるという・・それを思えば、待つこともまた楽し。かもしれません。
戦争を始めるのはいつも大体、男ですしその犠牲になるのは女性、子供とお年寄りですね。
今はかろうじてこの国に戦争はありませんが、あなたは別のところで辛い重いをしたんですね。
プラトンとは難しい本を読んでいるんですね。
また、コメントお願いします。反省材料にもなり励みにもなります。
大好きです。 そのうち実際にシェルブールに行ってみたいとまで考えているくらいです。
映画では恋人の「不在」といった感じで離れている時間は
常に女性の日常、気持ちの移ろいを主に描かれていて戦争の様子などはあまり感じられませんが、それでも手紙の
中で「ここでは太陽と死が一緒に存在する」なんて書かれていてヒロインとともに恐くなります。
あなた様が書かれているように、現在の日本は徴兵制は
まだないけど確かに「巧妙」にひたひたと若者相手に
準備されているような気がしてなりません。
何も考えるな、といいますか、たとえば携帯の普及に
関しても意図的なのではないか、と思ってしまいます。
そのうち、携帯に国から携帯に「指示」が送られてきて
何も考えず言われたままに行動する、そんな若者がいそうで恐ろしいです。
最近、どうも戦争や国際紛争に絡む映画ばかり見てしまいます。やっぱり、平和が脅かされるのがこわいからでしょうか。恋愛映画と戦争映画、全く正反対なジャンルの様で離しがたいんですね。愛することと憎しみあうこと、裏表ですから。
この映画、私もずっと好きなんです。
私の携帯の着信音、いつか誰かが仕掛けた「シェルブールの雨傘」なんです。事務所なんかで鳴ると、場違いでおかしいですが、なぜかそのままです。